創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

(42)フィリス・ロビンソン夫人とのインタヴュー(8)「女性コピーライターは昔もいた」

            Mrs. Phyllis Robinson

DDB創業時からのコピー・チーフだったロビンソン夫人は、手がけたかずかずのキャンペーン、育てた数多くの有能なコピーライターの功績で、『コピーライター名誉の殿堂』入りに選ばれた。過去の例では、広告代理店のトップが選ばれるつづけてきていたが…

女性コピーライターは昔もいた

chuukyuuDDBにいらっしゃったこの20年間で、もっとも印象的だったことは?」


ロビンソン夫人「むずかしいご質問ですね。とても興奮して楽しかった日もたくさんありましたし、たいへんだった日もたくさんありました。
私自身が興奮したのは、1968年春、『コピーライター名誉の殿堂』入りに選ばれた時です。でも、これはDDBでの出来事ではありませんね。


chuukyuu「現在、DDBには女性コピーライターがたくさんいますね。1949年当時の広告代理店業界でもそうだったんでしたか? 米国で、女性が広告業界で良い地位をしめられるようになったのはいつごろからでしょう?」


ロビンソン夫人「ご質問を2つに分けてお答えしましょう。
私たちはDDBを1949年に開店しました。その時、私は、たった1人のコピーライターで、私が最初に採用したコピーライターも女性でした。それは、私がコピー・チーフとしても、スーパパイザーとしても不慣れでしたし、初めは女性と始めるのがもっとも安全と思ったからです。最初は、男の人を指導するということに、少々臆病だったと思います。後になって、それは非常にやさしいことで、問題ではないことがわかりました。
そしてスタッフが大きなものになってきますと、男性と女性は、ほぼ、半数ずつになりました。
もちろん、この分野には女性がいましたし、成功した女性もいました。私がいま考えているのは、私がまだ小さな子どもだったときに、メーシー(百貨店)の広告責任者だったマーガレット・フィッシュです。彼女はのちになって、しばらくの間、当社で働きました。それは興味あることです。彼女はばらしい女性ですものり。それに、もちろん、ギンベル(百貨店)の広告責任者だったフィッツギボンもいましたよ。彼女はあの店のイメージをつくりあげ、たくさん商品を売るというすばらしい仕事をしました。けれども、そういう人が代理店業界に少数しかいないからといって、女性が成功したのは小売店分野のみではありません。ジェーン・リンドローブもその中のひとりです。
それがもっと最近になると、一つの大きな違いが出てきたように思います。以前は女性はファッションとか、家具とかリネン類などのホーム・デコレーションを重要とする店で使われていました。
代理店業においてさえも、赤ん坊のものとか食物といった仕事に使われていました。それは女性が家庭や台所の専門家だと考えられていたからです。実際、私もファッションや化粧品の仕事から入りました。でも、私はそれらの仕事がとても好きでしたし、いまでもそうです。
私はクレアロールの仕事を楽しんでやっています。けれども、私は、新しいものに取り組んでみたいと思っていましたので、これが自分にできるすべてだという考え方を、すぐに捨てました。DDBではそういうことについて何の規定もありません。
もっとも、女性はファッション分野のものにたいして感じるもの大であるといえますから、自然にそういう仕事をさせてしまう傾向がありますが、でも、他の製品についての広告だって問題はありません。ですから、最近では女性にとっての分野はどんどん広くなっているといえます」


続く