(796)『アメリカのユダヤ人』を読む(32)
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平信徒の宗教 (4)
共産主義とときどき浮気をしたユダヤ人ですらすぐに反対派に転じた。
原因はユダヤ人の性格にある。
ユダヤ人を共産主義にひきつけるのは片意地な反権威主義である。
「子供の頃そうなったことがあります」と元共産主義者が私に言った。
「私はボーイスカウトの一員だったのですが、団長があまりにも権力をもって
いるために口論をし、私は陳情書を書きました」。
最近、ニューヨーク・タイムズ紙がインタビューした多くのユダヤ人大学生に
も同様の傾向が見られた。
なぜ民主社会のための学生連盟(SDS)に入ったかとの質問に、SDSの目
的がはっきりわからないながらも、その「抗議姿勢」「権カヘの挑戦」「過激
な変化が必要だという主張」が気に入ったからだと答えていた。(注10)
ユダヤ人は権力に挑戦するのが好きである。
危険思想の講演に出向いたりその種の本を読む。
無法や激情的なものであっても、とにかくすべての意見に好奇心を持つ。
このため実際よりも過激に見えることが多い。
だがユダヤ人の心中には自動制御装置があって、権力に挑戦するなら、挑戦が
許されるほど弾力的な社会に住めと内なる声が命じているのである。
だから共産主義や極端主義の運動と浮気はしても、完全な権力主義にはいるこ
とだけは避ける。
ユダヤ人は偏執狂的ではない。
偏執狂的人間に治められた世界は「ユダヤ人のためにならない」ことを本能的
に察知してもいる。
ユダヤ人が共産主義者になれない理由はまだある。
貧しく虐げられた大衆に同情はしても、心からは信用しない。
人民主義運動がユダヤ人のためにならないということは歴史が教えた。
1920年代の大衆の感情を煽動してレオ・フランクをリンチにかけたジョー
ジアの煽動政治家トム・ワトソンも人民主義の指導者だった。
ヒトラーもスターリンもそうだった。
これはユダヤ人共産主義者ですら認めざるを得ない。
今世紀に入ってからのユダヤ系アメリカ人の政治的英雄がトルーマンやジョン
ソンのような庶民的な人物ではなく、スチーブンソン、ケネディ、フランクリ
ン・ルーズベルトのような名門出身者であるのは偶然ではない。
今日、新左翼を分裂させているのは人民主義である。
非人民主義の過激派は口やかましい知識人で、イデオロギー的でユダヤ人的で
ある(エール大の左翼グループのR50%がユダヤ人である。
ミシガン大ではSDS議長を過去2回ユダヤ人が勤めた)。
しかし脱都会的で洗練されていない過激派グループが最近とみに勢力を増して
きている。
現実的で反インテリで異教徒的である。
その基本哲学は「事態を変えよう! 計画などクソくらえ!」であると「左翼
ゴールドウォーターリズム」の若いユダヤ人活動家が教えてくれた。
いまのところはっきり分離してはいないが、遅かれ早かれそうなるに違いない。
一世代前の過激論者は、共産主義の真髄に人民主義と権力主義があるの
を見たときに共産主義に背を向けた。
今日新左翼に属している若いユダヤ人も同じ理由で、この運動から離れていく
だろう。
彼らの多くは1967年に新左翼協議会がマス・ヒステリー症状を呈し、民主
的な議事手続きを破った時に心を乱された――そして反シオニズムに薄いベー
ルをかぶせただけの反ユダヤ主義が底に流れているのを見た。
それ以前でもある年の夏、いくぶん組織化された人種闘争が起こり、ユダヤ人
活動家は観念的な目的を達するには暴力手段に訴えなければならないという危
険思想に到達せざるを得なかった。
「暴力が必要です。それを思うと恐ろしくなります」 (注11)
とある若者が言った。
そしてユダヤ人過激論者も自分では気づいていないかも知れないが、やはり
「ユダヤ人のためになるか?」と自問せざるを得ないのである。
ユダヤ人の若い過激論者はユダヤ人共同体を認めないと異口同音にいう。
共同体のリベラリズムはいかさまで見せかけでしかない、言葉だけのもの、
過去の反射作用であって行動を伴っていない、ユダヤ人は他の中流階級のア
メリカ人程度のリベラルでしかないと言う。
この非難の当否は、現代アメリカのリベラリズムに不可欠の主題、黒人公民
権問題」――対するユダヤ人共同体の反応をつぶさに調べてみなければなん
とも言えない。
ユダヤ人に有利な証拠はいままでにも何度もあげたが、ここで一括する価
値があろう。
戦後、防衛諸機関が反ユダヤ主義との戦いの姿勢を受身から積極的なものに
変えた時、アメリカの黒人を改良することにも大きな関心を示した。
1940年代にはユダヤ人会議のアレクサンダー・ペケリスが法・社会活動コ
ミッションを設立し、米国有色人種擁護協議会(NAACP)と提携して人
種差別のテストケースを法廷に持ちこんだ。
数年後、ユダヤ人委員会と反対リーグも同じような活動に従事することにな
った。
ユダヤ人委員会は全国のユダヤ人ビジネスマンを説得して黒人に仕事を提供
させ、黒人を訓練する企画をたてることに特に力を入れた。
すると他の人間関係諸機関がその運動をとりあげた。
ユダヤ人女性全国協議会は全国向け刊行物で公民権運動賛成の記事を載せて南部の支部
をショックにおとしいれた。
ユダヤ人労働者委員会はユダヤ人労組を通じて人種差別撤廃運動を開始した。
そこへ会堂側が加わった。
改革派はまず手はじめに社会活動委員会をつくり、それに保守派が続き、最後に正統派
が加わった。
だが正統派は社会活動よりも宗教活動に重点をおいていた。
ユダヤ人諸機関が宗教的にしろ非宗教的にしろ、アメリカの白人組織よりもずっと早く
から黒人公民権問題と取り組んできたことには疑問の余地はない。
しかしこれらの諸機関が介入するよりも前に、ユダヤ人個人はすでにこの闘争に参加
していた。
NAACP会長は25年間いつもユダヤ人であった。
この地位は名誉職で(実際に活動に参加する幹部連や現場の人々は黒人であった)、こ
れはNAACPがユダヤ人から莫大な財政援助を受けてきたことを示す。
さらにさかのぼって、1923年にはルイス・マーシャルがNAACPの委員になり最高
裁判所でさまざまなケースを論じた。
今日ではNAACPの弁護基金の責任者にはジャック・ダリーンバーグというユダヤ人が
あたっている。
最近でもユダヤ人活動家やユダヤ人の金は公民権運動グループの命綱である。
特に人種差別撤廃協議会(CORE)と学生の手による非暴力公民権運動委員会(SNCC)
にとってはそうである。
人種差別反対デモをやったニューヨーク市大の最初の組織はヒレルの学生団体であった。
彼らはジャッキー・ロビンソンと協力して、過越祭のラリーをスポンサーし、ユダヤ人の
祭日にとっても黒人運動にとってもぴったりのカフスボタンを売った。
カフスボタンには「民を行かせたまえ」 (ユダヤ人はユダヤに地へ。黒人は黒人の地へ返すべきとの意味)
という標語が入れてあった。
1964年の夏、黒人に有権者登録をすすめるためにミシシッピーに向かった白人の半数
はユダヤ人だった。
殺された2人の白人もユダヤ人だった。
ほとんどは個人参加だったが、ユダヤ人のグループの代表者として出向いた者も多かった。
ブランダイス大学も代表団を送りこんだ。
超改革派からヤング・イスラエルにいたるまでのユダヤ教の全宗派の代表ラビたちも多数姿
を見せた。
百人聖職者の数よりもラビのほうが多かった。
事実、ヤームルカ(半円帽)がその夏の公民権運動の非公式な象徴になったほどである。
ユダヤ神学校はアラバマ州セルマに、2,000個のヤームルカを送った。
白人も黒人も行進参加者は自由の帽子としてヤームルカをかぶった。
この項、明日につづく。