創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(122)ジャック・ディロン氏とのインタヴュー(2)

     (DDB,副社長兼コピー・スーパバイザー)

航空会社はもうネタ切れです

chuukyuuアメリカン航空を担当していらっしゃいますが、たしか、このアカウントは1960年か1961年にDDBに来たんでしたね。あなたは最初からこれのコピーを担当していらっしゃいましたか?」
ディロン「現在は、アメリカン航空は担当していません。5年半やっていましたが、1967年11月に離れました。航空会社の広告は、もう、ネタ切れですよ。
えーと、このアカウントは1961年にDDBへ来たと思いますが、私は最初から担当したのではなく、1年後の1962年に担当しました」
chuukyuu「1人で書いてらしたのですか? それとも数人のグループで?」
ディロン「数人のグループで書いていました。デヴィド・ライダーがこのグループのスーパバイザーで、私はアシスタント・コピー・スーパバイザーとしてスタートしました。4,5人のコピーライターと、数人のアートディレクターのグループでした。
人数ははっきり覚えていませんが、月によって人数はかわっていたと思います。6ヶ月後には、私は、スーパーバイザーになっていました。
chuukyuu「このアカウントの広告をつくる上で、何か問題がありましたか?」
ディロン「このアカウントの持つ問題といったら、すべての航空会社に共通のものです。航空会社は常に果たさなければならない、しかも刺激的に果たさなければならない2,3の仕事があるのです。まず、人びとに受け入れられ、他の航空会社ではなくアメリカン航空を---と信頼を受けるだけのイメージをつくらなければなりません。
次に、これはこういったアカウントにとってもっとも厳しい特徴なのですが、とにかくフライト・スケジュールが激しく変わりますから、人びとにこのフライト・スケジュールの変化を知ってもうために、広告は常にそのフライトよりも2,3週間前に新聞、ラジオそして時にはテレビに出さなければならないのです。
50以上もの都市に飛んでいるうちに、このフライト・スケジュールがコンスタントに変わるので、これらの広告をうまくきりまわすには、かなりの人数のライターが必要になつてきます。
また、航空産業では、私たちの航空会社と他のとの違いを見つけ出すのが大苦労です。とうのは、この産業は政府当局の規制を特に厳しく受けるのですよ。
航路も政府の認可が必要ですし、料金までも政府の認可が必要なのです。だから、ひとつの航空会社が新しい料金システムをひいて、他社を驚かすようなことはできず、政府の認可を受けているうちに他社もすぐにそれを知って同じ料金システムをひいてきますし、航路についても同じことが言えます。とにかく、政府の認可を受けるためには、かなりオープンになってしまいますからね。
だから、サービスにしろ、客の扱い方にしろ、スケジュールにしろ、技術的な革新にしろ、1社に独特なものというのは、ほとんどないので、アメリカン航空をTWA特別するのに都合のいい特徴というようなものは限定されてしまいます。
エメリカン航空がすべてのジェットをファン・ジェットに換えた時にはも他社と区別をつけるためにこのことをキャンペーンに利用し2年つづけました。

ファン・ジェットのシリーズの一つで、「お見事!」と膝をうった広告の一つ。
(1枚の写真の拡大率とトリミングで伝達)


The fan-jet climb; 30% faster than ordinaty jets.
ファン・ジェットは普通のジェットより
30%早く上昇します。

アメリカン航空のファン・ジェットのお話】
これであなたは高度300,00フィートを飛べるはずです。
普通のジェットは23,000フィート。いまやふぁん・ジェットはこの標準を破り、独走態勢です。
しかも普通の飛行機より30%も余分の力がでます(ファン・ジェット・エンジンは普通のジェットの2倍の空気をとり、2倍の推力で機体を推進します)。
あたがファン・ジェットで空の旅をなさるということは、別の意味もあります。ファン・ジェット機アメリカン以外では、それほど数多くは、まだ、就航していのです。(以下省略)

航空会社の広告を創るにあたっては、いまでは珍しいのですが、人びとが飛行機に乗るということをとても恐れていて、そういうことを意識させるようなことは扱ってはいけないと考えられていた時期もありました。
私が加わる前のキャンペーンではアメリカン航空の作業にポイントを置いて「私たちは特別むの注意をはらってエンジンを検査している」というキャンペーンをはっていました。これは人びとに安心感を与えるためだったのですが、十分の役を果たしたと思います。とはいえ、とても細心の注意をはらって扱わなければならなかったようですよ。自動車広告なんかだと、その安全性を言うのに、シート・ベルトなんかでうまくやれるのですが、飛行機では、そうはいきませんからね。
エンジンに与えている細心の注意で、毎日安全性をほのめかすことはできても、飛行機は安全であるとは言えませんからね。時々墜落しますからね。現にこのキャンペーンの最中、1961年にジャマイカ・ペイでアストロ・ジェットが墜落しましたね。この時はいろいろだいへんでしたが、この飛行機に身内を乗せていた人びとから私たちの広告を責める手紙がきたりしましてね。大変でしたよ。
こういう問題や前にお話した競争会社には、ないような料金イステムがないということは困りますよ。航空産業では、料金の便宜をはかるなこともできないのですからね。たとえば、直接料金を変えるというようなことでなく、ホテル代を無料サービスにするというようなことまで、政府には料金割引とみなされてしまうんですよ」(つづく)


DDBのみごとなコピーライターたちとの単独インタヴュー(既掲出分)
デビッド・ライダー氏とのインタヴュー
(1)(2)

ロバート・レブンソン氏とのインタヴュー
(1)(2)(3)(追補)
ロン・ローゼンフェルド氏とのインタビュー
(1)(2)(3)(4)(5)(了)
フィリス・ロビンソン夫人とのインタヴュー
(1)(2)(3)(4)(5)(6)
ジョン・ノブル氏とのインタヴュー
(1)(2)(3)(4)(了)
ポーラ・グリーン夫人とのインタヴュー
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(了)
スタンレイ・リー氏とのインタヴュー
(1)(2)(3)(了)