創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-21 2週間後にもどってきたら、スターだった

<<前項『VW(フォルクスワーゲン)に乗ってアメリカを見ようよ

クローン氏は、さらに言葉を続けて、驚くべき事実を打ち明けています。
「私は、VWについて、私たちは間違ったことをやっている、という感じを強く持っていました。
もちろん、3分の1の責任でしたがね。
そこで、3点の広告を仕上げ、意気消沈してセントトーマスへ行って休暇を過ごし、2週間後に戻ってきたら、私はスターでした」

3分の1の責任というのは、ペア・チーム制のDDBではおかしな表現です。「半分の間違いじゃないのですか?」という質問に対して、クローン氏は、
「私の3分の1、ビル・バーンバックの3分の1、(ジュリアン)ケーニグの3分の1」と答えています。
ケーニグというのは、当時DDBにいて、VWの広告のコピーを書いていた人ですが、半年もしないうちにやめて、自分自身の代理店を(ジョージ)ロイス氏と開いた人です。

それにしても、「意気消沈して」休暇旅行へ出かけて行ったとは、どこかで聞いた芸術家の話に似ています。
勢いこんで描き上げた作品が、出来上がってみると意にそわない…逃げ出すように旅行に出かけ、帰ってみると…という、例の話です。
これは、クローン氏の中にある芸術家気質を表わした言葉でしょう。
大体、このクローン氏は、DDBの幹部アートディレクターの中でも風変わりな人で、「完全主義者」と呼ばれているほどです。
なぜかといえば、一つのキャンペーンを仕上げるのに、半年もかけて磨き上げることがあるからです。
VWの広告で、彼がどんなに完全主義者ぶりを発揮したかを示す事例も告白しています。
それは、広告文の見せ方に関するもので、
「私は、最初のVWの広告では、実際にカミソリの刃を使って、半端な行(文節の段落の余白)を切って入れてみました。そして、ケーニグに、こういうふうに書いてくれと頼みました。
私は、意識的に本文の文字組みの感じが堅くならないようにしたのです。
そして、一つの文章を半分に割ることができると感じて、二つの文章を分けてつくることを提案したのです。
これは、広告文の新しいスタイルをつくり出しました。
後にバーンバック氏が、『主語、動詞、目的語』とたとえた、あれです」
こうして、VWの広告文のユニークな語り口が生まれたのです。わかってしまうと、あっけないほど簡単なことですが──。


フォルクスワーゲンは変わるでしょうか?
答えはイエスです。
フォルクスワーゲンは、一年を通じて間断なく変化しています。1959年の一年間だけでも、80カ所も変わりました。
しかし、どれも目に見える変更ではありません。私たちは、はやりすたりをよいことだとは思っていません。私たちは変更のための変更などはいたしません。ですから、この勇ましくて小さなフォルクスワーゲンの外形は今後もずっと変わらないでしょう。不格好なししっ鼻も、ずっとこのままでしょう」(注:VWの最初の広告の前半)

といった簡潔で魅力的な文章の秘密は、これだったのです。
クローン氏が、誌面効果を先に考え、こう見えるべきだと信じて先行させたレイアウトによって、広告文の新しいスタイルが生まれたのです。
つまり、DDBのペア・チームは、相互に影響し合って新しいものを創造して行くわけです。