(789)『アメリカのユダヤ人』を読む(29)
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平信徒の宗教 (1)
ユダヤ人は個人主義的であることや意見の独自性を誇りにしている。
ところが、その政府的行動を予測することは国内の他のどの民族グループより
も簡単である。
ユダヤ人票というものが断固として存在するからである。
東欧系移民は共和党(社会主義者に入れる少数派も多かったが)であった。
今世紀初頭の20年間、ニューヨークの民主党はマニー会館(元来は慈善共済組合)
を意味し、これがアイルランド人の手中にあったため、ユダヤ人は勢力をふるう
ことができないと考えてぃたし、彼らの偶像はセオダー・ルーズベルト大統領だ
った。
移民票に署名してくれたからだろうか?
ユダヤ人票を共和党から民主党に変えさせた最初の全国候補はウッドロー・ウィ
ルソンであった。
その後フランクリンー・ルーズペルトがほとんどのユダヤ人票を民主党陣営に持ち
こんで以来、それが今日まで続いている。
1932年と36年にユダヤ人はルーズベルトに投票した。
1940年と44年には他の少数民族グループと労働者階級はルーズベルトを疑問
視し始めたが、ユダヤ人票の90%は彼にはいった。 (注1)
1948年はトルーマンに入れられた。
1952年と56年は国民が共和党のアイゼンハワーを支持したのに、ユダヤ人は
民主党のスチーブンソンに入れた。
他の少数民族ダループは民主党に幻滅を感じていたが、ユダヤ人だけは例外であった。
ケネディが辛うじて逃げ切った1960年にも80%が以上のユダヤ人票が彼に寄せ
られた。
この数字は他の宗教、民族グループよりも高かった。
経済的、社会的、職業的な身分差別はユダヤ人にほとんど影響を与えない。
たいていのアメリカ人は経済的、社会的地位が上がるにつれて政治観を変える。
金持ちは共和党に、貧乏人は民主党に入れる。
ユダヤ人は収入とか職業に関する限り徐々に上がってきて、上流階級の監督派教会
員や長老派教会員に近似している。
にもかかわらず最も富裕なユダヤ人ですら民主党への投票をやめない。
ユダヤ人が集中している地区の一つ、ロングアイランドのグレートネック(住民の
ほとんどが裕福)は古くから共和党の牙城として知られているが、1960年の選
挙では、同地区の住民の50%、ユダヤ人の61%がケネディに投票した。(注2)
ユダヤ人の投票態度で政治解説者を不思議がらせる特徴がもう一つある。
ユダヤ人は必ずしもユダヤ人に投票するとは限らないことである。
もちろんユダヤ人に悪意を持っている人物には投票しない。
だが候補者の宗教や民族的背景は問題ではないようである。
1061年のニューヨーク市長選で、民主党員でカソリック教徒のロバ
ート・ワグナーがユダヤ人で共和党員のルイス・レフコーイッツに勝った時、
ユダヤ人はワグナーを支持した。
もっと面白いことに、選挙前の民主党予備選――ワグナーとユダヤ人のアー
サー・レビットの間で争われた――でもワグナーがユダヤ人票を独占している。
両方が民主党員であってもユダヤ人に投票するとは決まっていないのである。
ユダヤ人であるという理由では、その候補者に投票しないとすれば、ユダ
ヤ人はどういう理由で票を入れるのか?
彼が「ユダヤ人的」であるからだ。
必ずしもユダヤ人でなくとも「ユダヤ人的」なものを与えることのできる人物
であればよいのである。
どのユダヤ人も候補者のユダヤ人らしさが政治的選択になんらかの影響を与えて
いることを認めはしないが、実際にはその傾向がある。
例えばユダヤ人が多い地区では、候補者がなんらかの民族的フプローチを使
えばまず失敗することはない。
こういうゲームはおもにニューヨークで行なわれ、ロサンゼルス、フィラデル
フィアがつづく。
これらの都市にはアメリカのユダヤ人の半数以上が住んでいる。
ニューヨークの新聞紙面は、候補者がユダヤ人地区――ローアー・イーストサイドや
衣料センター、グランドコンコース――を訪れてユダヤ人のしきたりに通じている
ことを示したといった記事でにぎわう。
ヨナー・シメル店の名物クニッシュ(食品)を買う。
エッグクリームを食べ、乳製品料理店に寄ってプリンツェス(食品)とサワークリームの
昼食をとる。
コニーアイランドヘ出向いて有名なナサンのホットドッグを食べる。
ナサンのホットドッグを食べている情景を写真に撮らせないような政治家は
ニューヨークでは法的に立候補できないと信じこんでいる連中もいるほどである。
候補者はもちろんユダヤ人の宴会にも出なければならない。
ユダヤ人関係諸機関の宴会に出る回数が多いほy好意を持たれる。
有権者自身も宴会に出席して、宴会に現われるほどの者なら献身的な公僕にな
れると判断する。
だが一つ警告しておきたい。
ユダヤ人には二重の人生観があるということである。
ユダヤ人は自己欺満家であるが、人がそれを期待するとみごとに欺いてみせる。
ある清浄食品店主がロックフェラー知事にサラミを原価で売った時、店の片隅
にいた男が「ロックフェラーに値引きしてやるなんて!」と叫んだ。
ユダヤ人をだませると思っている候補者は、片隅にいるこういうとるに足らな
い男に注意したほうがいい。
候補者はエッグクリームは忘れても、自分のチームのユダヤ人の活躍ぶりを
報告することを忘れてはならない。
異教徒候補者を受け入れるといっても、ユダヤ人の応援弁士やユダヤ人運動員
がいなくてはだめである。
そこを承知している候補者は応援弁士にすぐそれとわかるーユダヤ人を数人配し、
後援者名簿にも明記する。
政治権力はユダヤ人には真剣な問題なのである。
使いようによっては自分たちが不利になることを経験で知っているからである。
反ユダヤ主義者の政界入りを防ぐ手段は投票という武器しかない。
他のどのグループよりもユダヤ人投票率が高いのもこのためである。
数人のユダヤ人の取り巻きと資金源にユダヤ人の金がはいってさえいれば、侯
補者の悪意を食いとめうると(良きにつけ、悪しきにつけ)信じているのである。
だからユダヤ人票がほしい現職政治家は、改選前Q在職中に数人の
ユダヤ人を責任ある地位に任命しておく。
グラント大統領もユダヤ人に官職を提供した。セオダー・ルーズベルトは
商務・労働長官にオスカー・シュトラウスを起用し、彼がだめでもこのポスト
にはユダヤ人を起用しただろうと公言した。
ウィルソンは常にバーナード・バルーチェをホワイトハウスヘ呼んで諮問
してユダヤ人を喜ばせた。
フランクリン・ルーズペルトはヘンリー・モーゲンソーを財務長官に起用
した。
ジョン・ケネディはごていねいにも2人のユダヤ人――アーサー・ゴード
バーグとアブラハム・リピコフ――をプレーンに加えた。
アイゼソハワーは前半の4年間にユダヤ人を起用しなかったのでユダヤ人
の猪疑をかった。
ウィルソン以後の歴代大統領は1人以上のユダヤ人最高裁判事を任命して
いる。
過去30年間、ユダヤ人裁判官が辞めたり死んだら、後任をユダヤ人から
選ぶのが慣例となっている。
事実、こうした施策が政治の一部となっている都市もある。
サンフランシスコではどの委員会もユダヤ、プロテスタソト、カソリックの
各教徒から1人ずつ委員を加えることになっている。
最近では多くの都市で黒人も1人加えられる。
ユダヤ人候補者に対してもユダヤ人有権者は無造作には投票しない。
異教徒の時以上に条件が厳しいのである。
ユダヤ人候補者は、地区の習慣にはそれがどんなものであっても従わな
ければならない。
有権者が会堂に属していれば自分も属さなければならない。
連合体にも防衛諸機関にもイスラエル賛同グループにも連座しなければ
ならない。
連座は異教徒候補者にもすすめられるが、ユダヤ人には絶対条件である。
さもないと有権者はこう言う。
「奴はどんなユダヤ人なのだ?」
ユダヤ人候補者はさらに異教徒の世界にも的確な印象を与える必要がある。
ユダヤ人票だけでなく異教徒票も得るための絶対条件である。
だが異教徒が望むことと異教徒はこれを望んでいるとユダヤ人が思っている
ことがまるで違っている場合も多い。
だからユダヤ人候補者が州規模の選挙に立ったり、ユダヤ人と異教徒人口が
混じっている地区では、異教徒候補者には不必要な複雑な心理的ごまかしの
やり方を研究しなければならない。
もちろんイメージは時代とともに変わる。
30年前にはユダヤ人候補者の2つのタイプがユダヤ人有権者に人気があった。
一つはハーバート・リーマソに代表されるタイプ――裕福で威厳があって貴族的
で横柄なマナー、できるだけ異教徒らしく、かつユダヤ人の最も良いところを一
つだけ微妙に身につけているであった。
彼がいいとされていたのは「すぐれており、かつ異教徒に異教徒の言葉で話しか
けることができる」からだった。
もう一つのタイプは年配有権者が力を持っているニューヨーク
の各地区からいまだに議会へ送りこまれているレオナード・ファ
ーブスタイソ議員である。
彼はローアー・イーストサイドなまりをニューヨーク市大の教育に
よって巧みに隠している穏やかな小男である。
売りものは、暖かみと友好と平凡で古風で現実的なマイホーム人ら
しさである。
異教徒は一見しただけで、彼がハエー匹殺せない人物でイスラエル
についての感傷的な演説はするが安全な男だと思う。
『ウェストサイド・ストーリー』に出てきたやさしい薬屋のじいさ
んの政界版である。
若いユダヤ人有権者と多くの中年有権者には、彼はもう時代遅れ
になっている。
アブラハム・ビームが1965年のニューヨーク市長選でジョソ・リン
ゼーに敗れた理由の一つは、風刺画の対象となるほどの古いイメージ
を売りものにしたからである。
ニューヨークのユダヤ人は初のユダヤ人ニューヨーク市長の誕生を
期待したが、いかんせん一世代遅すぎた。
望まれるユダヤ人像ではなかったのである。
今日のユダヤ人候補者は自分の本来の姿を隠そうとしないで、ユダヤ
人であることを誇りにしているように振舞わなければならない。
と同時に小さな町のラビのように異教徒への大使としても貢献しなけ
れぼならない。
ユダヤ人票を集めうる条件を完備したユダヤ人候補者は、ニューヨ
ーク選出のジャコプ・ジャビッツ上院議員である。
ローアー・イースドーサイド生まれでイディッシュ語を話し、法学部
大学院で資格を得ている。
ある老婦人がこう言った。「彼は有能ですわ。父親は小使いでしたの
よ。ユダヤ人としてこれほど低い出発点はありませんわ」
これは年配有権者に訴えるジャビッツ像だが、若い投票者へのジャピッ
ツ像は、郊外に住み会堂のジムでハンドボールに興じる明るい重役風の
ところにある。
もう一ついいことにジャピッツには、ポップアートを買い求めたり、す
べての劇場の初日に出かけて夫に知識層の支持をもたらす洗練された妻
がいることである。
すべての人に合わせようと努力しているジャピッツの姿は一見に値する。
あるグループにはセンチメンタルで心が暖かくローアー・イーストサイド
から自力ではいあがった人物に、別のグループには器用で精力的な196
0年代の人物に苦もなく変わる。
必要ならば――例えばいろんな人が混ざった大集会で――2つのイメージ
を同時に使いわけてみせる。
もう一つジャピッツに備わっている基本的な特質は、あふれるばかりの
精力である。
上院議員「クラブ」には属していないが――そうだったらユダヤ人票の半
分を失ってしまう――どんな問題にも精通しているので、どの委員会も彼
なしではやっていけない。
にもかかわらず院外でこなしているスーパーマンもどきのスケジュールに
比べたら上院での活躍は何もしていないかのようにさえとれる。
演説をしない日はなく、いくつもの演説をこなすことさえ珍しくない。
また彼が意見を公表しないトピックは一つもないし、それもホットなうちに
やってのける。
彼が顔を見せる組織体の数ときたら目まいがするほどである。
1966年のある月にはユダヤ在郷軍入会の宴会、ニューヨークのロデルフ・
ショーレム聖堂の建立135周年記念祭、英国のフィリップ王子のためのナイ
ト・クラブでのパーティ、マウント・パーノン・イタリア市民協会の会議出席、
ソ連のユダヤ人処遇に対する抗議デモに参加し、イスラエル公債発行のための
夕食会とユダヤ人委員会の夕食会に出席し、さらに南米へ親善短期旅行をやっ
てのけた。
日常的な政策や手紙書き、電話、新聞や雑誌の閲覧のほかにこれだけのことを
やるのだ――しかも日曜日には息子を連れて五番街を散歩し、行きかう人に頭も
下げ会釈もする。
ジャビッツの戦略効果は誰にも否定できない。得票手腕も否定できない。
ブロンクス地区の引退衣料裁断師やスカーズデールのロエブス地区やワーバーダ
地区の広告関係の若手重役連とか財政的援助の半分をまかなっているドイツ系ユ
ダヤ人大富豪をひきつける魅力もまた然り。
すべてのユダヤ人が悩みを打ちあけられる人間であることも、ユダヤ人委員会や
反対リーグや他の諸機関から1週間に10本以上の電話がかかることも、「ユダ
ヤ人」問題に遭遇するたびに何百人かが手紙を寄こすことも、ジャピッツが必要
を満たしていることの証明である。
1960年代ですらユダヤ人政治家の昔ながらの役割――高所でユダヤ人を擁護
することや「ユダヤ人のため」になること――は完全に消え去ってはいないので
ある。
それでもユダヤ人が投票する候補者と言いきれないところがある。
カメレオンのような特質がすべて備わっていても、ユダヤ人票の本当に要求する
もの、最大公約数すなわちリベラリズムを満たしていない限り、ジャビッツとて
選ばれることはない。
リベラリズムはアメリカのユダヤ人の平信徒の宗教だとよく言われる。
いろいろな事実がはっきりと物語ってくれる。
いかなるユダヤ人諸機関(ユダヤ教協議会は例外)の意見もすべてリベラルであ
る。
ユダヤ人関係主要出版物の編集方針もすべてリベラルである。
アメリカ的なユダヤ人教育機関の学生気質もきわめてリベラルである。
イェシバ大学はブランダイスとともに堂々とバリー・ゴールドウォーターを拒絶し
たし、ニューヨーク市大よりも保守派びいきが少ない。
改革民主党員――ニューヨーク民主党内部の超リベラル派――のほとんどがユダヤ
人で占められている。
主要諸機関の中で最も保守的と言われるユダヤ人在郷軍人会の会員が、アメリカ人
在郷軍人会や海外派遣退役軍入会に入らないのも、両会の保守偏向がユダヤ人を不
安にするからである。
(アメリカ人在郷軍人会や退役軍人会会員よりもユダヤ人在郷軍入会会員数のほう
がずっと多い)
明日に、つづく。