創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(50)DDBのチーム・プレイを語る(3)

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DDBニュース』1970年2月号に載ったインタヴューを、ご本人たちの許可を得て、拙編『DDBドキュメント』(ブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載したものです。 
   DDB副社長兼コピースーパバイザー ジョン・ノブル

   DDB副社長兼ア−トスーパバイザー ロイ・グレイス

 

ベッドの中でも朝起きてもかんがえるのは仕事のこと

「仕事と夫婦生活しているとおっしゃいましたが、夜も昼もひょいと解決策が飛び出してくるような問題にかきまわされているわけですか?」
ノブル「いつもいつも、考えるのをやめるなどということはできない状態なのです。その点、汽車通勤というのはいいですね。汽車に乗っていては仕事のことのほかすることがありませんから。
そしてベッドにつく時、最後に考えるのは仕事のこと、朝起きて最初に考えるのも仕事のことなのです。
そして、だれかと一緒に仕事をするのでいいのは、その点なのです。
ベッドにつく時には、夜、おもいついたコンセプトを愛して眠ります。そして朝起きると、そのコンセプトに疑問を持っています。オフィスにつくころには、全くすごい---と思うようになっています。でも、少なくとも、そのコンセプトを試してみるように頼める人がいるのです。自分が考えついたのを没にするには、大変な力がいりますからね」
グレイス「こんなことをいうのはいやなのですが---ひげを剃っているときに---2,3日前に起こったからその前夜に起こったことなどのすべての情景が浮かんできます。まるであらゆる小さな部分を統合しているかのようです---アイデアはこんなふうにしてクリエイトされるものなのだと思います。
で、ひげを剃っている---と突然『ウワー、ヤッタ! すげえのができた!』と叫んで、ひげを剃るのももどかしく、オフィスにつくのも待ちきれないで、早く着手したくいてしょうがなくなるのです。
そういった時が、ぼくにとっては仕事が最高にエキサイティングな時なのです。
イデアというアイデアが最初にひらめく時っていうのは、まるで閃光のようです---
でも、それからあとは下り坂です」
ノブル「知っているひげづらのアートディレクターたちもそうらしいね」
「その閃光のことですが---」
グレイス「どんなものか教えてあげましょう。そうですね、ジョンが先週『1』といいました。1日後に僕が『2』といいました。
それからジョンが『4』といって、ついに数字は『10』にまで達しました。
すると突然、それらをすべて結びつけ、『10』にまでならしめる失われていた部分が現れるのです。そしてそれは、まるで魔法の閃光がひらめくようなのですよ。それが効力があるというのがはっきりわかるのですよ。それが正しいとわかるのですよ。
それから、そのアイデアをうまくあらわそうとする段階に入ると、またいろいろな問題がでてきます。つまり、その履行の段階でそれを失ってしまうこともあるわけです」


【chuukyuuのひとりごと】
[DDBのチーム・プレイを語る(1)]で、ノブル氏とグレイス氏がカクテル・パーティで尊敬されることができた[ジョーンズ氏とケンプラー氏]の2軒の家のCMのコマ取りとYouTubeを用意しました。

イデアは雑誌広告へも転用され、メディアの違いによる訴求力の差をはっきりと示しています。


途方もない値段の車の購入費でこれだけ変えます。

最近の新車の平均購入価格は3,260ドル(自動車工業会の調査)。
3,260ドルあれば、新しいレンジ、冷蔵庫、乾燥機、洗たく機、テレビ2台、レコード・プレヤー、そして1,639ドルのフォルクスワーケゲンが買えます。
もちろん、途方もない値段の車についているような手のこんだ付属品は、私たちの小さなバケットシートにはついていません(たとえば、電動式灰皿クリーナーとか太陽が出ると消えるヘッドライトなど)。
しかし、おいしい食料品、清潔な衣料、すばらしい音楽、そしてカラーで再上映される夏を見るチャンスつきといえます。
すてきな値段がつていないといって、フォルクスワーゲンに眉をおひそめになる方がたくさんいらっしゃいます。
もう一度見直してください。
あなたが手に入れられるものがどんなにすてきかを。


TV−CMの、あの童話のようなのどかさやおかしみが、ここではほとんど滲みでてこない---と思うのは、ぼくだけかも。
”Nobody's perfect"といいます。目をつむってパソコンの透過光による疲れを癒しましょう。



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