創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(182)大もの---ジョージ・ロイス氏(14)

Great art director Mr.George Lois


パパート・ケーニグ・ロイス(PKL)社を創業した当時のロイス氏のエッセイの一つ。DDBにいたとき、ロイス氏はVWステーション・ワゴンのほかにグッドマン社のユダヤ教徒の食べ物である<マッズォス>を担当していた。彼が創ったポスターがグッドマン社では気に入らなかった。突っ返された3回目、ロイス氏は担当のアカウントマンの襟首をつかんで吊るしあげた。アカウントマンはDDB中に響き渡る悲鳴を上げ、そして言った。「自分で売ってくればいい」
ロイス氏は、その原稿をつかむなり、グッドマン社へ乗り込み、言い放った。「マッズォスづくりの専門家はあなただ。広告づくりの熟練者はぼくだ」
マジソン街にとどろきわたった伝説的な武勇伝です。

あなたはマッズォズをおつくりなさい。広告はぼくがつくります。

(広告専門誌『プリンターズ・インク』1960年5月6日号)


ボスになるということはすばらしい。特に、もし、きみがアートディレクターならば、なおさらだ。
3ヶ月前にPKLの一員となってからというもの、AEと大喧嘩することもなくなった。今はすべてが楽しい。ジュリアンケーニグと私とがドアをしめる。 もし15分経って出てこなかったら、2人のどちらかが身体のぐあいがおかしいのだ。
速くて、新鮮で、エキサイティングな広告---それが原則だ。ぼくは広告が好きだ。私はマス・メディアによって人びととつながりを持つことが好きで好きでたまらない。ぼくはこの自分を表現するのではない。商品を売るためのアイデアを配って歩くのだ。アイデアこそ本質だ。そのアイデアが美しいものであるかどうかなどは、読者がメッセージを受け入れてくれるかぎり、問題ではない。
広告は永続的な価値など持ってはいない。ぼくは読者に何か行動を起こさせるか、あるいはその頭の中に商品についてのイメージを埋めこむ。まさにただ一度のチャンスを持つのだ。
ぼくのつくりだすパンチがその広告をして他のすべての広告よりきわ立たせてしまうのである。デザイン?それは自己流のものだし、機械的でもある。だいたいのところ、ぽくのフォームは月並みなパターンだし、おおむねシンメトリーだから、読者はもデザインに関心を持たない。アイデアは、普通オフ・ビートなものだが、決して基本を踏みはずさない。解決は常に問題そのものの中に先天的にある---つまりは、最もドラマチックな可能性を正確にヒネルということだ。
タイミングがたいせつだ。そして、きみの見手のマーケットをはっきり理解することも同じようにたいせつだ。グラナダ(英国のテレビ局)の広告で、広告主のもっていた問題とは、米国でグラナダに関連のある市場、番組提供者、広告マン、広告代理店に知られるということだった。そこで私たちは、グラナダの名前とイメージをなじませるためのシリーズの始まりとして、1行のコピーと一つの事実と、その事実を支える線描きのイラストレーションからなる広告をつくった。この広告は、その新鮮さがよくわかり、その新鮮さをグラナダと結びつけて考えるだけの機知とインテリジェンスを持ったメディア・マンに訴えかけるものだった。一般消費者が、その広告をさっぱり「理解」しなくてもいっこうにかまわないのだ。メディア・マンたちは理解したのだから。
あるヤツはぼくのことを「うぬぼれ屋」と呼んだ。違う。ぼくは確信家なのだ。自信をもち、決断力をもっていなかったら、仕事は実るはずがない。私は、ある広告がそのとき、まちがいないものかどうか、をはっきり見分ける。最近も、ある広告主のオーケーもとれた。しかし、それが掲載される寸前になって、ぼくはその広告をポツにした。私がそれを不発弾だと感じたからである。
ニューヨークADCのメダルをとったグッドマンのマッズォズのポスターにしても、クライアントに3回も却下され、AEがとうとう私に、自分で行って売ってこい、とまで言った作品である。私は出かけていって、どの広告主にも必ず言うことを言ってやった。
「あなたはマッズォズをおつくりなさい。ほくはその広告をつくりましょう」

カラーのものもあったはず。いつか差し替えます。

最高の〔過ぎ越しの祝い〕の伝統をもったマッズォス

in the best Passover tradition!

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