創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(751)『アメリカのユダヤ人』を読む(17)

 

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祈  り


会堂機構 (上)



 今日、会堂は祈るために集まる大ホール以上の存在である。会堂はいろんな
異なった機能(宗教的なものもその一部)を果たす複雑な機構である。
礼拝の場であるとともにビジネスの場、社交センター、政治の場でもある。
したがって改革派、正統派、保守派などの呼称は、宗教的な面以外では会堂生
活にはまず関係ない――それにそれぞれの区分がはっきりしないことも多い。
アメリカにあるすべての会堂には共通点が多い。
ユダヤ人自身もこれを認めていることは、一つ以上の会堂に属している人が多
いことでわかる。
ためらわずにユダヤ教3宗派を渡り歩く者もいるし、一つの会堂に属していな
がら場違いの所で礼拝していると感じている人も多い。
ユダヤ人委員会によるボルチモアでの1963年の調査では、正統派に加入し
ている者の3分の1は「本当は」自分は保守派だと思っており、保守派、改革
派の10%も疑いを抱いているという結果がでた(注1)。


 だが、どんな会堂に属していようとかまわないというのも言い過ぎであろう。
共通点は多いが、それぞれの会堂はどこかしら異なっているのも事実である。


 まず外観が違う。
会堂建築様式や内装には標準の様式はない。
ローアー・イーストサイドのシュテイブルのように堀立小屋のようなのもあれば、
ニューヨークのエマニュエル聖堂のようにラジオ・シチー・ミュージックホールま
がいのものもある。
南部のある会堂は「プロテスタント教会の逸品」と評されるほどのものである。
一方私はニュージャージーユダヤ的要素をよほどとり入れたかったらしく、ブ
ッパー(結婚式の時に使うテント)のようなのを見たこともある。


 会堂の建築様式はその地方のスタイルに大きく影響を受けることが多い。
デトロイトのシャレー・ゼデックは巨大な超近代的なピラミッドで同地区の建築物
と似かよっている。
プルックリンの下層地区にある改革派の聖堂は30年代の公共事業促進局のような
建物で、事実近所の郵便局や地下鉄の駅が建てられた頃にできたものである。
土地が豊富なカリフォルニアの郊外の町の会堂は、横に広げて建てられている。
数棟の小屋風の建物が連なっていて、まわりも広々としており、駐車場も大きい。
ス−パーマーケットのような西海岸の会堂は、大駐車場がなければやっていけない。


 会堂内部の装飾も変化に豊んでいる。
ウェストチェスターの会堂のロビーと講堂は、格式が高く伝統のある英国人クラブ
とみまごうしゃれた木製パネル貼りである。
しかしロックアイランドの会堂のように明るい金色とブルーで装飾されていて荘麗
でそこのラビの言葉をかりれば「フランス風パーラーみたい」なものもある。
すべての会堂は、銘を刻みこんだ飾り板やブロンズ板で飾り立てられている。
聖堂の座席の後にも同様の銘が見られる。
ステンドグラスの窓の模様にも故人の名が効果的に織りこまれている。
これらの故人礼賛の銘は過去の会衆会員への愛情の現われである。
モーゼ五書謹製資金、改造資金、祈祷書調達資金、コーフス資金などの寄付金への
お返しである。
ブロンズ板をつくるほどの大口寄付の場合は会堂の週報に載る。
これは重要な会堂の資金調達策なのである。
もう一つの資金調達源は年会費を課することである。
通常、エマニュエル聖堂のような高級な会堂でも会費はほんの少額である。
カントリークラブと違って、会堂は加入希望のユダヤ信徒すべてに解放さければな
らない。
寄付金の多寡で加入を云々しては悪いイメージをつくってしまう。


 会堂は礼拝入場料はとらないが贖罪日ヨウム・キパ)、新年祭は別である。
これらの日には礼拝者に切符を買わせたり予約席を設ける会堂が多い。
祭壇に近いほど料金が高くなる。
エマニュエル聖堂の最高席は700ドルもするがそれでも希望者が多すぎるくらい
である。
エマニュエルの予約席は終身予約もできる。
いい席に移るには前列の人が死ぬか市外に引越した時しかない(メトロポリタン・
オペラも同じシステムである)。


 資金調達のためによく用いられるのは、ラビが説教を始める直前に聖堂から呼び
かける形式である。
「皿まわし」の慣例は会堂にはない。
礼拝者の席に白封筒が置いてあることもある。
中には署名用の紙と寄付金リスト――20ドルから――が入っている。
寄付したい金額に印をつけて紙を封筒に戻すわけである。
旧式な正統派の会堂ではもうすこし下品にやる。
ラビに名を読みあげられると人は寄付額を答える。
欠席していると、居あわせた人たちが寄付額決め、その額を出さされる。


営業的な手段をとる会堂もある。
社交ホールを結婚式やバー・ミツバのパーティに貸すわけである。
ニューヨークのリバーデール地区の会堂は、これで年間経費を半分浮かしている。
近くの清浄食品調達会社が奉納祭(ハーヌカー)ごとにラビにスコッチウイスキーを届けるほど、この貸ホール商売は繁盛している。


 社交ホールのない会堂にはギフト・ショップがある。
婦人団体の有志が、ホールに入りっぱなのドアのすぐ前で商品をガラスケースに
入れて売っている。
ケースの中のものはアメリカのユダヤ人生活をよく物語っている。
ユダヤ料理本、デスクサイズのメノーラ(七手燭台)、イスラエル・スカーフ、
モーゼ五書の形をしたブレスレット、賛美歌集、ピューリム物語の絵入りナプキ
ン、「私のバー・ミツバ」記念写真アルバム、ユダヤ教の象徴を浮き彫りにした
金銀の皿、I・B・シンガーやバーナード・マラマッドの小説のペーパー・パック版、
ワイン・グラス、過越祭(パス・オーバー)用の塩水カップユダヤ人ス
ポーツ選手の児童本、シャガールエルサレムの窓の陶器の複製などが雑然と並
べられている。


 集められた資金は、会堂の地代とか祈祷書、ヤームルカ、ラビ用衣裳の購入、
シャマス(守衛)や宗教学校教師やコーラスや先唱者やラビなどの給料に当てら
れる。
小さな会衆ではラビがコーラス指揮者を兼務したり妻が宗教学校を運営したりす
ることがよくある。


 会堂の会報印刷費としても使われる。
ガリ版刷りの貧弱な1枚ペラであったり安直な6ページ小冊子であったりするが、
会報のない会堂はない。
内容は似たりよったりなのが多い。
最初のページには会堂活動の近況や「この成功をもたらした」委員全員の名前な
どが載る。
宗教学校ニュース(バー・ミツバを受けた者、ヘブライ語の一等賞受賞者など)と
か、まもなく行なわれる行事や次週の礼拝予定などが載ることもある。
「婦人部」や「男子部」の雑報風の小欄もあり、ここでは誰もがアーブ、トッド、
アイク、シャールという名で記される。
近づいた宗教祭の意味、慈善の重要性、時事問題などをラビが寄稿することもあ
る。
ニュースや雑報に混じって地方の掟にかなった肉屋、レストラン、葬儀屋などの
広告も載る(注2)。


 この会報の内容が示すように、会堂はその神学的地位や建築物の美観やラビの
全国的組織に対する影響を本命としてはいない。
会堂とはすなわち会衆のことである。
個性とは会衆の個性である。
会衆の規模はそれぞれ大幅に異なる。
最低人数は10人のミニヤンである。
最大の会衆は、アメリカのユダヤ教聖堂(カテドラル)とも呼ばれるニューヨークのエマニュ
エル聖堂(テンプル)である。
3,200世帯がこれに属している。
誰もが会堂にくる大祭日(贖罪日と新年祭)第一礼拝所のほかに三つ
の講堂も開放しなければならないほどである。
各講堂ではアシスタント・ラビが礼拝を指揮し、主任ラビの説教がスピーカーで送
りこまれる。
名声と威光につつまれてはいるが独自の個性はない。
会衆の規模が大き過ぎて暖かみのある統一された雰囲気がない。
贖罪日にエマニュエルに集まる人々は、アイス・ショーを見にマジソン・スクェア・
ガーデンに集まってくる観客のように、隣席の人とはまるで関係がない。


 すべての会堂での会衆の行事――特に宗教的なものでなくラビ管轄外のものの
場合――は、複雑な政治的機構によって執行される。
中央には会長、監査役、幹事長のほか新会員募集とか墓地(会堂所有の墓地があ
る場合)の小区画販売や共同体関係の維持などを管理する委員会の委員長クラス
の幹部がすわる。
今日では公民権デモから産児制限家族計画にいたるまでの諸問題の決議案を後援
――時には実際活動をする場合もある――する社会活動委員会を備えた会堂も多
い。
それに講演企画、社会活動などを援助する婦入部やメンズクラブを持っている会
堂がほとんどである。
このメンズクラブや婦入部の役員はそれぞれ階級制になっている。


 誰が実権を握っているのかはっきりしない会堂が多い。
大共同体では会堂のマッハー(有力者)は会衆の会長で、権力争いは会長選挙の
頃が最もすさまじい。
良心的で会堂改良が唯一の関心事といった勤勉な会長もいるが、たいていは自分
の献身に対してより高い代償を求める。
ニューヨークのある会衆の会長は有名な演劇人で、安息日の夕べには自分の写真
入りちらしやニューヨーク・タイムズ紙にのった自分の最新記事の抜き刷りなど
掲示している。


 小さな共同体での会長の力は弱い。
顔見知り同士だからである。
会衆に及ぼす権威も、彼の商売の成功度や社会的地位によって変わってくる。
会堂の仕事は、輪番制で、番がまわってくると元気づくよりも苦しむほうが多い。


 役員と準役員の複雑な集まりの中でも、権力をふりまわすものが必ず数人いる。
最も多額の寄付をした者か最も勤勉な者であることが多い。
最も敬虔な者とか最もー五書を守った者ではない。
敬虔さを権力基準とすることはたいていの会衆に嫌われる。
数年前、ニュージャージーのある会堂の会長が委員会の委員は月に最低一回は礼
拝に出席しなければならないという規則を通そうとした。
会衆は彼の提案ならなんでも受け入れるほど人気のある会長だったが、この提案
ばかりは神経にふれた。
公開委員会がもたれ、人々はまるで大敵であるかのように彼をののしった。
そして圧倒的多数で否決してしまった。


 昔の会堂運営はずっと色彩豊かで刺激的だったと古老たちは言う。
昔はワンマンが会堂をぎゅうじり、自分の領土のように何年も治めた。
今日の会堂生活は合議的で、ワンマンがすべてを独裁できない。
だから権力争いは果てしないが、権力自体――は今日のアメリカの多くの組織がそ
うであるように――委員会次第である。



 たいていの会堂は多くの時間を礼拝よりも、社会活動に割いているとみられている。
会堂をユダヤ人センターと呼ぶ郊外地区の保守派の会衆は、この事実を率直に認め
ている。


 会堂加入の第一理由は社会的圧力と関係が深い。ニューヨークのような大都市では圧
力はないが、小さな町や中都市や郊外のユダヤ人たちは痛いほど感じている。
それはこんな具合に起きる。ユダヤ人の一団とキリスト教
徒の一団が郊外に移る。
地方の監督派教会がダンスパーティやティーパーティを開きはじめる。
ユダヤ人でキリスト教徒の友人に招かれることも多いが居心地はよくない。
自分たちの教会ではないからである。
隣りのキリスト教徒の子供が教会の日曜学校へ行き始める。
「ぽくも日曜学校へ行ってはいけないの?」とユダヤ人の子供が言う。
そこで自己防衛のためにユダヤ人も会堂を開く。
その後に郊外へ移ってきたユダヤ人家庭も同じ理由から余儀なく参加していくことになる。
 

 ニューヨークやロサンゼルスのような都市での会堂加入は50%ぽっちで、インジアナ州
マンシーで100%という理由もこれで説明がつく。
宗教復興ではなくウイル・ハーパーグが言う単なる行動の「宗教的多元性」なのである。
会堂委員会では活躍しているのに礼拝に行かない男が理由を問われて「会堂へ行かなくても
祈れます」と答えた。

明日に、つづく。




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