創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(804)『アメリカのユダヤ人』を読む(35)

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生  活


ユダヤ人はすぐれていなければならない ) 承前

 古い諺に「反ユダヤ主義者とは必要以上にユダヤ人を憎む人」とある。もち
ろんユダヤ人側の諺である。ユダヤ人のことを知っている人なら、これには異
議があるまい。


 しかし、ヨダヤ人自身以上にユダヤ人を規範する反ユダヤ主義者はいないの
である。
これはイスラエルの子らが金の仔牛を崇めるのを見たモーゼが目の前でそれを
こわして以来、そしてエレミアとイザヤが彼らの民の無神ぶりを痛罵して以来
のものである。
マルクスユダヤ教は金もうけと搾取以外の何ものでもないと言明した時、彼
は単に予言者らの先例にならっただけのことだった。
マルクス反ユダヤ主義があまりにも辛辣であったので著作の中から――社会
学的偏向の強いユダヤ人編集者の手で――最も攻撃的な個所は削除されてしま
った。


 いまも昔もこの自省癖は強い。コメソタリー誌の1961年のシンポジウム
ユダヤ人らしさと若い知識人』の執筆者はおきまりの非難をした。
マルクスとフロイドから貸りた言葉を使ってエレリヤからの内容を述べた。
51年、44年のシンポジウムも同一人が書いたかと思えるようなものであった。
こうした反逆者はみなあの1966年に起こった恐ろしい悲劇の主人公リチャ
ード・ウイッシュネッキーに似ている。
会衆の立派な会員の息子で、大学を卒業したばかりのウィッシュネッキーはデト
ロイトのシャーリー・ザデグ聖堂でのバー・ミツバの儀式中、突然、演壇にかけ上
がった。
マイクをわしづかみにして感動的な演説をしたかと思うと、銃でモリス・アドラ
ー・ラビを射ち、つづいて自分を射った。
2人とも数日後に死んだ。
ウイッシュネッキーがマイクの前で叫んだのは「この会衆はまがいものだ。忌
わしい存在である。いかさまと美の偽善とユダヤ教精神のまねごとをしているに
すぎない。ユダヤ人だと言うのも恥ずかしいような連中で成り立っている」
彼の日記には聖書的な調子でこう書かれていたという。
反ユダヤ主義が外部からユダヤ教を破壊しにかかっているなどと思いわずら
うことはない。
ユダヤアメリカ人共同体は内部から崩壊しつつある。シャーリー・ザデクは神
への謀叛を証明した会堂である」(注3)


 ウィッシュネッキーは精神異常者だと簡単に片づけてはならない。
ユダヤアメリカ人で折りにふれて彼と似たことを考えない者はまれなはずであ
る。


 異常なのはユダヤアメリカ人の生活のこうした破壊的な告発が反逆者からだ
けでなく、体制側からもなされていることである。
ユダヤアメリカ人は、経済的、社会的地位が突然上がってしまったために富
がもたらすゆがんだ価値観に心を惑わされてしまった」
これは誰が書いたのだろうか? 
コメンタリー誌のシンポジウムに出てくる「若い知識人」の一人だろうか? 
いやマサチューセッツ州スプリングフィールドのサミュエル・ドレスナー・ラビ
のラビ集会年次総会での演説の一部である。
しかもドレスナー・ラピはめったに仲間を驚かすようなことをロにする人物では
ない。
数日後に同じような考え自己満足、温和、肉体的快楽偏愛が今日のアメ
リカのユダヤ教の悩みだという考え――を復興主義者のラビやイエシバの正統派
学者、ユダヤ人アピールの役員やユダヤ人会議の幹部などが述べるのを私は耳に
した。


 ユダヤ人の自己批判の最も驚異的な面は、それが常に不適正だということであ
る。
ユダヤ人ほどにユダヤ人の欠陥を誇張し歪めることは反ユダヤ主義者にかできま
い。
ユダヤ人の間で犯罪者の数が少ないということは極秘事項ではない。
体制派の人にも周知の事実である。
にもかかわらず教育者派聖堂全国協会の会長マックス・フランケルは1966年に
こう演説した。
ユダヤ人の間では非ユダヤ人よりも非行、犯罪、離婚、アル中は少ないとよく
言われる。だが、こうした統計は変わりつつある。われわれも大多数派に近づき
道徳の腐敗が起こりつつある」
しかし増えているとはいっても微増で、統計上の数字にならない程度である。
これを「道徳の腐敗」と表現できるのはユダヤ人くらいだろう。 (注5) 


こうした例はいたるところにある。
ある大学の教授は憤りをこめベトナム戦争を誇張した表現で告発した。
「そしてユダヤ人はどうしたのだというのだ? なぜやめさせようとしないの
だ?」
ショフローム・ゲルバーは1959年にエッセーでユダヤ人病院を酷評した。
まさにきわめつきの酷評だった。
「医師や委員間に嫉みはあるし、目に見えない争いがある」
ひと言いかえれば非ユダヤ人の病院と変わらないということである。(注6)

ロバート・アルターはコメソタリー誌でアトサイドの移民たちをジヤコブ・ラピ
の言葉を引用して批判した。
「私はわずかな金を貯めるために夜も昼も働いて、衰弱しきっているポーラン
ド系ユダヤ人、ロシア系ユダヤ人を何度も目にした」 (注7)
貧しいがためどんな犠牲を払っても貯めようとしている人を責めるのだから変
な話である。
まだいい例がある。
ユダヤ人医師の診察料は他教徒の医師より高いということがユダヤ人の間では
よくロにされる。
ニューヨーク連合体が比較調査して、その事実はないと公表した――だがユダ
ヤ人は依然そう言い続けるだろう。


 自己嫌悪といってしまっては説明にならない。
全然自己嫌悪の徴候のない人、改姓や鼻の整形手術もしない人、異教徒に眉も
しかめず避けようともしないユダヤ人まで自己批判の合唱に加わる。
共通点は「ユダヤ人は他の人間よりもすぐれていなければならない」「他の人
間なら許される欠点もユダヤ人には許されない」という信念である。


 この信念は非常に強く、それが不条理だとわかっている時や笑い飛ばしてし
まえるような時でも固執する。
そこである若い公民権運動家は南部での経験を通してこう書いている。
ユダヤ人は違うのだ。われわれの歴史が、本が、希望が、そして苦しみが特
別の義務をわれわれに押しつけていると私は感じてといる。
だが自分の中にはユダヤ人も普通の人間だという理性的な評価と、ユダヤ人は
特別だという感情的な主張の2つがあって、非常に苦しい」(注8)同様にユダヤ人女性全国協議会の故パール・ウイレン前会長も、ユダヤ人女性は
異教徒女性よりも召使いの扱いが悪いという昔ながらの偏見を打破するよう
な調査結果を引用した後でこうつけ加えた。
「それだけでは十分ではないのです! ユダヤ人女性には他の人よりも召使いの
扱いをよくしてほしいのです! 馬鹿らしいことはわかっています。でもユダヤ
人は他の人よりも立派であってほしいのです!」


 この期待の大きさはイスラエルに対するユダヤ人の姿勢にも現われている。
イスラエルに強烈な共感を抱き、異教徒のどんな小さな非難からも守ろうという気
構えがあるにもかかわらず、イスラエルが示すどんな小さな欠陥でも、たとえそれ
が当然だと思えるような時にさえ強烈に批判する。
ある若いラビはイスラエルは原爆を持つべきではない、たとえ防衛軍が苦しむよう
な場合でも「他の国よりぽずっと道義的で」なければならないと話してくれた。
『ウエストサイド・ストーリー』をイスラエルで公演したアメリカのユダヤ人俳優は、
イスラエルの少数派イエメン人に対する差別待遇に反感を感じた。
たしかにアメリカでの黒人よりもはるかによい扱いをされてはいるが「問題はそんな
ことではないのです。ユダヤ人にはいかなる偏見も許されないのです!」と言った。
I・F・ストーンが1967年に『ニューヨーク・レピュー・オブ・ブックス』に載せた
アラブ戦争についての長い論文の真意もこれであった。(注9)
イスラエル政府に対する彼の酷評々簡単に言えば、歴史に登場したいかなる政府より
も高潔に愛他的に振舞うことを同政府が拒否しているというのである。
 ノーマン・パドレッツ(コメンタリー誌編集長) はハナー・
アレントに関するエッセーでこれをユダヤ人の犠牲になぞらえている。
憤憑やるかたなしといった調子で「ナチはユダヤ人の3分の1を殺した。
殺された者は人類の名においてこれを大目にみてよいであろうか?」と書いている。
憤りももっともである。
だが私は正直いってそれが典型でないことがうれしい。
「大目にみる」ことができないということは、われわれがしばしば耳にするユダヤ教
の倫理的伝統の感情的核心のように私には思えるのだが。
この自己批判への熱望がなければ、ユダヤ人の倫理的伝統、生きている人間がずっと
前に注意を払うのをやめてしまった抽象的な規則や規制は内容が貧弱になってしまう
だろう。
ユダヤ人は自己期待が強すぎるがゆえに、自分からより多くのものを引きだしている
のである。
ユダヤ人は生まれながらにして他民族よりもすぐれているのではなく、伝統が彼らを
たやすく満足しない人間にしているのである。
モーゼのころからユダヤの民は常に堕落し、そして常に堕落するのではないかと恐れ
てきた――だからこそ堕落を責める予言者の言葉に耳を貸す用意があった。


 今日のアメリカでも事態は変わってはいない。
ナット・ヘントフは「無神論者の見たユダヤ教」と題して、ユダヤ人の生活のすべての
面にわたって簡単に記し、宗教儀式や慈善から政治にいたるまで一つも讃めるところが
ないと書いたが、なんとこの文章はユダヤ教会衆連合の機関誌に載った。
数年前若い活動家のあるグループが購罪日ヨウム・キパ) の夜、ワシントンDCの改革派聖堂の前でピケを張った。
会衆の金持ち連中で黒人スラム街に私有財産ょ持っている者がいると非難したピラを礼
拝にくる人に手渡した。
購罪日にスラム街の地主は良心の呵責を感じろ……というわけである。
警官を呼んでピケを解散させる代わりに、会長と理事たちがロビーで会議を開いた。
ある理事が言った。
「私が彼らほど若かったらきっと同じことをしただろう」
するとピケ隊は礼拝に参加するように中へ呼び入れられたということである。


 こうしたことがあるので、どんなに不埓な輩でもユダヤ人共同体から完全に除名される
ことはない。
試みられることもあるにはある。
例えば数年前数人のラビが集まって、ブネイ・ブリス(「神約の子」という名の団体)やその他の大規模な
ユダヤ人機関はスラム街に私有財産があったり侵害の罪のある会員を除名すべきだという
提案をした。
ブネイ・ブリスの会員でスラム街に私有財産のある者はほとんどいないのだが、彼らの大多
数の感情は――ほとんどのユダヤ人がそそうだろうと思うが――そうした懲戒的処置に強
く反対した。
説得し感化し勧告して人を美徳に走らせるのがユダヤ式伝統であって、威嚇やおどしはい
けない。
演壇からの憤りをこめた長広舌や晩餐会での爪はじきは許されでも、追放は許されない。


 そしてユダヤ人共同体がユダヤ人個人に感じるものは、ユダヤ人個人が共同体に対して感
じるものと同じである。
共同体を忌み嫌う人間でさえ、心から嫌っているわけではない。
彼の中には自分が背を向けた共同体を求め、自分が帰っていけるような奇跡的な改革が起こっ
てくれないかと願うもう一人の自分がいる。
目撃者の報告によるとリチャード・ウイッシュネッキーが引き金をひく瞬間にアドラー・ラビの
顔を見て、やさしい声で「ラビ……」と囁いたという。


 ユダヤ人は無意識のうちに互いに厳しく、そしてやむを得ずお互いを許す。
シュテットルのユダヤ人がそうであったように、砂漠のイスラエルの子らがそうであったように、
今日のユダヤアメリカ人も同じである。
これ
こそ彼らの強さの秘密である。


注1 Sophia M. Robison, "A Study of Delinquency Among Jewish Children in New York City," The jews: Social 1958.
2. Quoted by Jimmy Breslin, the New York HeraldTribune, April 1, 1966.
3. Quoted by T.V. LoCicero, "The Murder of Rabbi Adler," Commentary, June, 1966.
4. Rabbi ~amuel Dresner, "Renewal," Conservative judaism, Winter, 1965.
5. In a speech to the Jewish Educational Conference in Philadelphia, December 28, 1966.
6. Sholome Michael, Gelber, "Does the Jewish Past Have a Jewish Future?" in Essays on jewish Life and Thought,     edited by Joseph L. Blau et. al., New York, Columbia University Press, 1959.
7. Robert Alter, "Exhibiting the Lower East Side," Commentary, January, 1967.
8.  Paul Lauter, "Reflections of a Jewish Activist," Conservative judaism, Summer, 1965
9. New York Review of Books, August 3, 1967.
10. Norman Podhoretz, "Hannah Arendt on Eichmann : A Study in the Perversity of Brilliance," Doings :and Undoings,   New York, The Noonday Press, 1964.

. American judaism, Winter, 1966-1967.

12, LoCicero, op. cit.


この項、完。