創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(183)大もの---ジョージ・ロイス氏(15)

Great art director Mr.George Lois

【ジョージ・ロイス氏のエッセイ(3)】

「すばらしいコピーライターといっしょに働くことができるなら、ぼくだって良い広告がつくれるさ」                      (ART Direction誌 1962年8月号)


自分は今でこそあまりパッとした仕事をしていないかもしれないが、もし、ぼくのためを考えてくれるようなライターといっしょに働くことができたら、きっと良い広告がつくれるに違いない。などと思い違いをしているアートディレクターが多い。
しかし、気がきいていて、広告のアイデアを思いつけ、英語の文章の書けるアートディレクターなら、彼はりっぱにライターでもあるのだ。
ライターであるということは、アートディレクターの本来の役目ではない。彼の役目は広告をつくることである。しかしすぐれた人の頭脳は、そのようにどちらかの範疇に入れてしまうということはできないだろう。
アートディレクターとして最小限要求されることは、良いヘッドラインを聞いたときは、それを良いと理解でき、悪いのを聞いたときには、悪いとわかるということである。もしこれができて、しかも聡明なコピーライターといっしょに仕事ができるなら、彼は少なくとも有能なアートディレクターになることはできる。
しかし例外的には、書くこともできるアートディレクターも存在するのである。わがPKLには、すばらしいコピーライターが山ほどいるが、へッドラインのかなりの部分はアートディレクターが書くのである。そしてコピーライターがすぐれていればいるほど、彼あるいは彼女は、他の代理店におけるよりも、「気分を害されない」ですむ。ライターとアートディレクターが同じ部屋で、その目的とするところは、コピーライターがビジュアルについて考え、アートディレクターがヘッドラインについて考えようと、あるいは一人の人がその両方の仕事をやろうと、とにかくどんな場合でも、良い広告をつくるということである。
すぐれたライターといっしょに働くことは確かに人生を気楽にするかもしれない。 しかし、もしほんとうにすぐれたアートディレクターが一人で広告全部を作らなければならなくなったら、彼はきっとそれをすることができる。そしてその広告は、彼がそれまでに作った広告のどれよりもすばらしいものになるに違いない。


 もしウォッカに味がないのだったら、ウルフシュミットがどれなのか、どうやって呑み分けることができましょうか? 




"If Vodka has no taste, how come I can tell which one is WOLFSCHMIDT"


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