創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(524)ドイル氏、DDBのやり方を語る(連結版・英文つき)

A Conversation
with
Ned Doyle




DDBアカウント担当重役 ネッド・ドイル氏
注:1969年に引退


DDB創業20周年記念の『DDBニュース』1969年6月号に載ったインタヴューを、ご本人の許可を得て、拙編『DDBドキュメント』(ブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載したものです。

自分が働きたいと望む会社にしたかった


「あなたが触媒でしたね。あれは全くの過ちでした(笑)」


ドイル「いや、おっしゃるとおり、全くの過ちでしたよ(笑)。
ご存じのように、ビル・バーンバックと私が新しい広告代理店を立ち上げようとした時に、もう一人広告代理店にいたことのある人間が必要だということになりました。
マクスウェル・デーンは、私が『ルック』誌にいたころの販売促進部長をしてくれていましたし、彼が自分の広告代理店を持った時も、見守っていました。
彼は、バーンバックにほんの2回しか会ったことがありませんでした。
私は、バーンバックのことはグレイ社で4,5年いっしょに働いていて、よく知っていました。それで、バーンバックとデーンならきっとうまくやっていくことができると言ったのです」


「そしてあとは歴史が物語る。あなた方は、特別な代理店をつくるつもりで集ったのですか?」


ドイル「デーンが話したと思いますが、私たちは、私たち自身が働きたいと望むような場所にしたかったのですが、今それに近くなっていますよ。
(注:デーン氏「DDBの歴史を語る」 )
信頼のおける主義を持った広告代理店にしたかったのです」


「その主義を詳しく話していただけますか?」


ドイル「クライアントに完全に忠実であるということ。クライアントにとってふさわしいと思えるような仕事を(それがそのクライアントの目的にフィットするならば)すること。
その商品を消費者に提示することにかけての熟達者であること。
つくった広告に対してクライアントの夫人がどういうかなど気にしないこと。
正直な見解を持つこと」


「1949年当時、どこかほかの広告会社でも同じような見解を持っていましたか?」


ドイル「ええ、あったと思いますよ。レイモンド・ルビカム、ホイッチャーやトニー・ゲオガーガンのいたころのヤング&ルビカムはそうでした。私は『ルック』誌のスペース・セールスマンとしてあの人たちの見解に接しており、それがいいものであることを知っておりました。で、私たちのアイデアもあの人たちからきたものです」


「それでは、DDBの創業時から、ここのアカウント・マンの役目は、ほかの大方の代理店のそれとははっきり違っていたのですね」


ドイル「そうだと思いますよ。というのは、私たちは広告主が必要と思われるものを提供しようとして創業したのですから。

『まあ、セックスも悪くないようだな』


ドイル「初期のころのエピソードを一つお話ししましょう。
カリフォルニア・コール水着のフレッド・コール社長が、ほかの広告会社との間に問題を起こしてしまって、私たちを呼びました。その時コール社長は、ライオンや虎などの動物の絵のついた水着を売ろうとしていました。コール社長はそれを『動物園』と呼んでいました。
バーンバックがそれを見て、『雌獣』と名づけました。そしてすぐれた広告を2,3点作りました。
デーンと私は、ある日の4時ごろ、その広告のコピーをコール社長のところへ持って行きました。
出席していた女性のホールス・マネジャーが、こんなことを言いました。
『水着をセックスを使わないで売ることはできないかしら』
コール社長もやはり少し気になったようで、ほかのやり方はないと聞いてきました。


『もちろん違ったものもできます。が、私たちはするつもりはありません。私たちはこれでいいと思いますから。これについてどこが悪いかを指摘できないのですから、私たちから何かほかのものを引きだそうとしてもムダですよ。この水着について私たちがよくないことを言ったのなら変えますが、ビジュアルな面でもネーミングにも悪いところはないのですからね』


8時半ごろまで議論してしまいましたが、彼はついにOKしました。その広告は、コール始まって以来最高の成功をもたらし、あとでコール社長がいいました。
『まあ、セックスも悪くないようだな』と。
私たちが正しいと思った時にとる態度はこんなふうです」

DDBのアカウント・マン


ドイル「私たちが正しいと思ったときにとる態度…と言いましたが、私たちが独断的だという意味で言ったのではありませんよ。
ここのところは、若いアカウント・マンにしっかりと覚えておいてほしいところです。
『はい、これです。これを採用するなり、われわれから去るなり、ご随意に』
などと言ってはいけません。
私たちはそんなことをしたことはありません。


私たちが正しいと思った場合には、私たちは戦いました。
でも、もし、クライアントがXなりYなりZの点がよくないからこの広告はだめだといった場合には、それをすぐに引っ込めてきました」


DDBのアカウント・マンは、ほかの広告代理店の人とは異なった性格を持たねばならないのですか?」


ドイル「そのとおりです。ほかの代理店からDDBへ転職してきたアカウント・マンを見てきましたが、DDBのやり方を覚えるまで、トラブルにまきこまれやすいですね。
というのは、DDBのアカウント・マンは、ほかの代理店のそれと違って、この会社の広告哲学をうんと詳しく説明するからです。ほかの代理店ではアカウント・マンに『このキャンペーンにOKをとってきてくれ。クライアントが望んでいるものだけを渡してきてくれ』というだけです。


DDBは、そういうやり方には信頼を寄せていません。
そしていつかクライアントも結局はDDBの見解を尊重してくれることになるのですよ。


そしてこういったDDBのやり方の結果、アカウント・マンはとてもたくさんの仕事をしなければなりません。
彼は自分のいうことをクリエイティブ・マンに信じてもらうためには、クリエイティブ・マンの信頼をかち得なければなりません。
彼はその商品とその目的、競争商品などに精通していなければなりません。
それから、クリエイティブ・ワークをクライアントのところへ持って行き、そのキャンペーンの背後にある理由づけを説明しなければなりません。
これらすべてをやり遂げるのは、並み大抵の仕事ではありませんからね」


「その結果として、多くのアカウント・マンがくたびれきってしまうということになりませんか?」


ドイル「そうは思えません。彼らにとって、それはとてもいい刺激になるのだと思いますよ。というのは、彼らは、完全にDDBの仕事の一部として欠かせない人たちなのですから。彼らは、単に行ったりきたりしているだけではないんですよ」


「それなのに、どうして、DDBのアカウント・マンはクリエイティブ・マンのメッセンジャー・ポーイだという考え方を、マジソン街から一掃できないんでしょう?」


ドイル「確かに、みんなそう思っているようですね。でも、それは大きな間違いです。DDBのアカウント・マンは、ほかの広告会社のアカウント・マンよりも多くのことを知り、より多くのことをしなければなりません。そして、ここのアカウント・マンの価値は、ほかのほとんどの広告会社のものよりも高いと思いますよ」


DDBのクライアント


DDBのやり方を受け入れてくれるクライアントを捜すことは、最初は大変なことでしたか?」


ドイル「もちろんですよ。でも、オーバックス(婦人衣料主力百貨店)の春・秋のキャンペーンが出てからは、われわれに会いたいという人から2,3の呼びだしを受けました。
ああいった広告に共感を覚えてわれわれのところへ来た人たちです。
それらがDDBの初期のクライアントでした」


chuukyuu注:オーバックスの広告はこちらのページをご覧ください。


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ほんの一部をお見せします。
上段左端は、ぼくが唸った地下鉄駅貼りポスター



「ここを去るクライアントは、何を思っているのでしょね。DDBによい広告を求めてやってきて、確かによい広告をつくってもらっているはずなのに、いったいどうして去ってしまうのでしょうか?」


ドイル「憶測的なことしかいえませんが、とにかくお答えしましょう。
これは関係者の間の化学の問題です。
たとえ仕事がよい場合だって起こり得ますからね」


「そうですね。去って行くのは数少なく、ほとんどが残っているのですから。
DDBがこんなに大きくなると予想したことがありましたか?」


ドイル「そう、扱い高がやっと800万ドルぐらいの規模のころ、デッド・ファクター(ロス支社長)が、どのぐらいまで大きくなると思うかと聞いたことがありました。『デッド。2,000万ドルを越えられるほどになるまで、たくさんのクライアントがわれわれのような広告会社を理解してくれそうもないだろうね。
今では、この話を、『2,000ドルを越えそうもないと言ったのはデッドだ』ということにしていますがね」


(注:DDB創業から10年間のクライアント・リスト

1949年
・オーバックス百貨店 ニューヨーク7店ほか
・ヘンリー・リヴィ リヴィ・パン
1950年
・ドライファス証券 投資信託
・ウエア・ライト手袋
・バートン菓子店
1951年
・ビーナスペン社 筆記具
・メインハード社 商事
1952年
・ケムストランド社 アクリラン繊維
1953年
・同上社 ナイロン
・バクストン社 札入れ、皮革製品
1954年
・ポラロイド社 カメラ
1957年
ELALイスラエル航空
1958年
・メルビル靴社 トム・マカン靴
・グレート・ウエスタン貯蓄貸付組合
・ホリー砂糖社
・ザ・レイン社 家具
1959年
・VW社 乗用車、ワゴンなど
・ローリー食品社
・フランス政府観光局
・クレアロール整髪社
・ウエッジウッド磁器社

DDBは確かに、VWビ−トルとかポラロイドといったユニークな商品の広告にかけてはたいしたものだが、はたしてパッケージ商品を売ることができるだろうか、と長年いわれてきました。
パッケージ商品を売るには、確かにすぐれた広告以上のものが要求されますが、その点、DDBのかの機能について話してくださいませんか?」


ドイル「もちろん、個性をほとんど持っていないパッケージ商品もあります。
だから本当にこれは大変なことなのですが、たとえばフェイスII石けんにしてもいうべきことはあったのです。
これはクリームとデオドランド石けんが一緒になった初めての製品でした。
そして成功しました。
(注;フェイスII石けんの成功については、ロバート・レブンソン氏のインタヴュー(2)を参照)


クラッカー・ジャックも広告として成功したものです。
広告が出た時にはいつも売れ行きがのびました。
(注:パーティではじかせるクラッカーの形状をしたスナックの〔クラッカー・ジャック〕。コメディアン某(芸名失念)がクラッカー・ジャックを口に入れようとする瞬間に何かがおきて入らないので、とぼけた表情になる、子ども向けのコマーシャルの連作。一例をあげると、無重力の宇宙船の中なので、クラッカー・ジャックは宙に浮いてしまう。

クラッカー・ジャックの傑作CM
(クリック)




http://www.youtube.com/watch?v=o4t3WnOYe-Y&NR=1
(↑クリック このカラーのTV-CMは埋め込み無効設定のためリンクのみ)


別の子ども向けスナック---ローラ・スカダ・ポテト・チップス
the most successful promotion Cole had ever run, and whenチップスをお目にかける。商品コンセプトは「世界中でもっともノイジーな(音がやかましい)ポテト・チップス」。子どもが大きな音を立てて食べる、その音の大きさで乾燥した口あたりを代弁。媒体は子どもたちが見ている時間のモノクロのコマーシャル)。


つっかえ、つっかえ、宣誓。

玄関でローラ・スケートしません。

ものを壊しません。

猫に犬をけしかけません。

道路でバスケット・ボールしません。

スープをぴちゃぴちゃやりません。

でも、
これだけは喜んでやります。
世界一やかまし
ローラ・スカダ・ポテト・チップスは、
音をさせます。


ハインツのケチャップもおそろしく成功しました。

(注:雑誌広告の1例。

注いでから、ほかのケチャップからは3分39秒で水がでました。
これも、ハインツがちょつと高い理由の一つ。


母親向けの上の雑誌広告のほかに、子ども向きのテレビ・コマーシャルで、西部の酒場でケチャップ・ガン・マンが遅撃ち競争で、ほかのケチャップが早く流れ出て倒れるのもある。コンセプトは「西部でも、東部でも、南部でも、もっともノロマなケチャップ」 ノロマを味の濃密に置き換えた)。

子どもはケチャップが大好き。子どもたちによる指名買いも多いとおもう。
決闘


YouTube


(アナウンス)西部でも、東部でも、南部でも、北部でも、最ものろまなケチャップです。


バーンバックと私は、われわれのクライアントにわれわれが作った広告ばかりを集めたブラック・ブックを持って行きました。
見込みクライアントに、いわばわれわれの歴史をプレゼンテーションするためでした。バ−ンバックがDDBの哲学に説明をつけ、オーバックスから始まって、われわれの創造力がいかに高いかを示した広告がたくさん収められていました。
ジョー・ダリー(この時点からのちに社長)が新規ビジネス担当になってからは、このブックはわれわれのパッケージ商品における成功を強調したものに変えられました。
われわれが扱っているバッケージ商品と業績をあげた非常に印象的なプレゼンテーションです。


DDBは、クリエイティブな存在で知られており、これは絶対に変えたくないことです。
われわれは広告主に、DDBへ行けば最高のクリエイティブな仕事をしてもらえるというふうに感じてほしいのです。
しかし、マーケティングでもリサーチでも、メディア・バイイングでも同様の仕事をしてもらえるのだということも知ってほしいのです。それが広告主のためにパッケージされているのだと。
広告主は偉大なクリエイティブ・ワークを望みますが、ほかのサービスも絶対に欠かせないのです。
ペトカペイジ(メディア部長)は、私たちの最大のクライアントたちから、彼らのどの代理店のメディア部門よりもすぐれた仕事をしているとほめられていますし、マーケティング部のアトラス部長も最高の仕事をしています。
そして、なんら証明することのできないコピーテストのようなものからDDBを守るためにDDBを守るために、アラン・グリーンバーグ調査部長は、いつも髪の毛を逆立てています」


「見込みクライアントにDDBが立派な広告を作っていることを示すことは簡単だと思いますが、ほかの分野における私たちの効力を証明するにはどうやっていますか?」


ドイル「それを証明するためのプレゼンテーションをするのは大変なことです。
でもわれわれはこういっています。『クリエイティブ・ワークのほかに私たちがどんなことをやっているかを知るには、われわれのクライアントをチェックしてみてください』 
そして、彼らがそれをやれば、ほとんどの場合結果は手にはいるのです」