創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-01興味があれば申し出る

この部のおもな登場人物

氏名 人物紹介
ウィリアム・バーンバック DDB社の会長
ロバート・ゲイジ DDB社のクリエイティブ・ディレクター
フィリス・ロビンソン夫人 DDB社のコピー部顧問
ロール・パーカー夫人 DDB社のコピー・スーパバイザー。来日経験二回
レオナルド・シローイッツ DDB社のクリエイティブ・マネジメント・ディレクター。副社長。ソニーのアートディレクターとして有名。ユダヤアメリカ人
レオン・メドウ DDB社のコピー部管理部長。副社長。ユダヤアメリカ人
ロバート・レブンソン ユダヤアメリカ人コピー・チーフ。副社長。VWのライターとして有名。ユダヤアメリカ人
ヘルムート・クローン DDB社のクリエイティブ・マネジメント・ディレクター。副社長。VWとエイビスのキャンペーンの創始者
スタンリー・リー DDB社のコピー・スーパバイザー。副社長。ジョンソン大統領のキャンペーン担当
ポーラ・グリーン女史 DDB社のクリエイティブ・マネジメント・ディレクター。副社長
シドニー・マイヤーズ DDB社のアート・スーパバイザー

第3章 管理者と実作

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DDBにおけるクリエイティブ部門の仕事の進め方がどのようになっているかの大略は、幹部コピーライターであるパーカー女史が、電通で講演した時のものがいちばん詳しいので、その後の若干の組織変更を加筆しながら引用しましょう。

DDBが新規のお得意を開拓した場合や、あるいは現在扱っているお得意から新製品が発表されて、そのアカウントの扱いを依頼された場合、その仕事はコピーライターとアートディレクターからなるチームに割当てられます。
しばしばビル・バーンバックさん自ら、このクリエイティブ・チームの選定を行います。

また、クリエイティブのスタッフのほうから、このアカウントには興味があるので、ぜひともやらして下さいといって、バーンバックに頼み込む場合もあります。
しかし、大多数の場合、アカウントの割当ては、コピー部のマネジャーとアート部のマネジャーの手で行います。
彼らの仕事はチーフ・アートディレクターとコピー・チーフの仕事と種類を異にするものです(注・季刊「クリエティビティ」電通刊)。

 たとえば、DDBベター・ビジョン協会が新しい得意先になった時のことを、幹部アートディレクターである(レオナルド)シローイッツ氏はこう語っています。

「数年前、ベター・ビジョン協会DDBの新しいアカウントになりました。私は、本能的に、それがすばらしい可能性を持つものであると感じました。

 この協会は、他の広告代理店のもとで六年間、それ以前にも十年間ほど広告を出していました。その間にこのアカウントに関する目に立つような広告は何一つ行なわれていませんでした。私はこのアカウントがDDBにきたことを知ると同時に、すぐにそのために働くことを申請しました。

 私はボブ・ゲイジのもとに行き、いいました。
『ボブ、私がその仕事をしたいと思っている新しいそしてすばらしいアカウントが来たようだね。ベター・ビジョン協会という名だ』
『どんな会社だい。聞いたこともないね』
とボブは答えました(これが15年間広告にお金を費やした後での出来事なのです)。

『とにかく、私をそこで働かせてくださいよ』
と私はいい、彼も承知しました。
私がアートディレクターとして、(レオン)メドウがコピーライターとして担当しました。
レオンと私はそれ以来、ベター・ビジョンのすべての広告に参加しています」(注・1967年、チューリッヒでの講演)。

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