創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[6分間の道草](904)ベスト・セレクション(94)

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今の★数累計です。

DDBの自社広告をおしまいは、去年の6月9日の当ブログのコンテンツの一部転載です。


もう、たびたび書いていますが、ぼくの処女編・著は『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社 1963.6.15)でした。
あれから47年経ったのに、いまだにこだわっているのは、その後、ビートルのシリーズが20世紀を代表するキャンペーンとして、世界中で認められたからです。
鑑識眼を自慢しているわけではありません。じつは、6月9日---満80歳の誕生日なのです。
80歳を真言宗では「寿量」と呼ぶそうです。釈迦が入寂した年齢だったと。仏から授かった年齢量を使いきったからと、勝手に解釈しています。
空海は、40歳に達したとき、寿量の半分(中寿)に達し、なにか残さなければと眦(まなじり)を決したそうです。
寿量を迎えた今朝のぼくは、中寿前に処女著・編に付した[解説]をこのシリーズの中途にアップしようとおもっただけでした。
ご寛恕のほどを。


           ★       




ニューヨーク・タイムス(1960.08.01)にDDBが出した1ページ広告。


『ニュース・フロント』誌の最初の賞


1960年8月1日のニューヨーク・タイムスに、ドイル・デーン・バーンバック(DDB)代理店の1ページ広告が載りました。
この広告によって、私は、DDBという代理店への関心を強め、ひいてはフォルクスワーゲンの広告に取り組むことになったのです。


その広告というのは、
「過去10年間における、最もすぐれた広告キャンペーン10」


という見出しで、『ニュース・フロント』という経営者向けの雑誌が選出したものの紹介でした。
本文で、 『ニュース・フロント』誌が大・中代理店100社の代表的なクリエイティブ・ディレクターに投票させた」と説明していますが、この広告は、10のベスト・キャンペーンのうちの、四つはDDBが創造したものであることを宣言することでした。


選ばれた10のベスト・キャンペーンのリストは、


上段左から右へ、
スミルノフウォッカ
オーバックス百貨店
ポラロイド・カメラ
シュエップ・トニック
中段
ELAL航空
ピルスバリー・ケーキ・ミックス
下段
ハサウェイ・シャツ
フォルクスワーゲン
ロールス・ロイス
マルボロ煙草
(太字はDDBが創造したキャンペーン


これらのキャンペーンで、ほとんど知らなかったVWのキャンペーンを調べてみようと思ったのです。
当時、フォルクスワーゲンのキャンペーンについてあまり知らなかったのは、その後、DDBのVW担当のアカウント・マネジャーであるマクネイリー(Edward R.McNeilly)氏からの手紙で、それが当然であることがわかりました。


マクネイリ一氏は、この記事が載った『ニュース・フロント』誌の1960年5月号を送ってくれ、こう自慢しています。


この投票があったとき、VWのキャンペーンは、始まって5ヶ月しか経っていなかったのですよ。
いいですか、過去10年間というのが選出基準であったのにVWは、たったの5ヶ月で選び出されたのです。


なるほど、氏が自慢するだけのことはあったようです。


送られてきた『ニュース・フロント』誌の記事は、 「この10年間に"腕をふるった" トップ広告10点」という見出しで、 「多額の予算よりはクリエイティビティ----これが、10年間の広告のうちの"最高"と産業界が折り紙をつけた広告の特徴である」というサブ見出しをつけています。
その本文は、


一つの広告に、突如、巨大な力を与える魔法の働きとは、何なのであろう---その力は、一国の経済に活を入れ、一夜のうちに空路を開き、セールズ・リーダーに得体の知れない薬液を注入するのである。
どの広告にそれがあるのか、そしてなぜあるのか?
偉大なキャンペーンは、銘柄の個性を創造し(または変え)、 めざましい販売曲線をつくり、市場のリーダシップを現製品のために確保し、新製品またはアイデアを紹介する。
これは、よくあることだし、あり得ることなのだが、さらに、よく記憶されて、会話の端々に---家庭で、あるいはコメディアンの利かせ言葉になって現われてくる。
この10年間の……"偉大な"キャンベーンは何か? 選出にあたって、『ニュース・フロント』誌は、一流代理店100社の代表的なクリエイティブ・ディレクターたちに、彼らの好きなものを選んでくれるように依頼した。
彼らが選んできたリストは、クリエイティブ・マンのリストであった。
どのキャンペーンも販売面では成功している。が、その成功はクリエイティビティ(創造性)、 新鮮なアイデア、 新鮮なやり方に起因しているもので、大量販売の猛威とか、販売網の強さとか、無限の予算とかには、あまりたよっていないものであった。
事実、大多数は、少ない予算のキャンベーンで、個々の広告は、一つで10の働きをするほど、すぐれたものであった。
天文学的な広告予算を組む代わりに、これは非常に重要なことである。


ハサウェイの"黒眼帯をつけた男"のキャンべーンは、非常にパンチが強くて小さな広告で数倍の効果を出すという広告キャンペーンを創造した。
ハサウェイ・シャツは、一夜のうちに名をなし、売上げが最初の年の2倍になり、この興味津々の人物は、模倣者をつくる本家となったことが、一般にも知られている。
「黒眼帯の男」を創ったオグルビー・ベンソン&メイサー(Ogilvy,Benson & Mather) 社のダビッド・オグルビィ(David Ogilvy)社長は、 これを回想して、不思議なほどあっさりとこういっている.
「私は自分のモデルを憶えやすくしたかったし、男の顔に黒眼帯をつける以上に面白く見せるものは、何もほかに思いつかなかった」


(注1 ハサウェイ・シャツのキャンペーンについてもっと詳しくお知りになりたい方は、当ブログ『効果的なコピー作法』第7章 「コピーと調査」およびオグルビー氏のインタヴューをクリックしてください)


VWは、カタログ流の詳細さではなく、ある一つの思想をとりあげてそれを強力に打ちだした。
DDBが伝達したいと望んだもう一つの考えは、ここにナンセンスさの全然ない、掛け値なしの車があるということであった。
一つ一つの広告が、一つのポイントを打ちだし、単純なレイアウトと強力な文字組み、確固とした調子のコピーが使ってある。


『ニュース・フロント』誌が、なぜ、こんなコンテストを催したのか、私は知りません。
あるいは、この10年間にアメリカの広告界に起こったいくつかの傾向の転換を、経営者たちに知らせるためであったのかもしれません。
あるいは、大広告予算時代に、放任されたままになっている広告予算管理を、クリエイティビティによって行なってみることを警告したのかもしれません。
それにしても、この『ニュース・フロント』誌の記事によって、その後、フォルクスワーゲンの広告が得たかずかずの広告賞の、最初の賞が与えられたことだけは確かです。
キャンペーン開始後、たった5ヶ月で・・・・・・。


キャンペーン開始まで


5ヶ月前・・・・・・すなわち、1959年の8月第1週号のライフ誌に第1弾の広告が出たのが、アメリカの一般読者がVWの広告を目にした最初です。


この年の8月のライフ誌は5週分が発行されました。
ビートルの広告は、その各号に、白黒1ページずつ、 5週連続で掲載されました。
tyle="color:#3333FF;">★


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