創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(620)[ニューヨーカー・アーカイブ]を基にエイビス・シリーズ(12)


社長を電話で呼び出せ


秘書システムが発達し、完成しているアメリカで、社長が直接に電話に出るという事実自体が破天荒です。


このアイデアが、タウンゼント社長から出たのか、社長就任と同時に専任秘書を廃止したタウンゼントを見てDDB側が提案したのか、どちらだったのか、記録はありません。


しかし、着任と同時にスタッフの制服である明るい赤のジャケットを着用してキビキビと仕事をこなしていたタウンゼント氏なら言い出しかねないアイデアです。


 


ご苦情がおありの節は、
エイビスの社長を呼び出してください。
番号は、CH8−9150です。


社長をガードするための秘書など、一人もいません。彼がじかに電話に出ます。
彼は、お相手するのが大好きなのです。
彼は、それを小さな会社の偉大な特典と考えています。
どのことについての責任はだれにあると、きちんとわかっています。責任を転嫁する人もいません。
さて、当社の社長は、何もかもについて、だれにもかれにも対して責任があると思っています。彼には、スーパー・トルクのフォードをスーパーにするために死に物狂いで働いている私たちがついているのですが、それでも、ときどき、汚れた灰皿や、きちんと動かないワイパーなどがあるということを知っているのです。
もし、そういうのをお見つけになったら、私たちの社長をお呼びください。
彼は、あなたから苦情をいわれてもビクビクしません。それどころか、あなたに対して適切な処理をしてお返ししますよ。


C/W エド・ヴァレンティ Ed Valenti
A/D ヘルムート・クローン Helmut Krone


"The NEWYORKER" 1964.06.13


約400人の客から電話がかかってきたことが記録されています。


すぐさま、エイビスの従業員も奮起しました。
「ボブ(タウンゼント社長の愛称)を電話番で終わらせるな」
いっそう入念なサービスの点検となってはね返りました。


しかし、タウンゼント社長のねらいは、別にありました。
彼がエイビスの社長に迎えられたころ、同社は125万ドル(約4億5000万円)の赤字をかかえていたことはすでに記しました。
その赤字の原因が、1960年前後から急速に増えてきたディスカウント・レンタカーによるものと、彼は見ていました。
これらのディスカウント屋は、まったくローカルな小規模なもので、あたかもゲリラのようにハーツやエイビスなどの全米的経営のレンタカーの末端を喰い荒らしていたのです。


これらのディスカウント屋に対抗するためには、地域的なディスカウントと同時に、大レンタカー会社グループと彼らの差をなんらかの形ではっきりさせる必要があったのです。
「2位」キャンペーンにかけたタウンゼント社長の期待は、これでした。