創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(216) 故・向井 敏くん、ありがとう。

  向井くんの、拙著『効果的なコピー作法』復刊に寄せてくれた書評的「あとがき」


人柄は優しいけれど眼力は透徹していた向井敏くんが逝って8年になる。彼とは大阪での同人誌『えんぴつ』で、谷沢永一さん、開高健くん、岡部伊都子さんなどといっしょに青春時代をすごした、まあ、そういう個人的なつながりはどうでもいい。ぼくは1950年代後半から10年ほど、このブログにアップしているように、DDBなどに入れあげた。その狂態を、危惧しながら、優しく、正しく、兄のように、見ていてくれた一人が向井敏くんだった。ひょんな行きがかりから、ぼくは『効果的なコピー作法』(誠文堂新光社 1963)を雑誌に連載する羽目になった。それは、処女出版『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版 1963)につづく2冊目の自著となって結晶した。たしか、2刷まで出たきりで、20年後にソフトカバーに装いを変えて復刊されることに。その時、向井くんが下のあとがきを添えてくれた。当時、かれは売れっ子の書評家だった。蛇足---ぼくのほうが3ヶ月先に生まれた、同学年である。

雌伏二十年

向井敏


アメリカの広告人は1960年代の広告界をさして、しばしば「黄金の十年」Golden Decadeと呼ぶ。じじつ、奇跡的というしかないすばらしい時代であって、名手英才がくつわを並べて登場、DDBをはじめ、この世界に新風をもたらそうと図る意欲的な広告会社に拠って腕を競い、傑作逸品を相ついで世に送り出した。この十年のあいだに広告表現のあらゆる型が出そろい、しかも完成度においてその頂上がきわめられ、以後の広告はことごとくそのバリエーションにとどまるといっても、けっしていいすぎではない。

が、「黄金の十年」というのは今日から見ての話であって、当時の広告人たちにしてみれば、才能に自信を持ちこそすれ、まさか自分たちがそういう時代を築きつつあるとまでは思いもしなかったにちがいない。まして、わが国の広告人にそんなことがわかるはずがなく、時折り、雑誌などで彼らの広告を挑め、やるもんだなあと感嘆するくらいがせいぜいだったろう。


ところが、ここに一人、異常に勘の鋭い男がいた。彼はアメリカの広告界にただならぬ事件が起きていることをいちはやく嗅ぎつけたのである。

彼のまず眼をつけたのが、DDBが展開しつつあったフォルクスワーゲンの広告キャンペーン。手をつくして情報を集め、それがかつてはもとより、今後もまたあり得ようとは思えぬ不朽の名作であることを知って、その展開をあとづけてみようと志した。その成果が1963年に成った名著『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版杜) 。このキャンペーンがはじまってまだ五年とたっていないというのに、そのあとづけの巧みさは刮目に値し、DDBの当事者たち自身、この本を手にして嘆声を放ったという。


これについで彼がねらいをつけたのは、アメリカ広告界きっての逸材たちが才能を傾けた傑作数十点を選び、そのコピー作法の秘密を解き明かすことだった。が、それだけでは彼らの作品を解説したというにとどまる。そこで彼は、ひとリアメリカといわず、ひろく大衆消費社会における広告づくりの基本となる方法を体系化するという野心的な試みを、それにダブらせようとした。そして、一年有余の日子をついやしてこの試みと取り組み、1963年暮れ、世に問うたのが、ほかでもない、『効果的なコピー作法』である。

構成はよく練られ、濃い内容を平易な語りロに載せて、当時はもちろん、今なおこれに匹敵する広告指南書は数少ない。もし、この本がもっと広く読まていたならば、その後の日本の広告表現はどんなにか違ったものになっていただろう。けれども、いかんせん、当時の広告界はまだおさなすぎた。市場環境もまた、わが国の広告の一般的水準から見て、その説くところは高度すぎたのである。心ある人びとに拍手して迎えられながら、この本はついに実効を生むことなく、むなしく二十年の歳月を送ることになる。

が、この間に広告界は大きく様相をあらためた。市場環境も大声をあげさえすればものが売れるという雑駁さからはすでに遠い。きびし銘柄競争下の広告作法を説く『効果的なコピー作法』の復刊を望む声が高まり、それが実現されることになったのも、また当然であるとしなくてはならない。


危うく忘れるところだったが、異常に勘が鋭くて、本を出すタイミングを二十年も早まったこの男は、名をchuukyuuという。


『効果的なコピー作法』1983.4.30発行版あとがき より


>>[効果的なコピー作法]目次


向井くん。TV−CMを愛してやまなかった君に、君ならこういう、意表をつき、しかも筋のとおった優しさに満ちた作品をつくって、みんなを楽しませるはずと、DDB作の1本をささげて、鎮魂の手向けとする。
(使用前・使用後、昔・今、今日・明日、旧製品・新製品、自社製品・他社製品---対比の対象はさまざま。 でも、どちらかが良くて、片方がまずいのがこの手法の常道。 が、これは、自社製品もまずるのだ。そこがミソで、新しい)。