創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(492)パーカー夫人のスピーチ(6)

パーカー家は、マンハッタンのハドソン川側---コロンビア大学のキャンパスに近いマンションに住んでいる。
子どもはいない。部屋をととのえることと料理と外国旅行が夫人の趣味なので、いつ訪問してもきれいに片付いている。いわゆる、賢い主婦のいる家のようだが、掃除・買出しなどはパートのホームキーパーに頼んでいる。
43丁目にあるDDBへの出勤に、タクシーの相乗りを提案したことがあったが、行動の制約を求められるのを嫌って、同調者がでなかった---と明るく笑っていた。だから一人でタクシー通勤。
大ホーム・パーティのとき、氷が足りなくなると、数軒に貰いに走る。そういう親密な居住者との仲もうまくやっている。


DDBのクリエイティビティの秘密(6)


講演者:ローリー・パーカー夫人
DDB 副社長兼 コピー・スーパバイザー(1966年当時


DDBで働いている人たち


それでは、次にビル・バーンバックの最もすばらしい業績の一つをお話ししましょう。
DDBは、1社のクライアント(オーバックス)の50万ドルだけで創業し、17年目にの扱いが1億8,000万ドルに成長していました。
が、なおかつトップレベルのクリエティブ作品を作り続けています。


これはビル・バーンバックが、どうやったら才能のあるクリエティブ・マンを社に引きつけておけるか、知っているからです。
そしてまた、各人の才能を好きなように伸ばさせているからです。
彼はある種の有名なクリエティブ・マンたちがよくやるように、自分のやり方をおしつけるようなことはしません。
ビルにとっては、クリエテイブの公式や規則はありません。
彼はコピーが長くなければいけないとか、短くなければいけないとか、ヘッドラインには「あなた」というコトバが入っていけないし、クライアントのロゴは原稿の右下にしなればいけない---などとは申しません。


彼が要求することは、新鮮なアプローチを使ってやる気を起こさせ、読者に行動を起こさせるような原稿を作れということです。


次に、DDBの給料がとびぬけて高いかどうか、お知りになりたいでしょう。
ニューヨークの他の広告代理店の多くと比べてみれば、高くはありません。いわば平均といったところです。
実際のところ、前に働いていた広告代理店より低い給料でDDBへやってくる人もずいぶんいるんです。
しかし、2年もDDBで働いていると、彼らの市場価値が上りますから、他社に移って2倍の給料を得ることもできるのです。
このようにして優秀な人材を失うこともありますが、残念です。
私たちの周囲に優秀なコピーライターやアートディレクターが大勢いるということは、考えようによっては、たいへん重荷になることかもしれません。
しかし、この競争が逆に刺激になるのです。
廊下を歩いていますと、アートディレクターの部屋の壁に貼ってある新しい作品を見ることができます。
また、毎月、社で作った新しいテレビコマーシャルの試写を見ることができます。
「どうしたら、彼らに追いついて行けるのか」という代りに、 「もし、こんな新しいアプローチをかけた作品を彼らが作ることができるのなら、私にもできないはずはない」と自分に云って聞かせるのです。


仕事に対する満足がすべて


私は、アートディレクターの部屋には作品がかかげてあると申しました。
DDBには、自分の作品を貼り出してないアートディレクターの部屋やコ'ピーライターの部屋はありません。
ビル・バーンバックは、ときとき新しいお得意に我が社のクリエティブ水準を見せるために、アートディレクターたちの部屋をいっしょに連れて歩きまわることがあります。
現在、印刷媒体よりテレビの原稿のほうが多いので、壁にかかげておく作品が不足してしまっています。そこで、多くのアートディレクターは数カ月前、あるいは数年前の作品を飾っています。
将来は、きっと訪問客に自分の作品を見せるためには、各部屋に専用の映写機を置いて、1日中自分の作ったテレビCMを上映しなければならなくなるでしょう。


自分たちは少々うぬぼれを感じているかもしれませんが、どうぞお許し下さい。
DDBには豪華な事務所もありませんし、私たちの同僚が他の広告代理店へ引きぬかれて取っている素晴らしいサラリーもありません。
DDBでの報酬の殆んどが、仕事での誇りというかたちでやってきます。社の幹部のドイル、デーン、バーンバックの3人は、このことを知っており、できるだけ多くのコンクール---たとえばアートディレクター賞、アンディー賞、全米国際テレビ祭ゴールドキー賞等に参加するよう、奨めております。
仕事上の満足感は、また別の効果をもたらします。
DDBのコピーライターの中で、半分書きかけの小説を机の中に入れておくような人間を見つけるのも、また、早く家へ帰って描きかけの油絵を措き上げるようなアートディレクターを見つけるのも困難です。
9時半の出社から5時半の退社までの問にみっちり働いて、私ちは満足感を得ているのです。
もちろん、私たちも趣味を持っておりますが、これはクリエティブ上の不満のハケ口を見つけるためのものではなくて、ほんとうの意味の趣味なのです。
私たちは、いろんな種頬の人間が混り合っており、お互いに競争心にもえ、自分の仕事には誇りを感じて、満足していると申し上げました。


これにつけ加えることが一つだけあります。
それは、私たちがたいへんだらしない人間であるということです。
社の見学者たちは、DDBの気どらない格好に驚きます。
大きな広告代理店の殆んとは、高級オフィス街に豪華な事務所をかまえています。
DDBは、場末に普通の事務所をかまえているにすぎません。
使っている家具も機能的なものばかりで、装飾も最小限にとどめております。
多分、反骨者精神とでも申しましょうか。私たちは、このDDBの姿に誇りを感じているのです。
また、自分の費用で自分の部屋を飾りたてるということは、皆からいやな顔をされます。
唯一の例外は、副社長の地位に昇格した時で、この時は自分の好みにしたがって部屋を改造するよう、わずかばかりの費用が会社から支出されます。
副社長になったからは、なんらかの「ステータス・シンボル(地位の象徴)」をもらってもよいのではないないかというわけです。


>>(了)「DDBスタイルは変化する」「DDB出身の広告代理店」


参照
ロール・パーカー夫人とのインタヴュー
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