創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(797)『アメリカのユダヤ人』を読む(33)

はてなスターカウンター

今の★数累計です。

生  活


平信徒の宗教 (5)



 北部では地域的な論争が起こるとユダヤ人は黒人派につく。
住宅供給公正委員会でも活動的である。
デトロイトカンザスシチーでは人種差別撤廃法に投票した。
ワシントンDCでは黒人に参政権を与えることになる地方自治に好意的である。
カリフォルニアのユダヤ人は、住宅問題で黒人差別撤廃法案プロポジション14に
2対1の割で賛成投票した。
白人票全体の賛否は1対2だった。
ユダヤ人労組は他労組に先がけて人種差別反対法を支持し、黒人訓練機関を開いて
きた。
中西部の大手デパートのユダヤ人所有者が黒人仕入れ係の訓練計画を立ててまずま
ずの成功を収めた。
競合関係にあるユダヤ人デパート所有者もこの計画に興味を示して見学を依頼した。
その結果、大いに気に入って同じ計画を始めたばかりか、競争相手から幹部級の人
材を2人もひき抜いてしまった。


 微妙な社会生活面でもユダヤ人の記録には目ざましいものがある。
マイアミビーチのユダヤ人経営のホテルは非ユダヤ人ホテルよりもずっと前から黒
人客をとっている。
キャッツキルの行楽地は数年来黒人に開放されている。
ニューヨークの会堂の10代グループはハーレムの黒人系ユダヤ人の10代との合
同企画をときどき立てて、合同ダンスパーティを催したり、週末を郊外の清浄農場
で過ごしたりしている。
統計的な立証はできなが、黒人と結婚した白人の大多数がユダヤ人であることは大
方の認めるところである。


 最も顕著なのは南部のユダヤ人の行動である。
キリスト教徒の激烈な圧力――「クロンボ党」であることを非難する会堂爆破――
などにもめげず、南部のユダヤ人は白人の徹底的な人種差別主義に同調することは
ない。
改革派ラビ、マルコルム・スターンのバージニア州ノーフォークでの体験を見ると、
彼らの行動パターンがよくわかる。
彼らの会衆は裕福で由緒があり、どちらかというとリベラルさでは平均ユダヤ人以
下であった。
だからラビ・スターンの人種差別撤廃の叫びが異教徒の耳に入ることを恐れた。
折りも折り、ノーフォークは危機に見舞われた。
州議会は人種差別撤廃どころか小中学校を休校にしてしまったのである。
23人の父兄が学校を再開するように州に訴えた。
この23人のうちユダヤ人はたった1人で、しかもラビ・スターンの会衆ではなかっ
た。


 ほとんどは報復を恐れ、黒人公民権闘争で目立つ振舞いをしようとはしなかった。
だが闘争には共感を示した。
州を訴えた父兄側の訴訟費用のほとんどをユダヤ人共同体が負担し勝訴した。
学校は人種差別を撤廃して再開を命じられた。
再開予定の前日、暴動回避のために地方紙に全ページ広告が掲載された。
ノーフォークのすべての父兄に子供を学校へ戻すよう呼びかけたもので、高校で
成績上位の上級生でつくられた名誉組織キー・クラブ(多くはユダヤ人だった)の
署名入りだった。
この全ページ広告――予期どおりの成果を得た――はノーフォークユダヤ人連合
体(スターン・ラビの裕福な会衆の寄付によって維持されている)
が負担したものだった。数年後スターン・ラビがノーフォークを去る時、会衆はさ
よなら夕食会を催し「人種差別撤廃闘争の最前線の闘士」であったことを讃えたバ
ッジを贈ったという。


 同じようなパターンが南部のいたるところで繰りかえされている。
1950年代に名誉毀損反対リーグが黒人公民権運動支援の公式声明を出そうとし
た時、南部の支部は狼狽した。
なかには北部に代表団を送って立場を柔らげるように強要した共同体もあった。
「あなたがたが講演するたびに夫の店が焼かれるんじゃないかと心配でたまりませ
ん」とある女性は言った。
反対リーグは頑として譲らなかった。
今日では南部の支部は不服もらさないようになっただけでなく、反対リーグ方針に
忠実な支部になっている。
 

アメリカのユダヤ人が黒人公民権に好意的だという証拠をあげればきりがない。
にもかかわらず、それを反証するような証拠もある。
公民権運動を早くから指導した防衛諸機関が近年後退しつつあるのもその一例であ
る。
今日では貧民救済計画やデモ行進その他の活動面で、キリスト教教会のほうがユダ
ヤ人以上に進んでいる。
ユダヤ人は危険が迫るとたちまち戦列から後退してしまう傾向がある。
人種差別撤廃に対するユダヤ人の公的な支持はあっても、実際の行動が伴わないと
懐疑主義者は言う。
隣に黒人が越してくるとユダヤ人は引っ越していってしまう。
ポーランド人やイタリア人のように暴動を起こす必要はない。
他の場所に家を買う金があるからである。
ユダヤ人委員会やユダヤ人会議の会員のうち、何人が黒人在住地区に住んでいると
いうのだ?


 非宗教的な組織同様、会堂側も後退の道を歩んでいる。1964年に黒人の子供
たちが白人のバスに乗りこんでくるといって、クイーンズの父兄が公立学校の前で
ピケをはったとき、リベラルなグループは全宗派の聖職者に、ピケを通り抜ける黒
人の子供をエスコートさせた。プロテスタント各宗派も人を送った。カソリック
神父も多く現われた。だがラビは一人も現われなかった。
カンザスシチーでソール・アリンスキーが黒人スラム街改良計画を立てたときも、
ほとんどの教会は彼を支持したが会堂側は無視した。


 ある種の環境下では、ユダヤ人も他の者と同じくらい反黒人的行動をとることも
できる。
ロングアイランドのバスに関する会議でユダヤ人主婦がこう言ってのけた。
「クロンボは南部へ追いやってリンチでも受けさせればいいのよ!」
彼女はユダヤ人会議の地区会員だった。
ユダヤ人店主が牛耳っているハーレムの有力組織125丁目商店街はつい5年前ま
で黒人店主を閉めだしていた。
南部の多くのユダヤ人はKKKを避けてはいるものの、人種差別撤廃阻止をもくろ
む白人市民協議会に属していて南部の白人のような人種差別的な言葉を平気で吐く。
「入学したとき、黒人と白人が同じプールで泳いでるので吐き気を催したものです
よ!」とオハイオ大学の南部のユダヤ人青年が言った。


 そして個人的立場では、子供が黒人と結婚するような事態になればユダヤ人の親
は恐怖におののく。
黒人と親しく交際をしている者もまれだし、「ニガー」とか「クーン(クロちゃん)」
と言ったり、反黒人的ジョークをとばすことを躊躇する者も少ない。
制限つき社交クラブに憤慨はするが、ユダヤ人社交クラブも黒人をまず入会させな
い。
サンフランシスコのユダヤ人クラブがウィリー・メイズ(プロ野球)を会員にして取
り沙汰されたが、舞台裏で辛辣な争いがあったことは公にされていない。


 しかしユダヤ人の対黒人行動は多義的なので、それが好意と偏見のどちらを立証す
るものかわからない。
ニューヨークの郊外マウントバーノン(高級住宅地)で起こ
った数年前の事件がその好例である。
同地区小学校の理事会主催の人種差別撤廃闘争の公聴会が最高に盛りあがっていた時
のことである。辛辣な言葉が行きかい、納税者集団と父兄会のユダヤ人が人種差別撤
廃反対の言葉を吐いた。
たまりかねたCOREの黒人代表クリフオード・ブラウソンが「ヒトラーはたった一つ
誤った――ユダヤ人を完全に殺さなかったことだ!」と叫んでしまった。
この言葉がニュ―ヨーク・タイムズ紙に報道された。
そしてCOREにはブラウンを追放する気がないと知ったユダヤ人会議のマスロー執行
委員――初期の黒人公民権の勇敢な闘士であった――はCOREの執行部を辞任してし
まった。
多くのものが彼に続いた。


 ブラウンがあの言葉を吐いたその時に居あわせていた人の中には、ユダヤ人共同体の
姿勢や行動を批判した人もいた。
フォーチュン誌の編集者でアメリカの黒人問題の一大傑作といわれる『黒と白の危機』
の著者チャールズ・シルバーマンはマウントハーノンの居住者だが、ブラウンをそこま
で追いつめた学校の人種差別撤廃闘争にも参加していた。
彼の意見によるとこの事件が「ユダヤ人の共同体からリベラリズムという虚飾を取り払
った」とする。
マウントバーノンは多数派のイタリア人の配下にあるがPTAで活躍しているユダヤ
も多く、会長もユダヤ人でユダヤ人の有名会員ハーペイ・フェルトンが後にマウントバ
ーノンの教育委員会に選ばれたと彼は指摘している。


 マウントバーノンのほとんどのユダヤ人は学校の人種差別撤廃に反対で、反黒人的立
場がとれるうまいロ実はないかと待ちかまえていた時、ブラウンの寸言がみごとなきっ
かけとなったと彼は言う。
そしてCOREをマスローが退会したことはマウントバーノン以外のユダヤ人にも公民
権運動から降りるのに必要としていた絶対のきっかけを与えたと言うのである。


 彼が非難の対象からはぶいた中にレオン・ジック・ラビがいる。現在、ブランダイスに
籍を置いており、事件の時のマウットバーノンの改革派神殿の精神的指導者の一人で、
それまで学校の人種差別撤廃のため激しく闘っていた人物である。
ジック・ラビと話をしてみると、マウントバーノンのシルバーマンのユダヤ人観とは違う
見方をしていた。
彼らユダヤ人は他の白人連中よりもずっとリベラルであった。
PATのユダヤ人は声高でどぎつくもあったが、それも少数派だけのことで、共同体全
体の尊敬をかち得ていただけではなかった。
教育委員会を牛耳っていたハペイ・フェルトンの対立候補として立った婦人――マウン
トバーノンユダヤ人共同体センター会長――にユダヤ人はほとんどの票を入れた。
フェルトンを選んだのはイタリア人だった……と彼は言うのである。
 

 私が話したマウントバーノンの住民の半数はチャールズ・シルバーマンに賛同し、残
りはジック・ラビに賛同した。
誰が正しく誰が誤っているのかははっきりしない。
この事件は、すべてのユダヤ敬系アメリカ人の対黒人感情に流れている多義性をはっき
りと現わしている。
ユダヤアメリカ人は黒人に同情的であり、非好意的でもある。
そして、それが同時に現われることが多いのである。


 同情はまず第一にゼダカ(慈善)に対する信念の産物である。
ゼダカでは人間は神の前に平等であり、幸福な人生を送る資格が与えられている。
アメリカのユダヤ人が幸運であったという事実をもってしても、この信念を除くことは
できない。
それどころか、この信念を固執するもっと強い理由すらある。
ユダヤアメリカ人は時としてこのフェア・プレー感を道理の域をこえた」ところでも
発揮する。
ル・ロイ・ジョーンズが演壇に立って「ユダヤ人のリベラル」に関して手ひどいことを言
う時、聴衆の半分はユダヤ人だという。


 ユダヤ人が黒人に同情を寄せるもう一つの理由は、迫害という共通点からである。
マウントバーノンの黒人問題に関してヒトラーを持ち出したのはクリフォード・ブラウ
ンだけではなかった。
マスローがCOREから脱退したのに抗議して、ある初老のユダヤ人学者はこう書いた。
「600万人の犠牲者の名において、私はマウントバーノンの学校の人種差別撤廃を要
求する」


 多くのユダヤ人にはこれは単なる道義上の問題だけでなく、現実面の問題でもある。
防衛機関が黒人公民権問題に乗り出したのには、ユダヤ人の公民権を確立する唯一の手
段でもあると信じたからでもあった。
共同でやれば強い。
州議会がユダヤ人だけに適用する公正雇用法を通過させることはまず期待できない。
ユダヤ人が黒人から得た協力は、黒人がユダヤ人から得た協力ほどのニュース価値は得
られはしないが、両者とも内容的には実りのあるものである。
1948年にハイチとリベリアの国連代表者を説得してイスラエル建国を認めさせたの
も黒人の圧力があったからであった。
そして故マルティン・ルター・キング、ペイヤード・ラスティン、ロイーウィルキンス、
ジェームス・ファーマーらの黒人指導者は、ソ連反ユダヤ主義に対する抗議でも活躍
してきた。
KKKやロックウェルのアメリカ・ナチ党などのアメリカにおける反ユダヤ主義的な運
動は同時に反黒人でもある――両者の少数派はこのことを胸にとどめなければならない。
        

 ユダヤ人が黒人に同情を寄せるこうした理由があるにもかかわらず、反面、黒人に敵
意を抱く理由にも強いものがある。
もちろんユダヤ人間の反黒人感情は、アメリカの社会慣習の一産物である。
出世をしたいというアメリカの夢を吹きこまれているウェストチェスターのある若夫婦
は近所に黒人が引っ越してくるとおびえてしまう。
黒人の女中が〔生意気〕になるから公民権運動には反対だという衣料業者の妻は、コー
エン(典型的なユダヤ姓)ではなくジョーンズにならっているのである。


 アメリカのユダヤ人の中流階級的性格も黒人敵視の動機となっている。
ほとんどのユダヤ人が接する黒人は、召使いか奉公人か運送人である。
移民の主婦たちはかつて家事の切りもりを助けてくれた黒人女性をシュバルツァ――
「黒い人」という意味のイディッシュ語――と呼んだ。
憎しみの言葉ではなく、嘲りの言葉であった。
この心理はいまもユダヤ人の心に残っている。


 しかしユダヤ人が黒人に敵意を抱いているのは、恐れがあるからである。
まず異教徒であるがゆえに恐れる。
黒人の反ユダヤ主義は白人のそれよりもずっとたちが悪い。
ユダヤ人は、黒人から反ユダヤ主義を受けるはずがない、白人世界では黒人の親友で
あったのだから……と思っている。
黒人の反ユダヤ主義が存在することはすなわち「どんなに異教徒につくしても結局は
裏切られる」ということの立証にほかならない。
ユダヤ人は心底で万一「黒人革命」が成功したら、黒人と白人クリスチャンが提携し
て向かってくる……という疑いを抱いているのである。


 これには、社会学者のナサン・ダラッツアーが詳細に分析いた「黒人は、アメリカの
宗教的多元性制度に挑戦している」というユダヤ人の感情が関連している。
民族的宗教的グループは自衛するとともに集まって住み、それぞれのクラブに属さな
ければならない。
その代わりに差別も受けず、この社会の物質的恩恵の享受を邪魔されない。
だが黒人はこのやり方は黒人には利益にならないと思っているようである。
物質的恩恵を享受してもいなければ、このゲームから一人だけはみ出てさえいる。
だから黒人はこのやり方を変えたがっている。
これが宗教的多元性が非常に好都合であったユダヤ人をおびやかす。
黒人の新しいルールはユダヤ人には絶望的なものであるに違いないという感情がユダ
ヤ人側にある。


 実生活面のある分野でも、ユダヤ人は黒人に挑戦されてもいる。
ユダヤ人は学校での人種差別撤廃を信じるが、教育の絶対的重要性も信ずる。
教養も意欲もない下層階級の黒人の子供が学校へ入ると、教育水準が落ちわが子が損
をする。
黒人が入りこんできつつある職業分野――教職、学校管理、社会事業、福祉事業の末
端――の仕事についているユダヤ人は多い。
ユダヤ人は偏見を防ぐために1920、30年代にこうした分野へなだれこみ、厳し
い試験や懸命の勉強を経て昇進していった。
だが今日の黒人は、自身の罪ではなく、社会が押しつけた垣根のためにそうした試験
にパスしない――それでも彼らは承認と昇進を主張している。
ユダヤ人はこれに強く反発している。
「私は一生懸命にやってここまできたのだ。彼らもそうすればいいじゃないか?」


 最後に深遠なレベル、無意識のレベルといってもいいようなところで、ユダヤ人と
黒人とは根本的に違う人間だと感じて黒人を恐れている。
ユダヤ人の世界は精神的で、黒人のは肉体的だ。
ユダヤ人は空想にふける。ユダヤ人は平和を信じ、黒人は暴力を信ずる。
ユダヤ人は懸命に働いて金を貯めこむ。
黒人はタクシー運転手に手を上げさせ、街で老人を襲う。
黒人の祖先が「奴隷」であったがゆえに、そして異様で不合理で予知できない、人種
――にもかかわらず異教徒なのだが――であるがゆえに、彼らは外部の世界……敵の、
「異教徒」の一種の神格化でもあるのである。


 こう書いてくると、ユダヤ人には黒人に敵意を抱くだけの理由が十分あるように思
える。
それは想像のものであり、現実のものであり、計算されたものであり、本能的なもの
でもある。
だがユダヤ人のリベラリズムはすべてまやかしでみせかけのものだとする若い過激論
者の非難をこれが立証するであろうか? 
正反対を立証するものだと私は思う。
ユダヤ人の黒人に対する敵意の本当のポイントはそれがユダヤ人を打ちひしがすもの
でもなければ、彼の内部の他の推進力を破壊してしまうものでもないということであ
る。
ユダヤ人がアメリカの他の白人をおびやかすのと同じように黒人はユダヤ人をおびや
かす。
しかも他の異教徒には感じることもできないようなやり方で。
たとえユダヤ人が他のアメリカ人よりも黒人にひどくあたってもさして驚くに値しな
いばかりか、ユダヤ人は他のアメリカよりもよく黒人に相対しているのである。


 ユダヤ人内部の倫理的な命令「弱い人、虐げられた人々に感じる親近感」には、反対
圧力に持ちこたえられるだけの強さがある。
切り抜ける――反黒人感情は依然彼の中に存在し続ける――のではなく、善戦するだ
けの力があるのである。
マウントバーノンの多くのユダヤ人は黒人の反ユダヤ主義を自分たちの道義上の義務
を怠るためのロ実に使いはした。
だがロ実を必要としてもいたのである。
マウントバーノンの他の白人には「非難の対象」となる人はいなかった。
それは彼らがいまだかつて「対象の中」にいたためしがないからである。
彼らの社会には意見のぶつかりあいもなかった。
それは最初から彼らが道義上の義務を感じたためしがないからであった。こ
のことは黒人指導層がよく知っている。「ユダヤ人とは彼らの義務観について語り合
うことができる。
無駄なこともあるが……。
他の白人とは話すこともできない」とその人は言った。


 このむずかしい時世に、ユダヤ人は困惑している。彼は偏見を憎む。
当世風だからでもなく偽善からでもない。
真正な情熱をもって憎むのである。
だが、そうは思っても彼の中に偏見が存在することも認めざるを得ない。
これはアメリカのすべてのユダヤ人に言えることである。
自分に偏見があることを認めるのは若い過激論者には至難のことではあろうが、やはり
若い過激論者にも同じことが言える。
われわれが自己満足に陥らず、恐怖にかられてもいなければ、ある初老のユダヤ人実業
家の次の言葉をそっくり繰りかえすことができよう。
「人間はつねに自己を向上させるべきだと思っていました。
NAACPに金も出しました。
誰にも公平であれるように子供を教育してきました。
でも犯罪も暴動もあるので、突然、私が偏見を持っていることがわかったのです。
そんな自分がいやでたまりません。
誰か助けてくれる人がいないものでしょうか」



注1.Lawrence Fuchs, The Political Behavior of AmericanJews, New York, The Free Press, 1956. ~
2. L. S. Dawidowicz and L. J. Goldstein, Politics in a Pluralist Democracy, New York, Institute of      Human Relations Press, 1963.
3.  A speech before the annual meeting of the Conference on Jewish Sociology, May 17, 1967.
4.  Max Geltman, "The Jewish Affirmation," National Review, October 4, 1966.
4.  Dick Schaap in the New York Herald- Tribune, February 21, 1966.
5.  A letter from Herman J. Obermayer, in The Columbia Journalism Review, Fall, 1965.
6.  Milton Himmelfarb, "Church and State : How High a Wall?" Commentary, July, 1966.
7.  A speech Defore the annual meeting of the Conference on Jewish Sociology, May 17, 1967.
8.  "Jews in America," Fortune, 1936.
9.  The New York Times, October 24, 1966.
10.  The Nezv York Times, May 7, 1967.
11.  Nathan Glazer, '''Negroes and Jews: The New Challenge to Pluralism," Commentary, December, 1964.


この項、完。次は30日 (土) 31日 (日)