創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-01リーダーの影響力を調べてみる

この部のおもな登校人物

氏名 人物紹介
ウィリアム・バーンバック DDB社の創設者。現会長
ポーラ・グリーン女史 DDB社のクリエイティブ・マネジメント・ディレクター。エイビスの広告を創案。
レオン・メドウ DDB社のコピー部管理部長。作家出身
スタンリー・リー DDB社のコピー・スーパバイザー。エンジニア出身
レオナルド・シローイッツ DDB社のクリエイティブ・マネジメント・スーパバイザー。モービル石油の広告で有名
ロン・ローゼンフェルド かつてDDB社の幹部コピーライター。ユダヤアメリカ人
ロール・パーカー夫人 DDB社のコピー・スーパバイザー。筆者の親友
フィリス・ロビンソン夫人 DDB社創業時に選ばれてコピー・チーフに就任し、数多くのライターを育てた
ジャック・ディロン DDB社のコピー・スーパバイザー。副社長
チャック・コルイ DDB社のコピーライター
リチャード・ディック かつてのDDB社のコピーライター
チャールス・モス
ユージン・ケイス
ヘルムート・クローン DDB社のクリエイティブ・マネジメント・ディレクター。副社長
リチャード・バージェロン DDB社の副社長。オーバックスの担当アートディレクター


 ファンジェは『創造性の開発』(前出)の第6章を「情動と環境」という章に当て、
 「現代のように『進化した』社会でさえも、周囲の環境によって、未来の創造者を窒息させることができるのである」と指摘しています。
 
 彼がいう「窒息的な環境」とは、上役の一言が法律であるところ、労働日が決まりきった活動でぎっしり詰まっているところ、アイデアの欠点ばかり取り上げる人々のいるところ、秩序を特に重んじるところ、「考えよ」というようなスローガンを張り出しているところ…などです。

 これに対して反対する気はありませんが、むしろ必要なのは、「創造的な環境」とはどういうところか、をあげることではないでしょうか?

 ファンジェの指摘にもかかわらず、「窒息的な環境」をつくりあげている人々は、なんらかの正当めかした理由を考え出していい抜けると思われるからです。たとえば、「不満が現状改革を思いつかせることもあるではないか」といったふうに。

 確かに、市川亀久弥氏は、『創造に生きる人間』(講談社刊)の中で、
 「直接に、創造理論の立場からではないが、不満が現状改革へのエネルギー源となっているという考え方は、精神分析学を提唱したフロイトが、周知の汎性欲説(パン・セクシアリズム)によって述べている。

 少なくとも、リビドーのエネルギーが昇華して、文化や文明を生み出すものであるとする考え方の背景には、現状にあきたりない、不満のエネルギー前提に、あらゆる創造的労働が出発するという、わたしの考え方と軌を一にするものがある」

と述べておられますから、「不満をいだかせる環境」も創造を触発するでしょう。

 季刊誌『創造』第2号で、湯川秀樹博士ほか5人の人たちが、「創造理論としてのシュレディンガーの世界観」と題する座談会をやっておられます。
話がたまたま植物の生長点に及んだ時、芦田譲治教授(京都大学)が、条件によって葉っぱができたり、花びらができたりする、しかもそれは、「外の条件は強く影響しますが、結局それは中の条件になっている」と発言されています。
これは非常に興味深い示唆で、「強く影響する」外の条件というものを「創造的な環境」として取材するのも面白い…と私は思いました。

第6章 イマジネーションの浮遊

03-01リーダーの影響力を調べてみる

 私は、DDBの幹部社員の数人に、「バーンバック氏があなたに話してくれたことの中で、最も印象に残っている言葉は?」と質問して回ったことがありました。

 なぜ、こんなことをしたかといえば、集団創造をして行く場合、その集団のリーダーというか、ボスというか、とにかく中心的人物の影響力というものを調べてみたかったからです。

 「座右の銘」というのは、その人のそれまでの全人生体験から選ばれた文句でしょうが、この場合は、その人がDDBという集団の中で彼の価値基準として信じているものであり、彼の中で再生産されて周囲の人々にも容認されつつ伝播されるはずのものです。

 こんなことを私に思いつかせたのは、ある座談会で、建築家の菊竹清訓氏らと「集団創造の論理」(「広告」1964年5月号博報堂刊)について話し合ったのが直接の動機でした。

 菊竹氏は、つくるものを「かた」と「かたち」の二つに分けて、「かたち」は再生産のきくものであり、こまぎれにでもできるものと定義づけ、「かた」は、一度つくってしまうと二度とは使えないものと考えると発言したあとで、

「『かた』と『かたち』ということは、集団がその考え方を体系づけるための方法論として申し上げているわけですが、リーダーのもつ『かた』がすぐれていればいるほど、メンバーが自由に『かたち』として展開できるわけです。
そのとき、全体のビジョンとかイメージの統一を欠かないために、私は『かた』以前の『か』ということを考えるわけです。
『か』とは語源的にも、中心とかキイ・ポイントに当たるものなんですが、イメージという言葉で表してもいい。
『か』があるかないかで、制作されたものもプロセスも変わってくるんです」
と述べられました。

 それまでの私は、アメリカの広告代理店はそれぞれ固有のやり方を持っており、それはそれぞれの「創造哲学 creative philosophy」に基づくものだと指摘しただけで、多くを解説しませんでした。しかし、菊竹氏の言葉を聞いた時、リーダーの持っている「かた」と「か」が集団成員にどう影響しているかを証明しなければ…と思ったのです。