創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(25)「あまりにも無秩序な」(4)

              副社長アート・スーパイザー ビル・トウビン

トウビン氏のこのスピーチの原文を、どこで手にいれたものか、掲載誌『繁栄を確約する広告代理店DDB』(ブレーン別冊 誠文堂新光社 1966.10.1)には、何も注記していない。記憶もさだかでないが、トウビン氏の作品を『アイデア』に特集したときに送られてきたような。
内容からいっても、広告写真家の集まりでのスピーチのように推察する。時期は1950年代の後半。クリエイターたちのDDBへの視線がようやく濃くなりはじめた時期---それだけに、トウビン氏の語り口は、当時としては新鮮で、核芯をえぐっている。

>>「あまりにも無秩序な」(1)
>>「あまりにも無秩序な」(2)
>>「あまりにも無秩序な」(3)

「あまりにも無秩序な」(4)

もし、今年の<流行>が、広告イラストレーション(絵や写真)としてのフォト・ジャーナリズムへの復帰というのであれば、それは、写真固有の信頼性と正直さによっているといえましょう。そしてそれは、広告写真という一つの幻想世界をつくりだした技巧派と、無秩序さに対する反動だったのかもしれませんね。
たしかにフォト・ジャーナリズムは、ファンタジックな写真より正確ではありますが、これまた同じく、すべての問題を解決できるというものではありません。
申しあげたいのは、<流行>は<流行>でしかなく、受け手に強い感動と深い記憶を残さないということです。
クリエイティビティの代わりにイミテーションの印象しか残さず、課題の解決には無力で、無秩序でさえあるということです。
表面的でしかないものは、間違いにすぎないのです。(→つづく



どんなに使いやすかったか、覚えていますか?

写真を撮ることは、簡単なものでした。昔のボックス・カメラには、シャッター・ダイヤルもピント合わせもありませんでした。ネライをつけて、(もし晴れていればのことですが)シャッターを切る---それで写真が撮れたはずでした。もっとも、何日かたってからでないと結果は分からなかったのでしたが。
今、ポラロイドは再びその単純さをとり入れました。でも、とれているはずというのは取り除きました。
この新型ポラロイド10秒自動カメラは、ちょうど、ボックス・カメラと同じように操作すればいいのです。
ビント合せの必要がなく、それでいていつもシャープな写真が撮れます(ポートレートのとき、30インチまでの接近撮影ができます)。
明るい太陽光の下、たそがれの光の下、どんな光の下でも撮れます。EE が正しくセットしてくれるのです。シャッター・スピードも1000分の1秒まで選び、動きを確実に止めます!
そして<ポラロイド・ランド・カメラですから、もちろん10秒で写真を見ることができます。
この新型自動カメラは、付属品は何も買わなくていいのです。フラッシュ・インを含めて、すべて作り付けになっています。しかも付属品を買う必要のあった最初のポラロイド・カメラより、づっとお安くなっています。(フラッシュ・ガンと露出計だけでも31ドルかかっていたんです)。
この新型自動カメラは、90ドル以下です。完ぺきです。今、お近くのカメラ店にあります。