創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(124)ジャック・ディロン氏とのインタヴュー(4)

     (DDB,副社長兼コピー・スーパバイザー)

もし、DDBでなかったら---?

chuukyuu「ディロンさんが、もし、DDBで働いていなくっても、お挙げになった脳性小児麻痺とアメリカン航空の、2つの広告をつくることはできたと思われますか?」
ディロン「そうですねえ、アメリカン航空の場合は、他の広告代理店で仕事をしていてもつくることができたと思いますよ。いわゆる大胆な広告ではありませんからね。どちらかと言えば、いまのように広告が進歩していない30〜40年昔でもつくれたような種類の広告ですからね。他の代理店でもつくれたでしょうね。


いっぽう、脳性小児麻痺のキャンペーンは、どの広告代理店にいてもつくれるというキャンペーンではないと思います。でも、DDBと同じような考え方のできる広告代理店は他にも2,3あります。それらの広告代理店ではDDB出身の人びとが働いていますから。中にはDDB出身の人びとが創立した広告代理店もありますし---たとえば、パパート・ケーニグ・ロイス社やウエルズ・リッチ・グリーン社なんかだったら脳性小児麻痺のようなコマーシャルをつくることができるでしょう。たぶんジャック・ティンカー社でもできたでしょうね。
脳性小児麻痺のほうはネガティヴなキャンペーンだから、広告のルールを破っているという見方をする人もいるでしょうが、私たちはそうは思っていませんが---。
アメりカン航空の『ファースト・クラス』の利用を推進するキャンペーンなら、ヤング&ルビカム社でも、J・W・トンプソン社でもつくりえたかもしれません。とても上品なキャンペーンで、いわゆる広告のルールなど、ひとつも破っていないようなものですからね」

chuukyuu付言】
志願によって創られた[脳性小児麻痺対策協会]への寄付金を求めるpublic TV-CM のYouTube