創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(731)『アメリカのユダヤ人』を読む(12)

昨日、タネ明かしする---と約束した一つ。


『ママは何でも知っている』(ハヤカワ・ミステリ1287  1985刊に収録されている1篇「ママは憶えている」に、つい、牛乳を肉料理に混ぜてしまった主婦が、もったいないからと捨てないで家族の食卓に供したというエピソードがでてくる。


ユダヤの戒律では、肉料理と牛乳を同時に食することを禁じているため、気のきいた家庭では、肉料理用の調理器具と牛乳専用のそれと、2種類備えていると『アメリカのユダヤ人』 (原著1968年刊)にある。で、「ママは憶えている」は1968年以降の執筆と推定しているのだが---。


【chuuyuuのドグマ】肉とミルクを同時に摂ることを律法で禁じているのは、冷蔵庫がなかった2000年前、腐った両品の摂取でおこる複合中毒の危険を避ける意味があったか?



祈  り


食物に関する戒律  つづき


会堂外で行なわれるハラカ(口伝的な戒律の細目)的な慣例も
3宗派によって大きく異なる。
例えば食後には必ず祈りが捧げられるが、保守派ユダヤ
人は上品にできるだけ早く済ます。
改革派は公式の大晩餐会以外ではめったに祈らない。
正統派教徒は不慣れな人にはショックなくらいなやり方で
毎食後祈る。
私はイエシバ大学の非公式昼食会に出たことがある。
私のテーブルには著名な学者が10人ほど同席し、食事の
間中ユダヤ教の歴史と文学について難解な議論をたたかわ
していた。
コーヒーがすんでいよいよ祈りの時間がくると、突然、彼ら
は体をゆすぶりぶつぶつ言い、詠唱を始めた。
各自頭をペコペコし、目をクルクル動かし、ヘブライ語
各自のテーマにもとづいた即興祈祷を始めた。
とめどもなく時間が流れた。
数人が祈りを終えても他の者は知らぬ顔で祈りを続けた。
しかし祈りを終えたものは向きなおり、中止した学問的論争
を再開したのであった。


 しかし彼らは近代正統派である。
真正正統派教徒はもっと土くさくって変わっている。
彼らの結婚式では男女別々のテーブルにつく。
式の間花嫁は花婿のまわりを目をそらせたまま何回もまわる。
それから2人は1室へつれていかれ1時間だけ2人っきりで
過ごすことを許さる。
次に2人が元の部屋へ戻るとダンスが始まる――男女は組ま
ないが楽しい遠慮のないダンスである。
この儀式を私に話してくれた正統派ユダヤ人はあきれかえって
いた。
「とっても美しい娘! 花婿ときたら薄汚れてネクタイもしめ
ずにひげさえはやしていた! それに後で花嫁の頭を剃ってし
まうんだ!」


 既婚女性は戒律では頭をまるめ、余生はかつらをかぶること
とされている。
正統派の女性信徒でも最近ではこんなことをする者はまずい
ない――もしそんなことを保守派や改革派の女性信徒に言った
らどうなるか、結果は火をみるよりも明らかである。
また既婚女性は月経後一週間は性交してはならない。
そして共同体で行なわれる清浄化儀式ミクベ(雨水の水浴)をすませ
てからでないと性交の再開が許されない。
現在、アメリカにはそういった会堂が177あり、チャールズ・
リーブマンはその数が増えていると言う――だが私には信用で
きない(注2)
改革派と保守派の女性信徒にはこういう儀式はなく、正統派
女性信徒の多くも不快に感じているというのが私の印象である。


 ヤームルカ(縁なしの皿型帽)をつける慣習も3宗派によって
それぞれ異なったふうに実行されている。
改革派は正統派の家庭で儀礼上そうする以外はまずやらない。
私は急進改革派のラビが正統派の晩餐会でヤームルカをつけるのを丁
重に断わっているのを見たこともある。
彼の主義がそうすることを許さなかったのである。
一方、正統派信徒はヤームルカを祈りと食事の間だけでなく、常に身
につける――寝る時にもである。
保守派信徒は会堂ではつけるが、他ではつけない。


 ユダヤ教3宗派の姿勢の違いを歴然と示すのが、宗教祭日の儀式の時である。
儀式のやり方はモーゼ五書で細部にわたってとりきめられている。


 3宗派がほとんど同じように執行する祭日はロシュ・ハシャナー
ヨウム・キパである。
新年祭(ロシュ・ハシャナー)の10日後にくる贖罪日ヨウム・キパ)
最も厳粛な祭日である。
この時期には会堂は正統派信徒、保守派信徒そしてふだんはめったに
足を踏み入れない改革派信徒でふくれあがる。
贖罪日にはユダヤ人は日没から日没までの24時間、何も飲み食いし
てはならない(誠実な信徒は水を飲んでしまうことを恐れて歯さえみ
がかないほどである)。
贖罪日の断食は正統派だけでなく改革派にも認められており、ユダヤ
アメリカ人の多数がそれに従う。


 宗派によって祝い方の最も異なる祭日は安息日(サバス)である。
金曜の日没から土曜の日没までの間敬虔なユダヤ人は働くのをやめ、祈
りと休息につく。
純粋主義者は金曜の朝、「近代的」な信徒は金曜の夜会堂へ行く。
だが、ほとんどの時間を家族と家で過ごす。
妻も安息日には特権を与えられる。
この祭りの始まりである金曜の夜の儀式の時ろうそくに火をともして祈る
のが妻の役目である。
真の信者にとって安息日は生活の柱石となる感動的な経験である。
石油会社の化学者である正統派の若い父親がこんなことを言っていた。
安息日がきた時、私がどんなにいい気持ちになるかはおわかりいただけ
ないでしょう。
気がかりなことがあってもすべて忘れ、純粋に家庭を楽しみます。安息日
与えてくれるものをすべてのユダヤ人が知っていれば、ノイローゼだって減
るでしょうに」


 しかし念の入った正統派信徒にとって安息日はいろいろな問題を生む。
いかなる仕事もしてはならない――この「仕事」という言葉は全く労力を必要
としない人間活動までも含むのである。
例えば明かりをつけることもガスをつけることも許されない。
機械を動かすことも仕事の一つに数えられるからである(安息日に耳の聞こえ
ない人が補聴器を使ってもいけないかということがいま論争の的になっている)。
金を持ってもいけない。
新聞やタバコを買うなどの売買行為もいけない。
いかなる乗物に乗ってもいけない。
自分がしてはいけないだけでなく、他のユダヤ人にしてもらうことも許されない。
だが異教徒の労働の恩恵にあずかることは許される。
神約に属さない異教徒は戒律を破っても不滅の魂を危くすることがないからであ
る。


 事実、安息日は他の祭日が束になってもかなわないほどの発明のチャンスを正統
ユダヤ人の律法主義的才能に与える。
安息日を破ることなく日常生活を行なうにはどうしたらいいかと考えることに無上
の知的満足をおぽえるのである。
ハンカチをシャツにとめる、そうすればハンカチは衣服の一部となって物を運んで
はならないという掟を破らなくてすむからである。
テレビにタイムスイッチをつける。
そうすれば機械をいじることなく土曜のフットボール試合を楽しむことができる。
キャッツキルの有名な清浄ホテル……グロッシンジャーの経営者も安息日には仕事
をしてはいけない。
だが毎週末にホテルを閉めて客を帰すわけにはいかない。
ジェニー・グロッシンジャーは金曜の日没前にホテルを異教徒の従業員にドルで「売
って」しまう――そして土曜の日没後に買い戻している。


しかし律法的な抜け穴がみつからない場合は、どんなに不便で不利であっても正統派
ユダヤ人は安息日の戒律に従わなければならない。チャールズ・リーブマンによれば
推定20万人弱――アメリカの全正統派ユダヤ系人口の約20%――はこれをする忍
耐なり敬虔さを持ちあわせているという(注3)
私にはこの推定は多すぎるように思えるが。
「正統派ユダヤ人と改革派ユダヤ人の違いは?」と質問する古いジョークがある。
答えは「約3ブロック」――つまり正統派ユダヤ人は車を会堂から3ブロック離れたと
ころに駐車するという意味である。


 安息日遵守に対する2宗派の真の違いは、正統派ユダヤ人は背徳を恐れるが、改革派
信徒は気にしないということである。
改革派信徒も聖堂で安息日を祝い、金曜の夜の礼拝でろうそくをともすが、「働かない」
「乗らない」「物を運ばない」という慣例は放棄している。
東部のある改革派聖堂では金曜の夜の安息日の礼拝の後で運営会議を開く――「つまり
社会事業のための年次会議が完全に自由にやれるというわけです」


保守派も正統派と同様安息日は働かないという戒律を受け入れているが、「仕事」の
定義はそれほど幅広いものではない。
郊外に住む信徒が多いこの派は、車に乗ることを禁ずることは事実上不可能だというこ
とを知った。
そこで数年前ユダヤ神学校の律法審議会は、会堂まで歩いてくることがハラカ的には好
ましいが、必ずしも強制はしないと決めた。
もちろんこう決められる前の保守派信徒は自分勝手なハラカを実行してはいたが。
現在ラビは会堂まで歩いてくるが信者は自動車で乗りつける。
道で歩いていくラビとすれ違っても、同乗をすすめようとしない。
なんと敬虔なことか。
彼に無礼を働かないのである! 
あるラビはこんなふうにも言っていた。
「彼らは私を敬虔にさせてくれ、私は彼らを自由にしてあげるのです」



アメリカのユダヤ教3宗派はそれぞれ妥協案を持ち、現代社会における戒律遵守に関し
てかなり一貫したアプローチを示している。
だがアメリカのユダヤ人の大多数はもっと欲張っている。
どの宗派に属していようと、彼らの実際の宗教遵守は各自の個人主義の影響を受け一種
の混乱状態である。
正統派、改革派、保守派のそれぞれ公的な妥協案でタルムドのあらゆる規範に反した各
個人独特の妥協策を講じている。


 例えば祭日や祝典の祝い方にしても変わったやり方が3ある。
ハラカでは重要でないハーヌカーの宮清めの祭りは、他の祭りをほとんど祝わない人々の
間で人気がある――ユダヤ人の子供たちが「彼らのクリスマス」を持つことを許されるから
だが。
断食もせず、会堂へも行かず、一つとして罪を悔いることもない人々でも、新年祭と贈罪日
には何千人となく、働いたり、ショッピングをしたり、映画に行ったりするのをし夢みもし
ない。ユダヤ人花嫁はローエンダリンのウェディング・マーチとにあわせて側廊を歩く。
3宗派の純粋主義者たちはワグナーは名高い反ユダヤ主義者だからメンデルスゾーンの曲の
ほうがいいと再三説くのだが、花嫁やその母親たちはアメリカの「誰もが」ローエングリン
で結婚式をあげると言いはる。
祖母の葬式は正統派のしきたりどおりに行なわなければならない。
だが、その家族は花を忘れない。戒律はどうあれ花のない葬式なんて考えられないので
ある。


 同様に奇妙――そしてユダヤ教3宗派の公的な相違に対して不敬でもある――なのは
各個人の食品戒律遵守妥協案である。
ある改革派ユダヤ人は家では魚貝類は食べても豚は食べず、外では豚は食べても魚貝類
を食べない。
ある外交員はホテルの食堂では何でもロにするが、ルーム・サービスで不浄食品を注文す
るのは避ける。
コロンビア大学で教えている保守派ラビはいつも教職員クラブで昼食をとるがレンズ豆ス
ープからフランクフルトを除くことによって自分の食品戒律に対する忠誠を維持している。
ある正統派会堂の会長はエビ料理を家族に食べさせるために毎日曜外食する――「でも土
曜日にはしません」というのが彼の言い分。
なかでも最も奇妙なのは、清浄食品を食べるなら不浄食品のように見えたほうがいいという
人が多いことである。
だからダロッシンジャーでは、コーンミール製「ベーコン」のベーコン・エッグを朝食に出し、
カユにみえるように念入りにつくられた大かれい製「魚貝類」カナッペを出す。


 この食品戒律にかなった料理は、その下に隠れている理由をつかむまでははっきりしないよ
うである。
ユダヤ教はいかにあるべきかという各個人の観念は、ユダヤ人の生活の他の局面に見られる内
なる矛盾――アメリカ人になりたいという願望と古い慣例を固守したいという聊望――によっ
て決定づけられる。
だから3宗派の公的見解にかかわらず、各個人には各個人なりのやり方がある。
アメリカに負うているものと、モーゼ五書に負うているものを自分で決める。
そしてこの決定がなんであれ、真に満足のいくものにはなり得ないため、それ
を変え続ける。
もちろん常に己れの非一慣性をあざ笑う。
しかし問題を完全に解決することはできないのである。 


注1  From AJC's survey of Jewish attitudes Kansas City, 1962, and others.
2   Charles Liebman, "Orthodoxy in American Jewish Life," The American Jewish Yearbook, 1965.
3   Ibid.