創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(3)コピーライター、コピーライターを語る。

参加者
コピーライター 荒尾(A
コピーライター 金丸(K
コピーライター 藤枝(F



A 「6分間の道草」シリーズ、DDBを支えたさまざまな人々の横顔が見えておもしろかったけど、特に同じコピーライターたちについて、どう思う?


K スタンリー・リー氏は、元エンジニアだったって聞いて、親近感がもてた。自分も学生の頃は理科系で、よく人から「何でコピーライター?」って聞かれるんだけど、自分の中では特に違和感はなくて、むしろ、理科系の知識がアドバンテージになる。そんな風に思っていました。特に、“パソコン”が世の中に普及し始めた時期だったし、広告が必ずしも文学的である必要は無いわけだし。


A DDBのクリエイターたちが、すばらしい仕事をしてきたのは、もちろん環境というのもあるし、もうひとつは、採用する側のDDBが、そういう資質をきちんと見抜いてたってことなのかもしれない。


F 採用に1年も、かけていたそうですね。


A 幹部コピーライターのディロン氏が面白いことをいっている。人を採用する時には、「まず、作品にインタビューする」と。小説家志望だったみたいだね、彼は。実際、後に何冊も小説を書き上げているけど、面談するより書かれた文面でライターの資質がわかるという信念を持っている。つまり極論すれば、大学時代の専攻だの経歴だのはどうでもいいと。


F そういわれるとアドエンも、コピーライターにしろデザイナーにしろ、文学部とか美術系だけじゃなく、いろんな分野の勉強をしてきた人が多いですよね。元デザイナーのコピーライターもいるぐらいだし。


K DDBって、女性のスタッフも多かったようですね。創業時からの唯一のコピーライターも女性だし。


F ロビンソン夫人ですね。先日の『ロビンソン夫人へのインタビュー』で紹介されていた「ポラロイド」のCMとか、視線がとても女性らしい。彼女の様に、突飛なことではなく、感動で人を驚かせられる仕事を、一つでもやってみたいと思いますね。


K その次の週に紹介されていたシャンプーの広告では、ネーミングからパッケージ、マーケティングにまで参加したらしいよ。機能を音で表した、「プスッー」ていうネーミングも、とても広告的だと思う。


F トータルで携わるという姿勢がいいですよね。当時DDBには、スタイリング部といって、スタイリングから製品開発アイデアまでを提供する「シンクタンク」的な部門まで持っていたそうです。当時から、広告代理店の機能として、そういうニーズがあったことに驚きです。表現としてだけでなく、仕事のスタンスという意味でもDDBは常に新しいことをめざし、そして実行していたということですよね。


K ぼくたちの仕事は、時として、広告としていいか悪いかみたいな評価だけで終わることも多い中で、40年前、彼らは、きちんと成果の出る仕事を実践していた。表現することで満足するのではなく、クライアントの問題解決の手段として考えられた広告。


A AETの会社案内でいちばん長く使ったスローガンが、「広告は、私たちの最後の仕事です」だった。問題解決の仕上げが広告表現なんだ、そんな思いがこのコピーにはあるよね。


F 確か、いまは「時には広告しない、という提案もします」でしたね。


A 広告制作会社のスローガンとしてはいささか刺激的だけど、やみくもに広告しても効果は薄いし、広告以前にやっておくべきことや、広告以外のコミュニケーション方法だってあるってこと。


K そう、たとえばマーケティングや商品のポジショニングとかネーミングとか…いろいろありますね。DDBのシャンプーのケースと同じように。


A AETも直接取引のクライアントが多いでしょ。いい表現を頼む! なんてオーダーばかりじゃなくて、それ以前にどうすれば商品が売れるか、どうすればブランド力があがるか、そんな相談をされることがよくある。


F いわゆる文学的な表現力だけで、コピーライターは勤まらない、と。そういえば技術的マニュアルばかりつくっていた人が、難関のDDBに採用されたという話もありましたね。


A もちろん、言葉も大切だけれど、言葉のギミックだけで逃げない。本当にクライアントのためになる方法を提供するっていうスタンス。世の中的にみると、わけのわからない雰囲気だけのコピーとかもあるじゃない。そういうのは、めざしてないっていうことは、先輩コピーライターにもずいぶんいわれたなぁ。


K DDBのいう正直な広告代理店ならぬ、正直な広告制作会社。


F 改めて私たちも、40年前のDDBに負けない“新しいこと”をめざしたいですね。