創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(419)ジュリアン・ケーニグ氏のスピーチ(2−2)

きょうのスピーチ内容には、ちょっとした補足が必要なようです。
「広告はアート(一種の技術)である」と喝破したDDBのバーンバックさんへの反論とおもわれやすいからです。バーンバックさんがつねづね言ったのは、広告する製品について言うべきよりよいこと---「セールス・プロポジション(販売命題)」を見つけるのは第一ステップである。
「それが記憶され、行動を起こさせるように、覚えやすく、アーティスティック(芸術的)で、説得力のあるいい方をしなければならない」
こうも言っています。大衆は、美術館へ出かけて芸術作品に触れるよりもはるかに多い頻度でマス・メディアに接しているのだから、広告は受け手によい趣味を提供すべきである」
ケーニグ氏も同じことを言っているのです。ケーニグ氏は、バーンバックさんから皆伝をさずけられた教え子で、流派の継承者なんです。ただ、道場をかまえた町が異なっていただけなんです。DDBは43丁目西サイド、PKLは3番街。



   パパート・ケーニグ・ロイス(PKL)社社長

   1966年4月19日 全米広告ライターズ協会



誠実こそ、最高の武器(2)



■広告はアートか?


メソケン(米国の評論家 1880〜1956)が書いていました。
今までだれ一人として、米国人の趣味を低く評価しようとした人はいなく、広告は長い間、鼻にかかった米国社会の一面だけに向けて専念してきて、凝ったしかけを使って、自分が正しいことを証明しようとしている・・・と。
ですが、売る方法はほかにもあるのです。
私たちの多くが、よい趣味もよい仕事も同じようにやることができることを見てきたはずです・・・。
誇りと利益はいっしょに連れだてるということを。
だからこそ、私は、ここにご参会のみなさんが軽蔑していらっしゃるかもしれない種類の広告について、よく考えてみてほしいのです。
(しつこいデモンストレーション、大げさな表現、記憶に残そうとしてのあの手この手、日常の買いまわり品なのに声高なすすめ・・・といったような広告のことです)。
こういった広告と互角に戦ってほしいから、考えていただきたいのです。
こういった広告を特徴づけているものは、なんでしょうか?
とても苛酷なほどのバイタリティです。
しかし、努めるべきは、成功をもたらす広告の根底にあるアイデアに、情熱をかたむけることです。
すぐれたアイデアなら、それが不明瞭なものでないかぎり、バカげたレイアウトやコマーシャルでもなんとか生きのびるはずです。
10年も前から、アートディレクターはコピーライターと働く自由が与えられています。
つまり言葉と絵(この仕事を世に出すグラフィック・アイデア) との融合です。
でも、このおかげで広告がひとつのアートの形式であるという噂も広めることになりました。
私たちの問題の多くは、そこから発生しているのではないかと思うのです。
しかし残酷かもしれませんが、事実は、広告は確かにアートという形式を使ってはいるが、アート作品そのものではないということです。

ご覧ください。
口紅がすべて同じだということはありません。これはファベルジェのステンド・グラス口紅です。

ファベルジェ・アイ・カラー・キット
とても珍しい品です。それぞれの小さな色の皿に、アイ・カラー、シャドー、ペンシル、マスカラが納まっています。
(秘密の成分は水です)


( 『ニューヨーカー』1962.3.3号掲載)

クロード・ホブキンスが書いているように、広告は印刷によるセールスマンシップなのです。
これが広告というものの目的なのです。
デザインがアイデアを支配するとき、あなたは私たちの職業に対して罪を犯しているのです。
イデアの片鱗さえない唯美主義は、ただ単なる自己耽溺にすぎません。
マスターベーションです。
青っちょろい青年が夢中になるやつです。
この世界で最も抗Lがたいものはといえば、それは称賛です。
でも、これはあなたがしなければならないことそす。
あなたの仕事は、その商品がいかにすぐれているかを称賛することであって、あなたがどんなにすぼらしいかということを表現することではありません。
すべての人は平等であるようつくられているはずです。
でもアートディレクターとコピーライターはそうではありません。
ただひとつ平等なのは、その説得能力です。
イデアを持っているアートディレクターはコピーを書くだけのライターよりもすぐれています。
気質は説得能力とは別のものです。


>>(2-3)「初めに言葉が---」に続く

茶化し】 「広告は印刷されたセールスマンシップ」と最初に断定したは、ジョン・E・ケネディです。その後、ホプキンズも著書に引用していねかもしれませなんが。弘法もたまには筆のあやまりでご愛嬌。

参照
[6分間の道草](181)大もの---ジョージ・ロイス氏(13)
 >>「ぼくはコンプスに信をおかない」