創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(88)バーンバック氏、広告の書き方を語る(5)

東京コピーライターズ・クラブ編『5人の広告作家』誠文堂新光社1966.3.25)からの転載。

バーンバック氏、広告の書き方を語る』
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 信条についてはどうですか? ルールと信条のあいだには何か違いあるのですか?
バーンバック あります。
私の信条は---製品の利点をアイデアが記憶に残るように伝えるということです(このために新鮮で独創的でなければなりません)。もし、この世のすべてのルールを破ることでそれができるのなら、私はこれらのルールが破られることを望みます。
自分のクリエイティブ・チームに「写真を上部に置いて、ヘッドラインを次に、それからその下にボディ・コピーを置きなさい」とはいいたくありません。
一方、「そうするな」ともいいたくありません。
しかし、ヘッドラインのないほうよりもあるほうがよい時もあります。ロゴ(商品名の合成文字)がよいときも、だめなときもあるのです。
その例を、とおつしゃるんですが? 消費者に評判の悪い製品を私が持っている、と想像してください。
さて、ロゴというのは人の名前のようなものです。あなたがよく知っている人について私がふれると、その人に関するすべてのことがあなたの心に浮かびます。それは、その人がどんな人であるかを眼前に思い浮かべさせることができます。ロゴは、ある製品に関してそれと同じことをします。
いま、私の製品が消費者にあまりいい印象を与えておらず、しかも私がその名前を大きく誌面にのせたと考えてください。消費者はその名前を見て、自分はその製品についてすべてを知っていると感じ、ページをめくってしまうでしょう。私は彼を失ってしまったのです。
でも私が、非常に好奇心をそそるような考えをそこに置き、それが彼が最初に見るものだったら、彼をその興味をそそる考えからある事実のほうへ導き、つぎにこう言います。「これがこの製品のこんにちある姿です」
私たちはここまでもってきて説得したのです。そしてこれが非常に大切なファクトになるのです。ですから、「いつでもロゴを」というのは間違いなのです。
じつをいえば、ある非常に大きな広告予算をもった見込み客がこんなことをいったことがありました。
「もし、この大きさのロゴをここへ置いてくれとぼくが要請したら、ビル、君はなんというかな?」
この答えには1,000万ドル以上がかかっていましたが、こう答えました。
「どうやら、私たちはあなたには向かない代理店のようですね、といいます」
長い目でみると、これが非常に健康的な広告代理店を作り上げてきたのではないかと思います。
なぜなら、私たちは自分たちの見解を守り通してきたからです。これが私たちに、自分がほんとうに正しいと信じるクリエイティブ・ワークだけをさせ、あの15%の手数料のために才能を安売りさせなかったのです。
なぜなら、長い間には、クライアントはあなたに、自分がどうしろといったのか忘れてしまうからです。彼が憶えているのは、それが効果があったかどうかということだけです。