創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(536)DDBのチーム・プレーを語る


これは、DDBニュース』1970年2月号に載ったインタヴューを、ご本人たちの許可を得て、拙編DDBドキュメントブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載したものです。


DDB副社長兼コピースーパバイザー(当時) ジョン・ノブル
DDB副社長兼ア−トスーパバイザー(当時) ロイ・グレイス 


よくない広告をよくするほうが楽


「クリエイティブ・チームとしては、すでに完成されてしまっているキャンペーンに配属されたほうがいいですか、それともまずい広告しかされたことのない商品に取り掛かるほうがいいですか?」


ノブル「どっちが好きかっていうことになると話は別ですが、VWビートルのキャンペーンを担当して、それをもっといいものにするよりも、よくないものをよくするほうが楽ですよ。
でも、ぼくたちとしては、VWのキャンペーンをよりよいものにできたと思いますが、これは大変な苦労でした」


「それでは、アルカ・セルツァー(制酸薬)がきた時、このアカウントにクリエイティブ・ピープルが殺到しましたか?」


グレイス「すぐれた広告の雰囲気の中には、ある種のチャンスというものが存在しています。アルカ・セルツァーの場合は、広告主がよい水準の仕事に慣れているということをぼくたちは知っていました。
だれでもそういった種類のチャンスというものを欲します。
テレビ・コマーシャルもたくさんつくりますし、みんなテレビをやりたがります」


フォルクスワーゲンの時のようにですか?」


グレイス「そのとおり。まったく同じことです。
両方ともあるレベル以上の仕事にそれまで接してきています。
アカウントの規模も重要な意味を持ってきます。
アカウントが大きければ、たくさんの量の仕事をするチャンスに恵まれ、よりたくさん掲載されることにもなります」

困難なのは、常によい広告をつくりつづけること

ノブル「でも、DDBの人間なら、だれでもすぐれたVWビートルの広告あるいはコマーシャルを1点ぐらいならつくることができます。
アルカ・セルツァーの場合も同じです。
しかし、維持するとなると、大変なわけです」


グレイスVWの平凡な広告をつくって、それで終わってしまうことも簡単にできます。
というのは、その広告を見た人びとは『ほら、ここにVWの広告が出ているよ。きっといい広告に違いないね』というでしょうからね。
重要なのは、時々利発さをひらめかすことではなく、それを常にやるということです。
最初の質問にもどりますが、すでに完成されたキャンペーンを維持して行くということよりも、以前にはひどい広告だったものを担当して、立派なのをつくるということのほうが、たぶん、ずっと報いが大きいと思いますね」


「VWの広告をつくるのにあきませんか?」


グレイス「そうですね。ぼくはいま、主としてアルカ・セルツァーをやっています。
ジョンとVWのためのコマーシャルもやっていますが、ワゴンのものだけです。先月、かぶと虫のチームとしては、ぼくたちは解散してしまいました」


ノブル「ぼくはVWにはあきあきしてしまいました。
でも、VWのほかにはやりたいと思うものは見あたりませんね。
このアカウントを引き継ぐ人は大変だと思います。
人びとが目にしないような仕事もたくさんありますからね。
VWのグループには、アートディレクターが6人、コピーライターが7人いて、人びとが目にしないような小スペースとか、観光パンフレットとかを含めて、毎年すくなくても400から500点の仕事をしています。ライフ誌だとかテレビの『ジョーンズ氏とクランプラー氏』などはだれでも見ますが、そのほかにも恐ろしいほどたくさんの仕事はあるのですからね」

フォルクスワーゲンのTV-CM
「ジョーンズ氏とクランプラー氏」



建売住宅らしい2軒の家。
左がジョーンズ家、右がクランプラー家。
朝、2人は挨拶をかわして徒歩で左右にわかれる。
やがて、ジョーンズ氏がフォードらしい車で帰ってくる。


アナ「ジョーンズ氏とクランプラー氏はお隣同士です。2人とも3,000ドルずつ持っています。
ジョーンズ氏は、そのお金で3,000ドルの車を買いました。
ランプラー氏は、そのお金で、新しい冷蔵庫とガス・レンジ、新しい洗濯機、新しい乾燥機、新しいステレオ、新しいテレビ2台と、新しいフォルクスワーゲンを買いました。
そこでジョーンズさんは、今、お隣さんの生活水準に合わせなくちゃならないという問題を抱え込こんでいます」


映画監督の羽仁 進さんは、このコマーシャルを見てうなりました。
やや高めにカメラを据えっぱなしにして2軒の家を俯瞰ぎみに写しているから、見ている側は心理的に、客観的に比較している気分になる。
つまり、広告と思わないで、社会時評のような感じで見てしまう。
うまいカメラ・アングルをとったものだと。

まあ、ストーリーはお伽話的で、アナウンサーの口調も子どもに絵本を読んでやっているようなのですが、それをカメラ・ポジションでリアル化しているんですね。

チームのメンバーは拒否権を持っている


「2人がチームとして働くようになったのは、どうしてですか?」


グレイス「さあね。傾向じゃないですか」


「2人の人間がいっしょにクリエイトするという意味のですか?」


グレイス「ええ、何か成長しているものに貢献しているという雰囲気です」


「チームを組んでいる相手とうまく行かないというのは、どういったときにわかりますか?」


グレイス「自分が、ほかの人たちがいっていることが気に入らず、その人たちも自分のいっていることが気に入らない時。一つのアイデアを異なったふうに見、表現してしまう時などです」


ノブル「それは5分でわかる時もあれば、何ヶ月もかかることもあります。
そしてこの何ヶ月間は死の苦しみです。
それがわかった時のいちばんいい方法は別れてしまうことです」


グレイス「この雰囲気を助けるのは、忠実であるということです。
パートナーが、何か鼻もちならないことをいったら、『それはひどい!』といってボードを捨ててしまうことです。
30分もまごまごして、遠まわしに『そうか---ウーン、ぼくはそんなふうにはウーン、ウーン』などといっていないことです。
ひどい、それで終わりでいいのです。だれにも拒否権があります。
2人とも同意しなければなりませんが、意見を豊かにするのは、たった1人でいいのです」


「お2人がチームを組み始めたころ、『ウワー、これはすばらしい』と思われたのですか?」



ノブル「これは恋愛関係とは違います。
でも、いいフィーリングです。
というのは、本当にうまくやっていけない人びと(人間はいいのかもしれませんが、化学作用のない人)とやったあとで、化学作用のある人、そして完全に誠実な人と一緒に仕事をするのはいいものですから」


グレイス「いい関係にあるアートディレクターとコピーライターは、夫婦が何年も一緒に暮らしたあとでは、速記のように話せるのと同じように、一方の人が考えていることを予想することができます。
『ヘイ』---『オオ』---『アア』---で一方が何をいわんとしているかが正確にわかるのです。
これはいいことです」


「チームが『うまく行く』のは、その担当している商品の種類が問題になってきますか? 鎮痛剤とか車とか紙おむつとかというふうに」


ノブル「そう思いますね。
というのは、中にはとても苦痛の伴うアカウントがあって、2人がとてもうまく行っていて、いい仕事をしている場合でも、しばらくするうちに、アカウントが2人をすり減らしてしまう場合があるからです。
すると自分自身を疑うようになってきてしまいますからね」


「それはアカウントのことですね。私がいっているのは商品のことですが」


グレイス「そうですね。広告しやすい商品と、そうでない商品はあります。
石けんよりも車のほうが楽だと思います。
でも、2,3年前ですが、こんなことをいった人がいました。
泡の立つ錠剤よりもスーツケースのほうが楽だと。
でも、あの偉大なアルカ・セルツァーがきたらそれは変わってしまいました。
元に戻りますが、だれかが偉大な打開策を出すまでは、その商品はほかのよりもむずかしいように思えるものです。
でも、クライアントの関係のほうがずっと大変ですよ」


「それでは、クライアントとそのアカウント・マンさえよければ、商品がなんであれ、気にはなさらないとおっしゃるのですか?」


グレイス「ある商品を信ずるというのは救いになります。まやかしの多いと思われる商品分野がありますが、ぼくはそれらはやりたいとは思いません。それらには夢中になれません。表面的な広告ならうまくやれるかもしれませんが、深みのあるのはだめです」

VWのことは話題にしたくない


問い「カクテル・パーティで、あなた方がVWの広告をやっているということを人びとにわかったら、どんなことが起こりますか?」


グレイス「酔っぱらってしまいます」


ノブル「とまどいを覚えたものです。というのは、VWの場合、たいてい、小スペースから始めるのです。それなのに、人びとはこういうんですからねえ。
「小さいことが理想 Think small.」「不良品 Lemon.」をおつくりになったのですか?』
ぼくは頭をかいて『いえ。でも、それをやった人は知っていますよ』と答えたものです(笑)。



小さいことが理想


きっちりつめたら、 ニューヨーク大学の18人の学生がサン・ルーフVWに乗れました。
フォルクスワーゲンは、 家庭向きに考えて大きさが決められています。おかあさん、おとうさん、 それに育ちざかりのこども3人というのが、 この車にふさわしい定員です。
エコノミイ・ランで、 VWは 1リットルあたり 平均21km強の記録を出しました。 あなたには、ちょっと無理な数字です。 プロのドライバーは商売上のすてきな秘けつを持っているんですから。(お知りになりたい? ではVWBox #65 Englewood, N.J.へお手紙をどうぞ)。 ガソリンはレギュラー、 また、 オイルのことは次の交換時期までお忘れください。VWは在来の車より全長が4フィート短くできています。 (とはいっても、 レッグ・ルームは同じくらいあります)。 ほかの車が混雑したところをぐるぐる巡りしている間に、あなたはほんの狭い場所にも駐車できるんです。
VWのスペア部品は格安です。 新しいフロント・フェンダーは(VW特約店で)21.75ドル、 シリンダー・ヘッドは19.95ドル、品質がよいのでめったに必要とはしませんが。
新しいフォルクスワーゲン・セダンは1,565ドル、 ラジオ, サイド・ビュー・ミラーのほか、 あなたがほんとうに必要なものは全部ついています。
1959年には, 12万人のアメリカ人が、 小ささを考えてVWを買いました。 ここのところを考えてみてください。



不良品

このVWは船積みされませんでした。
車体の1ヵ所のクロームがはがれ、しみになっているので取り替えなければならないのです。 およそ目につくことがないと思われるほどのものですが……K・クローナーという検査員が発見したのです。
当社のウルフスブルグの工場では3,388人が一つ作業にあたっています。VWを、生産工程ごとに検査するために、です。(日産3,000台のVWがつくられています。 だから車より検査員の方が多いのです)。
あらゆるショック・アブソーバーがテストされます(部分チェックではだめなのです)。 ウインドシールドもすべて検査されます。何台ものVWが、とうてい肉眼では見えないような外装のかすり傷のために不合格となりました。
最終検査がまたすごい! VWの検査員は1台ずつ車検台まで走らせていって、 189のチェック・ポイントを引っぱりまわし、自働ブレーキスタンドへ向けて放ちます。それで50台に1台のVWに対して「ダメ」をだすのです。
この細部にわたる準備が、他の車よりもVWを長持ちさせ、維持費を少なくさせるのです。(中古VWが他の車にくらべて高価なワケもこれです)。私たちは不良品をもぎとります。あなたはお値打ち品をどうぞ。


でも、今ではそういったのを楽しんでいるといったところです。人びとは、こういいますね。
[『ジョーンズ氏とクランプラー氏』の2軒の家を扱ったコマーシャル]をなさったのはあなたですか?]
ぼくは食いつかんばかりの勢いで、『ええ、そうです』やっとイエスといえるようになったのです(笑)。
ここ1,2年というもの、ぼくはいつも『ちがいます』としかいえませんでしたからね」(笑)


グレイス「ぼくはそれを隠そうとしますね。
ぼくはだれにも知ってほしくないのです。
話題に載せられるのはあきあきしました。
毎日ぐったりさせられるような仕事と夫婦生活をしているのですから、カクテル・パーティではほかのことを話したいですよ。
時にだされる『コマーシャルはどんなふうにつくっているのですか?』などの質問に到っては、もううんざりです」

ベッドの中でも朝起きてもかんがえるのは仕事のこと


「仕事と夫婦生活しているとおっしゃいましたが、夜も昼もひょいと解決策が飛び出してくるような問題にかきまわされているわけですか?」


ノブル「いつもいつも、考えるのをやめるなどということはできない状態なのです。その点、汽車通勤というのはいいですね。汽車に乗っていては仕事のことのほかすることがありませんから。
そしてベッドにつく時、最後に考えるのは仕事のこと、朝起きて最初に考えるのも仕事のことなのです。
そして、だれかと一緒に仕事をするのでいいのは、その点なのです。
ベッドにつく時には、夜、おもいついたコンセプトを愛して眠ります。
そして朝起きると、そのコンセプトに疑問を持っています。
オフィスにつくころには、全くすごい---と思うようになっています。
でも、少なくとも、そのコンセプトょを試してみるように頼める人がいるのです。
自分が考えついたのを没にするには、大変な力がいりますからね」


グレイス「こんなことをいうのはいやなのですが---ひげを剃っているときに---2,3日前に起こったからその前夜に起こったことなどのすべての情景が浮かんできます。
まるであらゆる小さな部分を統合しているかのようです---アイデアはこんなふうにしてクリエイトされるものなのだと思います。
で、ひげを剃っている---と突然『ウワー、ヤッタ! すげえのができた!』と叫んで、ひげを剃るのももどかしく、オフィスにつくのも待ちきれないで、早く着手したくてしょうがなくなるのです。
そういった時が、ぼくにとっては仕事が最高にエキサイティングな時なのです。
イデアというアイデアが最初にひらめく時っていうのは、まるで閃光のようです---
でも、それからあとは下り坂です」


ノブル「知っているひげづらのアートディレクターたちもそうらしいね」


「その閃光のことですが---」


グレイス「どんなものか教えてあげましょう。そうですね、ジョンが先週『1』といいました。1日後に僕が『2』といいました。それからジョンが『4』といって、ついに数字は『10』にまで達しました。
すると突然、それらをすべせて結びつけ、『10』にまでならしめる失われていた部分が現れるのです。
そしてそれは、まるで魔法の閃光がひらめくようなのですよ。
それが効力があねというのがはっきりわかるのですよ。
それが正しいとわかるのですよ。
それから、そのアイデアをうまくあらわそうとする段階に入ると、またいろいろな問題がでてきます。
つまり、その実現化の段階でそれを失ってしまうこともあるわけです」




【chuukyuuのひとりごと】
このインタヴューの前段で、ノブル氏とグレイス氏がカクテル・パーティで尊敬されることができた[ジョーンズ氏とケンプラー氏]の2軒の家のCMのアイデアは、雑誌広告へも転用され、メディアの違いによる訴求力の差をはっきりと示しています。



途方もない値段の車の購入費でこれだけ買えます。


最近の新車の平均購入価格は3,260ドル(自動車工業会の調査)。
3,260ドルあれば、新しいレンジ、冷蔵庫、乾燥機、洗たく機、テレビ2台、レコード・プレヤー、そして1,639ドルのフォルクスワーケゲンが買えます。
もちろん、途方もない値段の車についているような手のこんだ付属品は、私たちの小さなバケットシートにはついていません(たとえば、電動式灰皿クリーナーとか太陽が出ると消えるヘッドライトなど)。
しかし、おいしい食料品、清潔な衣料、すばらしい音楽、そしてカラーで再上映される夏を見るチャンスつきといえます。
すてきな値段がつていないといって、フォルクスワーゲンに眉をおひそめになる方がたくさんいらっしゃいます。
もう一度見直してください。
あなたが手に入れられるものがどんなにすてきかを。


TV−CMの、あの童話のようなのどかさやおかしみが、ここではほとんど滲みでてこない---と思うのは、ぼくだけかも。
”Nobody's perfect"といいます。目をつむってパソコンの透過光による疲れを癒しましょう。

50パーセントは信ずるもののための戦い


「あなたが強くお感じになっていると思うのですが、自分がつくった広告のための戦いについてお話ください」


グレイス「ええ、仕事の50パーセントがつくることで、あとの50パーセントはそのつくった仕事のための戦いです。自分の信ずるもののための戦いです。
ほとんどの人がそういう仕事を喜んでやる気構えでいるのですが、最初の段階で屈服してしまいます。
いかに世界最高のタレントであっても、偉大な仕事をやっているチームであっても、その仕事を守る意志がなかったら、決して日の目をみないでしょう」
ノブル「若いクリエイティブ・マンに、そのコンセプトを簡単にあきらめせることのできるアカウント・マンがいますからね。
でも、クリエイティブ部門で認可されたコンセプトだったら、アカウント・マンのところへ行っても悪いものになるはずがないのですから。
確かに、ある種の問題はあるかもしれませんが、クリエイティブマ・ンがアカウント・マンに会ってすぐ戻ってきて『だれそれがこんなのやれないといったから、これはダメだよ』なんていうのは、間違ってます。
戦いがあるべきですよ」


「なぜ戦えないのだと思いますか?」


グレイス「たぶん、不安のためでしょうね。でももし、アートディレクターとコピーライターがそのコンセプトを20時間使ってもやるに値するほど正しいものだと考えたら、はっきりと考えを口に出せるようでなければなりません。
さもなければ、ともかく『投げ出さない』というのではなく、アカウント・マンに彼らの間違いを指摘できるようでなくてはなりません。
広告を投げるのは彼の特権ではありません。彼の仕事は広告を売ることなのです。
でも、この受身的立場と、この技量を欠いているというのこそ、まさにアートディレクターとコピーライターの欠陥なのです」


ノブル「そしてここにはチームの持つ厄介なものが入り込んでくるのです。というのは、アカウント・マンのオフィスへ、自分の味方を2対1で出かけてゆくほど厄介なことはないのですよ。5分もするとチームの1人が『そうね、彼が正しいよ』といってしまう---するともう負けですからね」


グレイス「もしアカウント・マンが、彼らが誤っていることを彼らに5分で説得できるようなものだったら、その広告をかかえてアカウント・マンのオフィスにそれ以上いるべきでないのです。広告が全く間違っているか、チームの2人が間違っているかのどっちかなのですからね。どっちかがだめなんですよ」
ノプル「アカウント・マンのところへ行く時には、あなたはその広告に関するすべての問題がわかっているはずです。もしアカウント・マンが自分の仕事をあらかじめやってしまってあるなら、彼はその広告に関するすべてのことをチームの2人に話してあるはずなのです。
つまり、2人のつくった広告を持ってアカウント・マンのところへ行く時には、その広告が正しいのであるという確信を持った、プロのクリエイティブ・マンになりきっていなければならないわけです」

常に8割打者であるために---

グレイス「8割打者でなければなりません。
時にはミスをすることもあれば、2人が合わないこともあっていいのです。
しかし10回のうち8回は、ピッタリ息を合わせて行かなければなりません。そうでなかったら、そのチームには何か欠陥があるのです。2人が十分優秀でなく才能を持ち合わせていないか、それとも自分たちがしていることを十分理解できていないかのどちらかなのです。
それともただこわいだけなのかもしれません。
つくった広告が大変いいものであれば、議論の余地はないはずですし、アカウント・マンとても自ら頭痛の種をまきたくはないのですから、むやみに『ダメ』とはいわないはずです。
『それはぼくの知ったことではない。君の問題だ。この広告は正しい』と。
しかし、アカウント・マンに、その広告をダメだという場合、その理由を期待するように、2人もその広告が正しい理由を知っていなければなりません。
それは、生死の問題、広告が生きるか死ぬかの瀬戸際なのです。
だからチームは彼らがつかんかだ広告の背後にあるものをすべて押し出す意志というものを持っていなければなりません」


塗装に塗装を重ねます。

私たちがフォルクスワーゲンを塗装する前にしていることを見ていただきたいと思います。
蒸気に浸し、アルカリ液に浸し、燐酸塩液に浸します。それから、中和溶液に浸します。
そのあと、青灰色の下塗り液に浸します。外も内もすっかり浸るまで---。
アメリカでは、ほんの1社がこうしているだけです。でも、この会社はフォルクスワーゲンの3〜4倍の値段をつけています。
(私たちは、経済車をつくる最良の方法は、十分にお金をかけることだと思っています。)
浸す作業が終わると、今度は、焼き、そして手で磨きをかけます。それから塗装するのです。また、焼き、手磨き。
もう一度、塗装。
それからまた、焼き。
そしたら、磨き。
3度も、塗り、焼き、磨いてんだから、もういいとお考えですね?
まだなんです。

VW ビートル"Funeral(葬式)"




---私は生まれつき、安定した健全な精神と肉体を持っています。
しかして、次のごとき遺言を残します。
まず、明日という日がないかのようにお金を使っていたわが妻ローズには、100ドルと、明日もあるということを思い知らすために1枚のカレンダーを遺します。
私の息子たち、ラドニーとビクター---私が与えた10セント硬貨すべてを、風変わりな車と性悪女につぎ込んでしまいましたが---には、10セント硬貨で50ドルずつ遺します。
また、浪費が唯一のモットーであった仕事のパートナー---ジュールズには、何ものこしません。
そして、これまた、1ドルの価値も知らなかった友人たちと親戚には、1ドルずつ遺します。
最後に、甥のハロルド---彼はいつも、「1銭の節約は1銭のもうけ」と言い「おやまあ、マックスおじさん、VWを持つことは、確かに損にはならないんですよ」と言っていたが、この彼には、私の全財産、10億ドルを遺します。


art director:Roy Grace(DDB)
copywriter:John Noble(DDB)
director:Haward Zieff
producer:Don Traver(DDB)

ジョン・ノブル氏とのインタビュー

>>まとめて読む


ジョン・ノブル、新コピー・チーフに
「〈売り〉の結果こそ、いつ、いかなる時でも、われわれの、最高・最終の目的」
1975年1月号『DDB NEWS』より