創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[6分間の道草](608)『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』解説(中)


昨日につづき、処女自著・編フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社 1963.06.15に付した解説の転載・再録です。


寿量の自祝を、お許しのほどを。



       ★     ★     ★


(承前)


'54型を'64型に見せるには---。


塗装し直してください。
ね? 来年のモデルみたいですね。
来年のモデルといえば、去年のモデルのようにも見えます。そうなるようになっているのです。
VWは、いつでも同じように見えます。私たちは、変わったと見えるようにするためにではなくて、少しでもよく動くようにするためにのみ変えるからです。
ですから、'63年型のVWをお求めになった方は、'64年型がどんな型かなどと神経を使ったりはなさいません。私たちだってそんなことは考えません。
私たちは5,000,000台以上のVWをつくりましたが、いまだに改良しています。
あなたに毎年新しいのを買い替えていただくほどではありません。
でも、気をつけてご覧になればおわかりになる改良です('64年型だけでも14ヶ所)。
とにかく、あなたが何年型をお持ちであろうと、あなたは、いつでも部品を簡単に手に入れることができます。ほとんどの部品が何年経っても取替え可能だからです。
ですから、お気に召したら、あなたは長年ご愛用のVWを永遠にお使いになることもできるのです。
数年ごとに吹きつけなさればいいのです。
古い塗装の上にでもちゃんとのりますから。


C/W ボブ・レブンソン
A/D ヘルムート・クローン

"The NEWYORKER" 1963.09.21
LIFE誌 1963.10.04


How to make a '54 look like a '64.


Paint it.
See? It looks like next year's model.
And next year's model looKs like lost year's model. And so it goes.
VWs always look the some because we change the car only to make it work better, never to make it look different.
So the people who bought '63 VWs aren't nervous about what the '64s will look like. And neither are we.
We've made over 5million Volkswagens, and we're still making changes.
Not enough to make you run out and buy a new one every year.
But enough to notice the differences when you do. (14 changes for '64 alone.)
In the meantime, no matter what year VW you own, you can always get parts easily; many of them are interchangeable from one year to the next.
So if you like, you con keep your old VW running forever.
Just spray it every few years. old point rides again.


C/W Bob Levenson
A/D Helmut Krone
"The NEWYORKER" 1963.09.21
"LIFE" 1963.10.04

DDBの哲学(フィロソフィー)


DDBという広告代理店の哲学をご紹介しましょう。
VWの広告のやり方を理解するためには、どうしても、この会社の広告哲学を知っておく必要があるからです。
DDBは、1949年6月1日に設立されました。
その年は、オーバックス百貨店のほかには、見るべきクライアントもなかったようです。


(chuukyuu注)同年末に、破産寸前のリヴィ・パンがやってきたそうです。


その後の扱い高の増加ぶりを見ると、


1950年  210万ドル
 51    260 〃
 52    350 〃
 53    510 〃
 54    800 〃
 55  1,170 〃
 56  1,630 〃
 57  2,020 〃
 58  2,200 〃
 59  2,750 〃
 60  4,640 〃
 61  5,050 〃
 62  6,200 〃


というわけで、その成長ぶりは戦後スタートした代理店の中では群を抜いています。


(chuukyuu注)上梓以後に手に入った扱い高データは次のとおり。



アメリカVW社のキャンペーンを手がけて以後の伸びが、とりわけ顕著。


1962年には、扱い高の点でも全米で第19位の代理店にのし上がっています。
アメリカ・フォルクスワーゲン社がDDBを選んだ理由として、 「その独創的な制作態度」をかったからだと先述しておきましたが、実はDDBのこの「独創的な制作態度」が、同社を今日の発展にまで導いているのです。


1955年4月1日号の『プリンターズ・インク』誌に、バーンバック社長の「印刷広告でも、テレビでも、よい広告をつくるのは、よいアイデアだ」と題する論文が紹介されています。
すこし長くなりますが、DDBを知るカギとなる文ですから、「広告原則の実地応用」という項を引用しましょう。


ぬかりなくつくられた広告原則をいくつか考えてみよう。
そして、この原則が印刷による伝達法にも、電波による伝達法にも同様に応用できるかどうかを確かめてみよう。


�人物や製品をできるだけ真実らしく扱う。
ただ、何かの絵というのではなく、実物そのものに扱う。
この簡単な教えを守っている、印刷広告の中には、最も効果的なものが多い。
また、最も効果的といわれるテレビ番組でも、テレビ・コマーシャルでも、この教えを守っているのが多い。
テレビのスクリーンは比較的せまいから、どちらかといえば、印刷広告でよりもテレビ広告の場合にこの教えがより重要といえる。


�広告する製品の本質に触れよ。
広告する製品の利点をわかりやすい簡潔な言葉でのべ、この利点をマザマザと明白におぼえやすく現わせ。
これは印刷広告の基礎原則だ。
ところがいわれる割に実行されていない。
しかし、この原則は印刷広告でよりもテレビの場合の方がもっと重要だとはいえないだろうか?
なんといっても、印刷広告ならば読みかえそうと思えば何度でも読みかえせる。
ところが、テレビのコマーシャルの場合は、いったんすんでしまったら読みかえすことも聞きなおすこともできないのだから---。


�商品はできるだけ小道具扱いにしないで、主役にせよ。
これは製品をおぼえさせるテクニックとして非常に有効である。
なぜなら広告の中の刺戟的な要素は、即ち製品を売る要素なんだから---。
ここで訓練された創造力が必要になる。
これはスペースよりもテレビの方でもっと力強く応用できるのではなかろうか。


�巧妙に表現すれば、製品には持ちまえの面白さがある。
商品は人の興味をひくという事実を軽視したり忘れたりする傾向のあるのは悲しむべきことだ。
製品そのものが人の注意をひく最良の手段となることが多い。
注意をひくためにワザワザ、赤ん坊や犬を使う必要はない---印刷でも、テレビでも---。



2,3年も乗ってれば、すてきに見えてきます。


「不恰好---ですよね?」
「なんともね」
「考えも考えたりだよ」
「笑いのタネさ」
「豚ちゃん」
『ニューヨーク』誌いわく、「ところでVWだが、ほかの車よりも価値が下がらない。 1956年型VWは、キャデラックを例外として、同年につくられたどのアメリカ製セダンよりも値段が高い」
1リットルで約11.5km。オイルはクォート単位じゃなくパイント単位。ラジエーターなし。
リア・エンジン駆動。
安い保険料。
価格は1,799ドル。
すてきじゃありませんか?


C/W ボブ・レブンソン
A/D ヘルムート・クローン

(これも、『ニョーヨーカー』誌には出稿されていません)
LIFE誌 1969.06.06


After a few years, it starts to look beautiful.


"Ugly. Isn't it?"
"N0 class."
"Looks like an afte rthought."
"Good for laughs."
"Stubby buggy."
"El Pig-o."
New York Magazine said: "And then there is the VW, which retains its value better than anything else. A 1956 VW is worth more today than any American sedan built the same year, with the possible exception of a Cadillac."
Around 27 miles to the gallon. Pints of oil instead of quarts. No radiator.
Rear engine traction.
Low insurance.
$1,799* is the price.·
Beautiful, isn't it?


C/W Bob Levenson
A/D Helmut Krone
"LIFE" 1969.06.06


人はよいものを好む。
製品を美しく見せれば人はそれを自分のものにしたく思う。
おかしなことには、広告業者はおとくい広告主の"商品を見せよ"という注文に悩んできた。
ところが、商品を隠して売ろうとする販売員にはまだお目にかかったことがない。

たしかにテレビで巧妙に商品を見せる手法はあるにはあるが、この手法が開拓されつくしたとはいえない。
そして、今用いられている手法以外に新しい手法はまだ生まれていない。
私はこう信じている---もしも技術者がそれを技術的に解決せずにはいられないほどのすばらしいアイデアを、やってできぬことのない創造者が考えだしたら、こうした新手法が早く利用できるようになると---。


�広告には物理的な視覚中心がある。
これは支配的な一つの大きい部分であって、そのスペースを分割し、読む気を殺ぐたくさんの小さい部分ではない。
この原則は、そのままテレビにも当てはまるだろう。


以上の他にも、印刷にもテレビにも共通する原則はある(多くはない。というのは広告の作成には他の芸術と同じく、ごく数少ない単純な前提しかいらないから)。しかし、要点はむずかしくない---肝心なのはアイデアだ!
(訳文は『広告と販売』第42号。松本善之助氏の訳による)


この論文が書かれたころのDDBは、ちっぽけな代理店にすぎませんでした。


クライアントも、オーバックス百貨店、リヴィ・パンに、新しくマックス・ファクター、ケムストランド・ナイロン、カルフォルニア・コール水着、バクストン皮革製品といったところが加わり、ようやく、その「独創的な制作態度」が認められかかったところでした。


もちろん、フォルクスワーゲンの広告はつくっていません。
しかし、この小論でバーンバック社長が強調している広告に対する考え方は、その後のVWの広告にそっくり生かされているのです。


そして、VWの広告のつくり方が最もすぐれたやり方の一つとして、多くの広告関係者に今日認められていることは、バーンバック社長の制作哲学がはじめから正しかったことを証明しています。


私は、彼の言葉の中で、とくに、 「広告する製品の本質に触れよ。広告する製品の利点をわかりやすく簡潔な言葉でのべ、この利点をマザマザと明白に、おぼえやすく表わせ」という忠告をキモに銘じて、自分の広告制作の座右の銘としています。


また、「巧妙に表現すれば、製品には持ちまえの面白さがある」というくだりは、私が制作しなければならない製品をみるときの視点としているほどです。


私事は措きまして、これほど徹底したDDBの制作哲学を、さらにロバート(ボブ)・ゲイジ副社長の口からきくと、


「私たちは、ビジュアル・トリックにたよって読者の注意をひこうと考えたことは一度もない。
製品自体に関する冷厳な事実の中から、直かにひきだすこと、これがDDBの基本的な創造のやり方である」


「私たちは、可能な限り、ストレートな事実の上に想像力を働かせるように努めている。私たちはクライアントの製品に関するすべてのこと---その製品がつくられるときのことから、その製品を買うほうが競争品を買うよりトクになると買い手が確信するであろう特別な長所まで---を知ろうと努める。


製品はショーの主役のようなものだ。
もし、ディレクターがよい主役を与えられているのに、その主役には関係のないアイデアでそれを囲んでしまうようなことをすれば、そのショーはつまらないものになるだろう」
(The Print "DDB" Nov/Dec.1961 by Jules Perel)


要するに、DDBの基本的なやり方は、製品の中からストーリーを導き出すやり方です。調査資料からでもなければ、表現上の流行からでもありません。


製品そのものから・・・です。


もっとも、こうしたやり方は決して目新しいものではありません。
どんなつまらない広告のつくり方の本にでも書いてある原則ですし、少々広告の仕事に従事した人なら、だれでも知っている原則です。


(ただし、日本では広告産業の急激な成長による人材不足を補うために、未教育な新人を第一線に送り出したり、他産業・・・たとえば映画、演劇、出版、教壇など・・・から出かせぎ的人材を借りているため、こんな初歩的な原則すら弁えていない人が多いようです)

(chuukyuuのお断り 47年前のことです。)


しかし、原則を知っていることと、実際にその原則をふんまえた広告をつくることとはかならずしも一致しないのが現実というものです。


私は思うのですが、アメリカの広告代理店が日本の広告代理店と根本的に異なっているのは、アメリカの代理店は、それぞれの社に、それぞれの哲学(広告論)があって、その哲学に基づいた広告をつくっているけれど、日本の代理店にはそうした哲学がないという点も一つです。


そして、これは、ものすごく意味のある一つです。
(再び、chuukyuuのお断り 47年前のことです。 )


したがって、DDBが、バーンバック社長やゲイジ副社長の言棄どおりの広告をつくっているのは、むしろ、当然のことです。


DDBのプロフィールを知っていただくために、1958年にマーチン・メイヤーが書いた『マジソン・アべニューUSA」』(邦題『これが広告だ』電通調査局訳)から引用しましょう。


バーンバックは自分自身のことを少しも語らないが、広告のあらゆる面で経験を積んだ完全なアド・マンだ。
彼が本格的に広告界に入ったのは1939年のことで、最初はニューヨーク万国博覧会の調査部長を勤めた。
'43年には、ウェイントローブ社のPR部長になり、'45年にはグレイ・アドバタイジング社に入り、広告制作部門の主任を命ぜられた。


トントン拍子で出世し、2年後には広告制作担当の副社長となり、'49年には自分の代理業ドイル・デーン・バーンバックの社長になった。
彼は(アド・メーカー)と自称するように秀れた制作者で、コピーもよく書き絵も上手だ。
さらにマネージの腕はすばらしく、タレントを育てる才能もたいしたものだ。
例えば、アートディレクターのボブ・ゲージとコピー・スーパパイザーのフィリス・ロビンソンは同代理店の制作部門を牛耳っているが、バーンバックがその才能を見抜き、若いにもかかわらず抜擢して重要な地位につけた人たちである。


多くの代理店社長とちがい、バーンバックはセールスマンではない。
彼はいう----


「人びとがやってくる。私をみてガッカリするのがよくわかる。
私は彼らが期待したような人物---- 腕ききのハックスター ≪ちんどん屋≫ではないのだ」
彼は小さい方だが、明るい青い目のなかなかの美男子だ。
普通のアド・マンとちがい服もネクタイも至ってジミだ。


バーンバックは1956年に4A(米広告業者協会)の地区大会で「ちがったものをつくるコツ」と題する講演をしたが、彼の広告原理はその中によく出ている。
同講演で彼は次のように述べた。


「人びとは何故あなたの広告を見るのか。
大衆が雑誌を買い、ラジオやテレビのスイッチを入れるのは、なにもあなたのいいたいことを見たり聴いたりするためではない。
いいかえれば、あたりまえの広告は誰も読もうとしないのだ。
広告は新鮮さ、オリジナリティ、想像性の三つを持たなければ絶対に読まれないものだ。
要するに、他とは何かちがったものがなければならないのだ」


バーンバックは訴求に強烈さの必要なことを決して忘れてはいない。
たとえば、ポラロイド・カメラやオーバックス百貨店のキャンベーンでは、強い訴求のためにヘッドラインを何十回も変えている。


ただ、バーンバックは一番重要なのは道具立てだというのだ。
「この道具立ては、一つの視覚イメージで、それが読者の目をひき、広告文句を聴かせる」と彼は強く主張している。


DDB社のアートディレクター、ボブ・ゲイジは次のようにいう。
「われわれは、あらゆるものを一つのアイデアに煮つめ、それを最も訴求力の強いアイデアにしようとする。
われわれは思考の面でも経済化をはかる。
広告の中に、装飾ではなくリアリズムを求める。役立ない要素はいっさい、広告から排除するのだ」




'51 '52 '53 '54 '55 '56 '57 '58 '59 '60 '61年型フォルクスワーゲン


フォルクスワーゲンをつくりはじめてからこのかた、私たちは、時間と努力のすべてを、ただ一つの基本的な型に注いできました。
私たちがたくさんの実践を行なってきたことはわかっていただけるでしょう。
私たちは、VWの各部分がとてもぴったり嵌合するようにつくってきたので、完成車はまったく気密です。
エンジンも非常に注意深く工作し、組み立てているので、VWは新車のときから一日中トップ・スピードで走らせることができます。
私たちは、軽々しく変更を行なったりしません。またVWが違って見えるように変えたりしません。ただ性能をよくするためにだけ変えるのです。
万一変更をするような場合には、私たちは新しい部品も以前の型のフォルクスワーゲンにも合うようにします。
この結果、フォルクスワーゲンの特約ディーラーは、何年型のフォルクスワーゲンでも直すことができるというわけです。最初のVWだって直せます(なぜかって? 何年型でも取り替えのきく部品を使っているからです)。
もしあなたが、毎年または2年ごとに流行遅れになる車と、絶対にそういうことのない車のどちらにするか、とせまられたらどちらになさるでしょうか?


C/W ボブ・レブンソン
A/D ヘルムート・クローン

(これも、『ニューヨーカー』誌には出稿されていません)
LIFE誌 1961.02.10




The '51 '52 '53 '54 '55 '56 '57 '58 '59 '60 '61 Volkswagen.


Ever since we started making Volkswagens, we've put all our time and effort into the one basic model.
You can see we've had lots of practice.
We've learned to make every part of the VW fit every other part so well, the finished car is practically air-tight.
The engine is so carefully machined and assembled, you can drive a brand new VW at top speed all day.
We don't make changes lightly. And never to make the VW look different; only to make it work better.
When we do make a change, we go out of our way to make the new part fit older Volkswagens, too.
With this result: An authorized Volkswagen dealer can repair any year's Volkswagen, even the earliest. (Why not? They use mostly interchangeable parts!)
If you had to decide between a car that went out of style every year or two and a car that never did, which would it be?


C/W Bob Levenson
A/D Helmut Krone
"LIFE" 1961.02.10


オーバックス、ケムストランド、コ一ルなど3社のキャンペーンに、バーンバックとゲイジは漫画に写真を用いた。
一つのアイデアを表現するためにリアルでないシチュエーション(漫画)の中に、リアルな人間を入れたのだ。


いったい、DDB社は、ユーモアの効果を確信している (オグルビーによればユーモラスな広告は効果がない---物を売らないという)。
バーンバックもユーモアを無条件で強調しはしない。ゲイジも「広告に用いるユーモアは、構想を練りに練ったものでなければならない。
ユーモラスな要素が多すぎると効果がなくなるのだ。
人は一度に、ただ一つのものしか見ないものだ」と述べている。

(人名の呼び方は私流に統一した)


☆メイーは誤記しています。

文中のオーバックス百貸店は確かにバーンバック社長とゲイジ副社長が制作したキャンペーンですが、ケムストランド・ナイロンは、トウビンというアートディレクター兼副社長とプロタス(Judy Protas) というコピーライターがつくっている広告です。
なお、カルフォルニア・コール水着のアートディレクターはゲイジです。☆

(chuukyuuの反省 ☆〜☆のあいだの文は、若書きのいたらしめたところで、削除したい感じです)


トウビンは、DDBのアートディレクターの中でもとくに多彩な才能の持ち主ですが、彼はDDBの広告制作のプロセスについて、


アカウント・エクゼクテイブが制作部門に問題を持ってくる。その問題をアートディレクターとコピーライターが同時にきく。そして両者間のやりとりが起きる。
それが終わって見ると、その決められたアイデアは、一体だれが一番先にいいだしたものやらわかる人はいない。
アートディレクターが見出しを考えたかもしれない。
コピーライターが絵の扱い方を考えたかもしれない。
そんなことは問題ではない。
このアート=コピー会談の出発点はこうだ。「この広告は、そのメッセージを首尾よく伝えるために何を必要としているか?」


フォーマットについて、予想された感じというものはない。私たちはソフト・フォーカスでいくなどとは考えないし、大体、その広告が写真を使うかどうかも全くわからないのだから。


このアート=コピー会談は必要な手順だが、正式に行なわれるものではない。
ブレーン・ストーミングとかグループ討議(group-think effort)とは全く似たところがない。
2人の高度に創造的な人間がいるだけ----それはアートディレクターとコピーライターで、彼らが静かに働くだけだ。


と語っています。


アートディレクターとコピーライターの2人だけによる広告の制作、これは、日本では当然のことのようにきこえるかもしれませんが、科学的広告法と称して、調査を重視したり、ブレーン・ストーミングによって広告をつくところが多いアメリカの広告界では特異なやり方に属しています。


そういえば、DDBは調査や企画書を制作のときにはあまり重視しません。「調査も確かに広告のうえで役割をもっているが、広告制作時の主役ではない」といい、バーンバック社長は広告主に「だいたい、マーケティング・プランなどというものは、いまだかつて商品を売ったためしがない---もし、実際の広告原稿が潜在消費者をハッキリつかまないかぎり---」と語るといいます。


また、メイヤーはDDBのユーモアについても触れていますが、VWの広告も実にユーモラスにつくられています。


このユーモアについてマクネイリー氏は手紙で、


「人は読まなければ信用しません。
信用しなければ買いません。
そこで、読ますために、ユーモアの力を借りることもあるのです」

と教えてくれました。

しかし、DDBが最も変わっているのは、ゲイジ副社長があるところで、


「私たちは、クライアントをゴルフ場で拾うようなバカなことはしない。彼らは、われわれのやり方を尊敬して、われわれのところへ来てくれる」


と自慢していること。


実際にそのとおりなのです。
VWもDDBへやって釆ました


メイヤーの前掲書では、ジョー・ダリーというDDBのアカウント・エグゼクテイブの言葉として、


「われわれが新規の広告主と取引きを始めると、まずこの方針を納得させる。
われわれは彼らに必ずいう---


『私共は広告のつくり方を知っている。
そこで、あなたは私共のやり方を承認しなければならないし、あなた好みの広告を私共につくらせようと思ってはならない。


もちろん、広告の修正をみとめる場合はある。
しかしそれは、 現実にまちがっているときか、広告主の社是に反するか、この二つの場合だけである』」


とにかく、「広告は科学ではないのだ。それは説得であるし、そして説得は一つのアートなのだ」という、バーンバックのゆき方は、私には興味をそそる哲学です。


お断り:敬称略。


お断り、もう一つ---1963年の段階で、ぼくはアメリカの土を踏んだことはなく、すべて手紙のやりとりでまとめました。DDBを初めて訪問したのは、本書の上梓の4年後でした。



明日に、つづく。