創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(51)DDBのチーム・プレイを語る(了)

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   DDB副社長兼コピースーパバイザー ジョン・ノブル
   DDB副社長兼ア−トスーパバイザー ロイ・グレイス 

これは、『DDBニュース』1970年2月号に載ったインタヴューを、ご本人たちの許可を得て、拙編『DDBドキュメント』(ブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載したものです。

50パーセントは信ずるもののための戦い


「あなたが強くお感じになっていると思うのですが、自分がつくった広告のための戦いについてお話しください」
グレイス「ええ、仕事の50パーセントがつくることで、あとの50パーセントはそのつくった仕事のための戦いです。自分の信ずるもののための戦いです。
ほとんどの人がそういう仕事を喜んでやる気構えでいるのですが、最初の段階で屈服してしまいます。いかにあなたが世界最高のタレントであっても、偉大な仕事をやっているチームであっても、その仕事を守る意志がなかったら、決して日の目をみないでしょう」
ノブル「若いクリエイティブ・マンに、そのコンセプトを簡単にあきらめせることのできるアカウント・マンがいますからね。
でも、クリエイティブ部門で認可されたコンセプトだったら、アカウント・マンのところへ行っても悪いものになるはずがないのですから。確かに、ある種の問題はあるかもしれませんが、クリエイティブ・マンがアカウント・マンに会ってすぐ戻ってきて『だれそれがこんなのやれないといったから、これはダメだよ』なんていうのは、間違ってます。戦いがあるべきですよ」
「なぜ戦えないのだと思いますか?」
グレイス「たぶん、不安のためでしょうね。でももし、アートディレクターとコピーライターがそのコンセプトを20時間使ってもやるに値するほど正しいものだと考えたら、はっきりと考えを口に出せるようでなければなりません。
さもなければ、ともかく『投げ出さない』というのではなく、アカウント・マンに彼らの間違いを指摘できるようでなくてはなりません。
広告を投げるのは彼の特権ではありません。彼の仕事は広告を売ることなのです。
でも、この受身的立場と、この技量を欠いているというのこそ、まさにアートディレクターとコピーライターの欠陥なのです」
ノブル「そしてここにはチームの持つ厄介なものが入り込んでくるのです。というのは、アカウント・マンのオフィスへ、自分の味方を2対1で出かけてゆくほど厄介なことはないのですよ。5分もするとチームの一人が『そうね、彼が正しいよ』といってしまう---するともう負けですからね」
グレイス「もしアカウント・マンが、彼らが誤っていることを彼らに5分で説得できるようなものだったら、その広告をかかえてアカウント・マンのオフィスにそれ以上いるべきでないのです。広告が全く間違っているか、チームの2人が間違っているかのどっちかなのですからね。どっちかがだめなんですよ」
ノプル「アカウント・マンのところへ行く時には、あなたはその広告に関するすべての問題がわかっているはずです。もしアカウント・マンが自分の仕事をあらかじめやってしまっているなら、彼はその広告に関するすべてのことをチームの2人に話してあるはずなのです。
つまり、2人のつくった広告を持ってアカウント・マンのところへ行く時には、その広告が正しいのであるという確信を持った、プロのクリエイティブ・マンになりきっていなければならないわけです」

常に8割打者であるために---


グレイス「8割打者でなければなりません。時にはミスをすることもあれば、2人が合わないこともあっていいのです。しかし10回のうち8回は、ピッタリ息を合わせて行かなければなりません。そうでなかったら、そのチームには何か欠陥があるのです。2人が十分優秀でなく才能を持ち合わせていないか、それとも自分たちがしていることを十分理解できていないかのどちらかなのです。
それともただこわいだけなのかもしれません。
つくった広告が大変いいものであれば、議論の余地はないはずですし、アカウント・マンとても自ら頭痛の種をまきたくはないのですから、むやみに『ダメ』とはいわないはずです。『それはぼくの知ったことではない。君の問題だ。この広告は正しい』と。
しかし、アカウント・マンに、その広告をダメだという場合、その理由を期待するように、2人もその広告が正しい理由を知っていなければなりません。
それは、生死の問題、広告が生きるか死ぬかの瀬戸際なのです。だからチームは彼らがつかんかだ広告の背後にあるものをすべて押し出す意志というものを持っていなければなりません」


塗装に塗装を重ねます。

私たちがフォルクスワーゲンを塗装する前にしていることを見ていただきたいと思います。
蒸気に浸し、アルカリ液に浸し、燐酸塩液に浸します。それから、中和溶液に浸します。
そのあと、青灰色の下塗り液に浸します。外も内もすっかり浸るまで---。
アメリカでは、ほんの1社がこうしているだけです。でも、この会社はフォルクスワーゲンの3〜4倍の値段をつけています。
(私たちは、経済車をつくる最良の方法は、十分にお金をかけることだと思っています。)
浸す作業が終わると、今度は、焼き、そして手で磨きをかけます。それから塗装するのです。また、焼き、手磨き。
もう一度、塗装。
それからまた、焼き。
そしたら、磨き。
3度も、塗り、焼き、磨いてんだから、もういいとお考えですね?
まだなんです。


【ひとりごと】グレイス氏の、作品をクライアント(依頼主)のところへ提示にゆくアカウント・マン(得意先担当者)との激しいやりとりについての発言は、DDBにおいても日常におきていることを暗示しています。---まあ、グレイス氏の発言は部下のアートディレクターたちを強く意識していますが---DDBといえども100%天国ではないという---当然のことを示しているのでしょう。
このことについては、[第2部 DDBの組織]や、創業者の1人であるネッド・ドイル氏[DDBのやり方を語る(1)〜(4)]がある程度のことを語っています。


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