創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(265)ハーブ・ルバーリン氏とのインタヴュー(5)

(アイデア別冊『ルバーリン作品集2冊目』(1988.11.10)に載せたエッセイ。[1冊目のインタヴューで語られつくしているのだけれど20年ぶりに、2冊目のために2、3、書きそえる]のつづき。)
かつての助手たちの証言によると、巨星のトレペへの下書きが読みこなせない者は、軽蔑の眼で見られたらしい。す早いトレペへの下書きにもかかわらず、巨星自身はヘッドラインを考えるときがいちばんたのしいと告白している。これは、しっかりしたコンセプトを立てるのがうまいルバーリンならではの言葉だろう。ぼくたちは、ルパーリンのことを、タイポグラフィーを扱わせたら右にでる者がいないほどの巨星、と思っている。巨星の一面をいいあてているのは事実なのだが、もっとアイデアの豊かな人物だったようだ。そして、巨星のこの才能をもっともとよく受け継いだのがジョージ・ロイス氏だと思う。いま(30年前)、広告代理店ロイス・ビッツ&ガ−ソン社の会長であるジョージ・ロイス氏は、巨星を「彼ほど、才能を見抜く力のある男を知らない」と評している。(写真:スピーチ中のルバーリン氏)


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「ノン・グラフィック」について


chuukyuu あなたが広告とデザインの仕事にタッチされて約30年になりますが、この間、米国の広告とデザインはどのように変わりましたか。


バーリン これもむずかしい問題の一つでしょうね。この30年間にはとてもたくさんのことが起こりましたから。第一に、クリエイティブ・マンが主導権を握ったということがあげられます。10年か15年前は、アカウント・マンや、マーケット・リサーチやビジネス・マンが代理店での主導権を握っていました。ところが、クリエイティブ・マンが支配するようになってきたのです。
広告界で起こった最高の進化は、ドイル・デーン・パーンバックの3語に要約できるでしょう。彼らが新しいタイプの広告をつくり出したのです。彼らが広告業全体をその究極の目的にもっていったのです。広告をするのに、全く違った方法があることを示してくれたのです。その時以来、変化が始りました。広告は今では、以前とは、全く異なったものに変わってしまいました。
もうひとつ大きな進化が行われましたが、これもやはりDDBのおかげです。つまり小さな広告代理店が業界を支配しはじめたことです。大きな代理店は,、小さな代理店よりも重んじられなくなりました。大きな代理店はこれらの小さな代理店と競い合うために、小さな代理店を彼らの巨大な機構の中にのみこもうとしています。これらの小さな代理店は、クリエイティブな面に力を入れてます。そこで大きな代理店は、これらと互角にわたりあっていくには、もっともっとクリエイティブな人びとを雇わなければならないことに気つきだしたようです。
これらの進化のおかげで、広告の複雑な性格は創造業へと変わってしまいました。広告が映画に代わって米国のショー・ビジネスを引き受けたのです。
広告がたいへん魅力的なものになってきたので、大学でも非常に才能に恵まれた生徒をマーケテイングや科学、法律、医学にとられてしまわないで、広告界に引きつけることができるようになりました。


chuukyuu 1962年のニューヨークADC展の時、あなたも確か審査員の1人でしたね。あのとき、審査員団の側から「アイデアがすべてだ(the idea's the thing)」ということがいわれましたが----これについてどうお考えになりますか?


バーリン この考え方には賛成です。米国人はアイデアに反発しますが、私たちはコンセプトを常に意識している社会に生活する人間なのです。
同時に、私たちがすぐれたデザインを美として認めるにもかかわらず、私たちは正しく理解されていないのです。それゆえ、米国のADたちがデザインを重要なものとしているのは大いに意義あることです。それに、私は、この分野において消費者を教えることがデザイナーの義務であると確信しています。


chuukyuu  アングラフィック、あるいはノングラフィックにつてどうお考えですか。この言葉は『アートデイレクション』誌に時々載っていましたが。


バーリン ノングラフィックというコトバに則していえば、広告ではアイデアがとても強い力を持っているので、コピーライターやADは、アイデアというものをたいへん重要視し、グラフィックに対してはすごく保守的です。
だから、おもしろいエキサイティングなグラフィックは、、雑誌のエディトリアルとプロモーショナル・デザインにしか見られなくなりました。なぜかと言いますと、米国のすべての広告が似たりよったりのものになりつつあるからです。ですから、デザイナーはより大きな影響力をもつデザインをつくり出さなくてはならないのです。


chuukyuu  ノングラフィックということが強調されすぎてはいませんか? ロサンゼルスのアート・センター・スクールでも、講師たちが「アイデアこそすべて」と教えていました。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツの夜の講義をのぞいたときも、やはり、そう教えていました。
しかし、デザイン学校の学生には、デザインの基礎技術は必要技術ではないでしょうか。ぼくがちょっと見た限りでは、あれでは頭デッカチの学生ができはしないかと心配です。


バーリン アイデアを持ちすぎて悪いということはありません。 問題は、アイデアは出せても、そのアイデアをバックアップするのに十分な実質が伴わないことなのです。
もちろん、よいデザイナーになるために必要な要素は、ひとつとして軽視することはできません。
今日、米国におけるデザイン学生の主要関心事は何かというと、それは、彼らが広告をやっていれば「すぐ金持ちになれる」という観念のみにふりまわされ、「徒弟」とも呼ぶべき段階の彼らが、デザインやタイポグラフイの練習、技術上の訓練、さらには私たちが生活する世界の知識を吸収することさえも怠ってしまうからなのです。
コミュニケーションの領域には、彼らの知らない、そして興味を持っていない領域がたくさんあるのです。エデイトリアル、コーポレイト・デザイン、インダストリアル・デザイン、建築デザインなどです。コミュニケーションを通じて販路を拡張するという「好ましからざる」ものが、競争のない位置へと導いてきたために、この分野で十分に自己の才能を発揮することのできるデザイン学生には、金銭的に恵まれた社会が広く開け放たれているのです。だから、学校は、学生たちにもっと教科を広げてやらなければいけないと思います。広告だけでなく、もっとほかのことにも興味を持たせるようにしなければいけませんね。


続く >>


Magazine's covers


[ピカソ・エロチック・グラヴュアース]
そういえば、この号、ルバーリン氏から手渡されたけど、書庫のどこかに?