創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(539)制作物がよければ、売込み費用は少なくてすむ(連結編 英文つき)


DDB President(Domestic) Joseph Daly


DDBの原則はよい制作物をつくること


1969年度を振り返り、1970年度を考えてみるため、私は、DDBの利益と制作物(広告作品)という2つの面について話してみたいと思います。
けさの集まりは、株主総会なので、利益を中心にして話を進めます。
皆さんの第一の関心事は、皆さんの会社がどのくらい利益を上げられるかということでしょう。
というのは、それによって株価が最終的には決定されるからです。
一方、DDBは、基本的には制作物中心の会社です。
DDBは原則としてよりよい制作物をつくり出す……私たちが誇りとできるような仕事をし、DDBのクライアントのためによりよい広告をつくるために存在しています。
もちろん、利益にも興味を持ってはいます
が、それより、よい仕事の自然の結果だと思います。
ですからDDBが利益と制作物は同一だと信じていることはわかっていただけたことと思います。


どうしてそうなるかということをお話いたしましょう。
1969年度には、DDBの扱い高は、1,900万ドルふえました。
8パーセントの伸び率です。
ところがDDBの収入は20パーセント以上伸びています。
総収入中の収益は26パーセント以上にものぼっています。
私たちはこういった計算が大好きです。
私たちの利益とほかの代理店のそれと比較してみましょうか。 
DDBを除いた、株式が公開されている4大代理店の平均利益を分析してみますと、DDBの利益はそれの倍だということ。


この利益マージンは、これら各代理店のそれに対してもいえるということ……しかも毎年そうだということなどがおわかりいただけると思います。
どうしてそうなるのでしょう? 
給料が低いからでしょうか? いいえ。その反対なのです。
それは私たちがよりよい作品をつくっているから……というのが業界の意見、私たちのクライアントの意見です。


ほかの代理店のコストとDDBのコストを比較してみるために、私たちの給料支払額を扱い高9,000万ドル以上の代理店の平均値と比較してみた結果、制作部門の人たちの給与額はほかの代理店の平均額よりも15パーセントも高いということがわかりました。


この違いはどこからくるのでしょうか? 
それはよりよい制作物なら、売り込むための費用がより少なくて済むという単純な事実からです。
そして時には基本となる制作物の欠陥を補うために必要だと考えられる添えものすべてがいらないからなのです。
DDBの一般事務およびエグゼクティブの経常費などは、ほかの主要代理店のその平均値より45パーセントも低いのです。
それに私たちのクライアントを引きつけるための、奇想天外なオフィスも私たちには必要ではありません。
私たちの家賃と維持費も、私たちの競争相手のそれより45パーセントも低いものです。これらすべてが私たちの基本哲学……よりよい仕事をすること……よりよい広告作品をつくり出すこと……につながるわけです。


有能の社員が去ったあとを新人が埋める


さてDDBの制作物に関してはどうでしょうか? 
前にも述べましたように、1969年度のDDBの総扱い高は2億5,500万ドルにものぼりました。
これは驚くほど多くのクリエイティブ作品が制作されたということを表わしています。
私たちがもっと小さかった時の仕事の基準をどうやって守り抜くことができているのでしょうか?


答えはDDBの従業員とその哲学……そしてその2つのコンビにあるのです。
過去2,3年間に名の売れた数人の社員がDDBを去ってほかの代理店に行ってしまいましたが、DDBの作品はいつもの高い基準を維持しています。
それはDDBが際立った広告をつくるユニークな機会を与えてくれるので、DDBで働きたいと望んだ非常に聡明で、才能のある若いスターたちが、彼らの代わりをつとめていてくれるからです。


あとで、DDB哲学の作者であるビル・バーンバックが、私たちの最近の作品をお見せしますが、私はこのDDBの制作物が私たちのクライアントのためにやってのけた効果に関してのめぼしいものを話したいと思います。


ここ最近で最も話題にのぼった広告は、DDBのフォルクスワーゲンのための広告と、ほかの代理店がつくったアルカ・セルツァーのための広告でしょう。
これからもこのフォルクスワーゲンのキャンペーンを続けられるし、1969年後半4ヶ月間中の米国での販売台数が記録的なものであったし、同じような流行が1970年にも続いて行くのを見られるだろうとうれしく思っています。


同時に11月1日から私たち白身でアルカ・セルツァーの広告をできるようになったのでうれしくてしかたがありません。
最も最大の危機挑戦が待ち受けていたのです。
とはいっても病んだアカウントだということではなく、悪い広告をつくれないという意味です。
しかし、アルカ・セルツァーのためにつくったDDBの新しい広告は、すでにかなりの評判をとっています。


過去数年間はDDBにはビールのアカウントがありませんでした。
去年の春、中西部4州におけるストロウ・ビールを引き受けた時、DDBの仕事は必ず強烈な精査を経験するはずでした。
このような競争の激しいタフなマーケットで地方ブランドをどうやって行ったでしょう?


4月1目から私たちの広告が流れ出すと、競争が激しいにもかかわらず、私たちのクライアントは全国向けビール・ブランドから20パーセントも販売量を奪ってしまったのです。
ストロウ社では、この増加を助けたのはDDBの広告だと喜んで証言してくれています。


サラ・リー(食品)はここ2,3年で、どこでも消費者に絶大な人気を博している製品となっていますが、DDBがここの広告を引き受けた1968年までは、販売高が横ばい状態を続けていました。
1969年度には前年より20パーセント以上も売上げが伸び、月がたつにつれてどんどんふえていっているので、私たちもうれしく思っています。


どのクライアントについても、同じことがいえます。
私たちの制作物が広告主のために働けば、その販売は伸びて行きます……そして彼の販売量が伸びれば、DDBの扱い高もふえて行きます。


役に立たない人間は除いてきた


1970年度には、私たちは扱い高もふえ、利益もふえることを期待しています。
この点に関しては、どんな数字も公けに発表したくはありません。私たちみんなが知っているとおり、DDBのクライアントが直面している経済状況は、予想困難です。
しかし、現在私たちは、過去20年間で最高の扱い高を、1968年度の在籍人員よりも少ない人数でやっております。
私たちは厳格なビジネス見解の上に立って、私たちのアカウントをきびしく見つめてきました。
そして適当な利益を生み出さないような関係はすべて排除してきました。
現在私たちのスタッフは、すべてプロです。
すこしでも抜けていたり、役に立たぬ人々は除いてきました。
すべての人が働き、すべての人が貢献するビジネスを切盛りするためには、そうすることが基本線としてよりよいだけでなく、内部の士気のためにもよりよいからです。


DDBの未来には、輝かしいチャンスが待ち受けています。そしてそういうチャンスを私たちに与えてくれる聡明な若いスターたちが今もDDBで働いていてくれます。
先週DDBの新しいクリエイティブ・ディレクターにボブ・レブンソンを任命したことを発表しました。
そしてきょう、ここに彼の名前をDDB経営陣の最新メンバーとして喜んで申しあげます。


レブンソンは40歳です。
彼はここ何年もの間、クリエイティブ部門の大黒柱となってきました。
そして現在数多くのDDBの際立ったクリエイティブ・ワークの責任者でもあります。
それに彼は、エネルギーとアイデアのかたまりです。


代理店業務以外の面にも意欲的


1968年度には利益の上がらなかったDDBの海外オフィスも昨年好転して、現在は黒字状態です。
パリで新たにオフィスを開いたばかりですが、第1年目にして黒字となるはずなので、1970年度の総合経営では、より多くの利益が見込まれます。
この会社を経営しているのは1968年5月にDDBインターナショナルの社長となったエドラッセルです。
エドは44歳ですが、過去17年間当社の大黒柱の一人となって活躍してきた人物です。
これからは海外部門からの利益と成長を見込んでいます。


前の株主総会でも述べましたが、DDBにはもう一つの利益があります。
それは当社の買収計画です。
ご存じのごとく、私たちの会社を多様化して、ほかの私たちのマーケティング知識を使って利益を上げることができるプロフィット・センターをDDBに組み入れる計画に着手したということを1年ほど前に発表いたしました。


去年、私たちは私たち自身のTVスタジオを取得し、「ディレクターズ・スタジオ」と名づけました。
DDBのセールス・プロモーションの武器である「プロモーション・プラス」と並んで第2の支社としました。
これら2社はプロフィット・センターとなるだろうと、私たちは期待しています。


外部の資産に関してですが、DDBは昨年70以上を評価しました。
このうちの幾つかを目下考慮中、研究中といったところです。
私たちの意図のまじめさを強調するため、私たちはDDBへ財務関係の超ベテランをひっぱってきました。
現在「買収」担当の、先任副社長ととしてDDBに参加しているジム・マデンです。彼は10年間社長をつとめていたスクローダー・ロックフェラーの有名な会社からDDBへやってきたのです。
ジムは考慮のための幅広い機会を与えてくれるばかりでなく、彼の鋭い判断力と財政面の達識によって、近い未来において、私たちは積極的にこの分野で前進できることと確信しております。


きょうのDDB談はこのくらいです。
1969年度は利益率のよい年でした。
そしてこれからも、どんどん進歩して行くと見込んでおりますし、私たちがもう一つのゴール……もちろんDDBのよりよい制作物のことです……をしっかり心していれば、このゴールも到達できると確信を持っています。
(1970年2月24日の株式総会での報告)


創業した1949年から1969年までの扱い金額の伸び