創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(256)ロイ・グレイスの『名誉の殿堂』入り(1)

      Mr.Roy Grace appointed "Hall of Fame" members


1986年のニューヨーク・アートディレクターズ・クラブは、15回目の『名誉の殿堂』入りを決めた。その4人の中に、DDBのアートディレクターのロイ・グレイス氏(写真)が故・ウォルト・ディズニー氏とともに指名されていた。DDBからは初年度のボブ・ゲイジ氏、第8回目のヘルムート・クローン氏、第10回目のビル・トウビン氏、前年のレン・シローイッツ氏につづく名誉だった。1社の広告代理店から複数のアートディレクターが指名されるのはきわめて稀な例である。ほかにはPKL時代のジョージ・ロイス氏とサム・スカリ氏の例があるだけであった(ただし、1986年までにかぎって)。N.Y.ADCがグレイス氏に捧げた祝辞を、氏の作品とともに、数回にわたって抜粋・紹介しよう。


20年前には、ユーモラスなコマーシャルは不適切であると、ほとんどの広告代理店とクライアントが考えていた。
にもかかわらず、ロイ・グレースは、アルカ・セルツァー(制酸薬)の[スパイシー・ミートボール(乙な味のミートボール)]と、フォルクスワーゲンの[ジョーンズ氏とクランプラー氏]を創ってみせた。
彼の知性と独創性とすぐれたユーモア感覚で製品の品質を際立たせるという輝かしい経歴は、ドイル・デーン・バーンバックで始まったといっていいだろう。
そのテレビ・スポットは、観手を心から楽しませ、忘れ難いものにしている。
事実、[スパイシー・ミートボール]のCMは、1960年〜80年に放映された最優秀コーシャルを選定する機構IBA(国際放送広告)で大賞を得た。定石を無視する危険を冒してでも個性的であろうとするグレイスの意欲が高く賞賛されたのである。この賞は彼に授与された多くの名誉の1つであり、ほかにも多くの賞---クリオ賞25個、ニューヨーク・アートディレクターズ・クラブからは金賞9個と銀賞8個、アンディでは8個、ワン・ショーからは金賞7個と銀賞8個、カンヌのフィルム・フェスティヴァルからは金獅子5個と銀獅子3個をすでに得ている。
現代美術館が収蔵している17本の古典となるコマーシャルのうちの4本がロイ・グレイスがアートディレクトしたものであり、U.S.クリオは彼のものを6本「名誉の殿堂]に入れている。(つづく

アルカ・セルツァーTV-CM [わさびの効いたミートボール
(カラーの1コマが見つかったので、とりあえず)


ミートボール・スパゲッティの撮影風景。幾度もN.G.つづきで食べる役の俳優の胃袋はいっぱい。「O.K」が出た途端に、後ろの電子レンジの扉がバタンと音を立てて開き、またもN.G.。食べすぎにはアルカ・セルツァー。


【参照】ロイ・グレイス氏とチームを組んでいたコピーライター、ジョン・ノブル氏との対話。

DDBのチーム・プレイを語る] (1234)