創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(606)VWのマーケティングと広告物語


47年前、処女編・著 フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』 美術出版社 1963.06.15)のために、DDBに資料を求めたとき、送られてきたブックレットを翻訳し、上掲書に収録しました。
ブックレットは、VWキャンペーン展開の主軸媒体の一つとして選ばれた『ライフ』とのタイアップの形をとっていました。
『ニューヨーカー』 は、そうした広告セールス・プロモーションはサービスしていなかったのでしょう。


ブックレットは、1961年末---ということは、キャンペーン開始から1年4ヶ月後に、ディーラーとVWの見込み客、そのほかオピニオン・リーダーに配布されたと推察しています。



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フォルクスワーゲンマーケティングと広告物語
1961年


招かれざる慣習を持ちこむには、よい製品にまさるものはない、と思ってしらっしゃる方々へ、このご報告ができるのは、たいへん嬉しいことです。
というのは、フォルクスワーゲンは、広告の助けをあまり借りないで、この国にちゃんとした地歩を占めた物語だからです。


1949年に、アメリカで売れたフォルクスワーゲンは、2台です。
1959年の後半、つまりVWセダンの広告の第1弾が『ライフ』誌にでた頃は、年平均12万台を売っていました。


この販売上昇には、三つの理由があります。


第一は、VWのオーナーの方々が、すべての点にわたって熱狂的な支持をして下さったこと---- 正価、維持費から変わらないスタイル、頑丈なつくりに至るまで。


第二は、フォルクスワーゲンは、まず最初に、アメリカにおいて強い影響力をもった階層、すなわち、収入も教育程度も高いホワイト・カラー層をつかんだこと。
この層の多くが、海外でVWを見たり運転したりして帰国後、強力な「クチ・コミ」キャンペーンを自然に行なって下さって人気を得たこと。


第三は、輸入車としての確固たる地盤を築くためには、そのサービスが見込客の方々の鬼門ではなく、資産でなければならないということを、VWは初期のうちに認めたこと。


そこで、1954年に当社は、アメリカの販売網を徹底的に強化しました。
最終的には、16のディストリビューター(と、360のディーラー)を全国くまなく設置することになったのです。
ディーラーと修理店は、サービス・スクールで訓練を受けました。
全ディーラーは全部品を在庫するように決められました。
この結果、1959年までに、全米のフォルクスワーゲンのディーラーは、たくさんの受注未納をかかえこんでいたのです。
ちょうどこうした時期に、当社は継続的な広告キャンペーンに乗り出したのです。
1959年の8月でした。


なぜか?


このキャンペーンこそ、広大なアメリカ市場にフォルクスワーゲンを受け入れさせ、拡売していく力を発揮するだろうと考えたからです。
そこで、私たちは、ネライを、すでにVWを所有している層に向けるだけでなく、数百万という中流層と、それよりも低い収入の家庭に向けました。
これらの人びとに、私たちは、フォルクスワーゲンの考え方を公開し、説明しました。
つまり、ホワイト・カラーへ語りかけると同時に、ブルー・カラーへも語りかけるべきときがきたと判断したのです。


1959年には、アメリカ人の多くが、 「小さいクルマ」に対する関心を持つようになってきていました。輸入車とコンパクト・カー双方の影響です。
私たちは、フォルクスワーゲンこそ、乗用車界に新しい波をたてている主役であると思っていただきたいと考えました。アメリカの風物の場ちがいな訪問者とは見ていただきたくなかったのです。


しかしこれを実現するためには、フォルクスワーゲンの広告は、いくつかの風習を打破し、コンセプト(概念)の限界を大幅に拡げなければなりませんでした。


そしてそれこそ、私たちが物語を始めようとしている要点にほかならないのです----。


どう見ても、フォルクスワーゲンは変わったクルマです。


このクルマは、小さくて、かぶと虫型で、空冷式で、荷物室が前にあり、エンジンは後部に搭載されています。
1962年型は、1949年にアメリカで売れた2台と、とてもよく似ています。


そこで、フォルクスワーゲンの広告のための第一の仕事は、新車とはこうあるべきだとアメリカ人がつねづね考えているものから、全くかけ離れた姿を自慢しながら、製品を上手に演出することでした。


しかし同時に、外観は変わらないが、VWは常に改良を行なっているということを、広告で明確に述べる必要がありました。
これは、コピーに機能上の細部を詰めこむことを意味し、また、読みやすく、考えさせるコピーを読者に示すことでもありました。


全部品を在庫し、完ぺきでスピーディなサービスを行なうディーラーのことも十分に、そして効果的に語らなければなりませんでした。
たとえフォルクスワーゲンの顧客が、VWのサービスのよさを知っていらっしゃったとしても、当社が目標としているアメリカの大市場の潜在需要層全部がご存じのハズだとは、決していえなかったのですから。


アメリカの大半のオーナーの方々は新しい輸入車なんて、ショー・ルームを出たとたんに、道路の孤児になるのだという固定観念をお持ちだったのですから。


またフォルクスワーゲンは、このクルマをビジネスにお使いになっているアメリカ人家族の方々についても考察する必要がありました。
いくつかの調査によりますと、この方々は若くて、生活程度、教育程度はふつうのアメリカ車のオーナーの方々よりも高い万々でした。
私たちのアイデアは、この階層を含む、より大きな(マス)市場を選び出すことに決まってきました。


そこで、(理知的ではあるけれど徹底的に変わっている)クルマを、(大きくて豊かな)ある層にネライをつけて、 (ものの見方をガラリと変えるような)特異なやり方で広告することにしたのです.


媒体も(筋道のとおちた、完全に信じられる製品イメージを創りあげるための最良の条件を備えた)雑誌に、フォルクスワーゲンの全国的広告を出すことにしたのです。


フォルクスワーゲンはまた、この予算を、雑誌の中でもとくに選ばれた1誌を中心にして出そうと考えました。なぜか?
VWの予算のことを心に留めて下さい。
アメリカの自動車界の標準からすれば、多いとはいえないのです.
フォルクスワーゲンは、生活程度の高いホワイト・カラー層の読者をとくにつかんでいる媒体を望んだのです。
しかし、アメリカ市場のすみずみにまで広い通路を敷いていくことも同時に望んだのです。


さらに当社は、その媒体をくり返しくり返し使うlことによって、永続的な印象をつくり上げたいと望みました。
フォルクスワーゲンのキャンペーンは、1959年の8月の5週分の『ライフ』誌の各号に広告を載せることから始められました。(訳注;次年度型を名乗る新車の広告は、米国では9月後半週から10月の号へかけて掲載されるので、8月の各週号への掲載はやや異例


その後の2年間、フォルクスワーゲンは、この主テーマを『ライフ』誌上で29回以上も展開、出稿したのです。

【chuukyuu補】1959年から62年へかけての『ライフ』誌に掲載されて、『ニョーヨーカー』に載らなかった幾点かの中の2点。




この車の名前、わかりますか?


ヒント 最高に熱い日でも、この車がボンネットをあけているのを見ることはない(水冷式じゃなく、空冷式エンジンだからで、オーバー・ヒートなし。凍結もなし)。
ヒント 時速110kmで1日中走っても、汗を流すような作業はなし。
ヒント ほかの車がスリップするような、ぬかるみ、砂地、氷上、雪道でも、この車だけは走る(リア・エンジンだら)。
ヒント すべて気密にできているので、浮くんじゃないかとの手紙をいただいたこともある。
ヒント 変更のための変更をやったことなし。これからもそう。
ヒント ボディつきで1,565ドル。中古の値下がりは、ほかのどんな車よりも少ない。
ヒント イニシャルはV.W.


C/W ビル・バーンバック ダヴィッド・ライダー
A/D ヘルムート・クローン






明らかに、フォルクスワーゲンです。


フォルクスワーゲンだとの目星は、すぐつきます。
たとえ、そのかぶと虫スタイルが雪ですっぽり隠れていても。
動きつづけているのが、フォルクスワーゲンなんですよ。
フォルクスワーゲンは、リア・エンジンなので、ほかの車が行きえない氷の丘でも登りきります。フロント・エンジンのものよりも、後車輪にぐっと力がはいるからなんです。
でも、それだけでは問題の半分しか解決しません。
エンジンは後部にあるだけでは十分とはいえません。作動しなければ無意味です。
そこで、私たちはVWに水冷式ではなくて、空冷式エンジンを採用しているのです。不凍液も不要ですし、ラジエータがヒビ割れすることもありません(夏に沸騰する心配もありません)。
冷却水をぬく手間も不要なら、洗浄や錆止めも不要です。
VWは零下の戸外にも駐車でき、雪だまりから這い出ることもできます。実際、あなたがエンジン・キイをまわした瞬間、動きはじめるのです。
もし、あなたが氷や雪の問題など無関係な土地で生活していらっしゃるとしても、VWの尋常でない能力の判定ができる機会はふんだんにあります。
砂地やぬかるみでお試しの程を。


C/W ボブ・レブンソン
A/D ヘルムート・クローン


(これは『ニューヨーカー』誌には出稿されていません。)


この雪の広告が出稿されたたころ、同じクリエイティブ・チームがモノクロのTV−CMをつくりました。
TV-CM(モノクロ60秒)(1964) 「雪の朝」
ニューヨークADCとカンヌで金賞



アナ 除雪車を運転する人は、雪の中をどうやって除雪車の置き場までたどりつくのか、驚異にみちた気持で考えたことはありませんか? 
この人は、フォルクスワーゲンを運転しています。
もう、驚異ではなくなったでしょう?


10数年後、同じアイデアで、ドイツでリメイクされました。



VWの広告は、伝達したいと希望する家庭に非常に確実にとどいています。


(月刊誌であると週刊誌であるとをを問わず、『ライフ』誌ほど、収入と教育程度の高い家庭にとどいている雑誌はないでしょう。)


そして、フォルクスワーゲンの広告代理店--- ドイル・デーン・バーンバック社は、このような家庭に見なれない新製品を全くアット・ホームなものとするには『ライフ』誌のニュースと写真中心の編集内容にどうマッチさせるべきかを考えてくれました。


原稿の多くは、車そのもののドラマティックな写真で構成されていました。
どの広告にもコピーがドッサリとつけてあり、しかも、文学的な読者の方々に受けるように書かれてありました。


VWは変わったクルマで、なじみの薄い製品であることも重視し、すべての広告には、VWの生産ぶりを詳しく書いていました。


『ライフ』誌に載ったこれらの広告は、かなりな効果をあげました。
よろしかったら、そのタイミングのよさを考えてみて下さいませんか。
1959年には、VWの総販売数は12万台、アメリカで売れた車の10%以上が輸入車だったのです。


1959年も終わりに近く、小型車界に二つの事件が起きました。
3車種のアメリカ・コンパクト・カーが登場したりです。
そこでフォルクスワーゲンは、以後2年間にライフ誌に費やした予算の50%にあたる予算でキャンペーンをはりました?


結果は?
フォルクスワーゲンの売上げは、1960年に33と1/3%増の16万台に達しました。
ところが輸入車全体では後退して、国内で売られた車総教の8%以下でした。


フォルクスワーゲンの売上げは、1961年も上昇をつづけました。
輸入車後退の前から、そしてその後も変わりなく----です。
売れた輸入車の 2台に1台がVWだったのです。


ご注目いただきたいことは、VWのディーラーやディストリビューターが、このキャンペーンにためらうことなく同調したことです。
彼らは、VWが全国広告でやった以上に、それぞれの地方で金をかけました。
でも、地方用の広告は、ライフ誌に出たのと同じ原稿、また同じ哲学、スタイルでした。
つまり、DDB代理店が用意してくれたのです。


【chuukyuu注】地方ディストリビューターやディーラーのために、DDBのクリエイティブ・スタッフが用意した地方紙用広告の1例。



私たちのイメージ


むかしむかし、ひとりの若いご婦人が、払たちの工場を訪ねてきました(訪ねてきてくださる人が多いほど、うれしいものです)。
「可愛い、小さな車だこと」と、彼女がいいました。
「まるで、かぶと虫ね」
私たちは、いま堅実なジックリ型です。
でも、その頃の払たちは、馬力をあげるためにはブレーキ効率をどれくらい大きくしたらいいか、というようなつまらない問題に熱中していたものでした。
彼女の言葉に、払たちはドキッとしました。
そこで、いろいろ調べてみました。そして、多くの人びとが彼女と同じ感じをもっていることを知りました。
「かぶと虫」という言葉を、悪い意味で使うのではなく、つねに親愛の情をこめて使っているのだということもわかりました。
私たちは、このニックネームに、喜びを感じるようになりました。
この愛称は、私たちの車づくりの態度について、いいつくしてくれるように思います。----不言実行とか、骨惜しみしない勤勉さとか、虚飾のない誠実さ、などを----。
好感をもたれようとして、気狂いじみたことをする人びともいます。
私たちはただ、フォルクスワーゲンを、実用車として、よりよくしていこうと努力をするだけです。
こうして、払たちは、私たち自身のイメージをつくったのです。


【chuukyuu注】地方紙のための広告は、カタログなどをつくっているチームが担当したかして、ボブ・ゲイジ氏の秘書ミズ・A.ラーマンは、C/W とA/D の項を空白にしていた。


ここにもう一つの別の型のフォルクスワーゲンがあります。 (訳注:ステーション・ワゴンのこと)
いま、アメリカ市場で、彼の小さい兄弟と張り合おうとしています。


フォルクスワーゲン・セダン:スモールカー革命の始まり


フォルクスワーゲン・ステーション・ワゴン:歴史はくり返すか?


C/W ダヴィッド・ライダー
A/D ヘルムート・クローン


歴史はくり返すでしょうか?


どうやら、そうらしい。
VWステーション・ワゴンの売上げも急激に伸びてきています。
そしてライフ誌には、ことしに限っていえば、VWステーション・ワゴンの広告が4ページ載りました。


このシリーズは明日から、再開・継続されます。