創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(600)東京コピーライターズクラブ・ハウスでのスピーチ(10)

【再録】
2009年10月20日に開かれた、西尾忠久さんを囲む会。
DDBの黄金期をリアルタイムで体験した世代の方から、
いまなお色あせないクリエイティブ作法を学ぼうという若手の方まで、
たくさんの人で会場はにぎわいました。
梶原正弘さんを聞き手として、クリエイティブの枠を超えて、
広告ビジネスについて実に多くのことを西尾さんは語られました。
その模様をご報告します。


続いてワーゲンの他の事例をあげながら、
DDBが広告にもたらした変化について説明。


ワーゲン・ビートルです。
これは色がややブルーに近いグリーンなんですが、
何にもないんです。


で、500万台目のフォルクスワーゲン
お見せしようと思ったら売れてしまいましたというんですね。




5,000,000台目のフォルクスワーゲンをご覧に入れようと思ったのですが---売れてしまったのです。


申しわけありません。
ある方が、まんまとその車をさらってしまわれたのです。
(でも、それが何に似ていたか、あなたならご存じでしょう、そう、かぶと虫に似ていました。)
5,000,000という数字は、私たちの地味な車にしてはたいへんなものだとお思いになるかも知れません。
しかし、VWの理想とするところはすべて、地味さの中で完ぺきにするところにあるのです。
私たちは、車から除けるものはとり除き、その代わりさらに良質のものを加えるようにしてきました。この数年のうち、私たちはフェル・ゲージまでとり除きました。
一方では、最高のサスペンションとトランスミッションをつけました。
またあなたは、VWエンジンについてご存じでしたね、グラン・プリ・レースでは、あなたは1日中いちばんビリで走ることになるかも知れません。その代わり、修理店に入るのも、いちばんあとでしょう。
このおかしな格好の車が、すっかり姿を消してしまったら、そのときこそ、VW1500が登場するんだね、と質問なさる方が、まだいらっしゃいます。
ノーです。
これは、世界で3番めによく売れている車なのです。


A/D Helmut Krone
C/D Jack Dillon


あとで聞いてみたら、こういう話なんです。


ワーゲンの本社のノルトホフ社長(当時)が、
全世界で売ったカブト虫の台数が500万台になるので、
インターナショナル版の『ライフ』誌に掲載する広告を
作ってもらいたいと頼んだ。


もちろんDDBを選んだのは、のっけに話したように
米国VW社の社長ハーン氏です。
しかし、ノルトホフ本社社長も、
DDBが創るシリーズを大いに気に入って
いたんでしょうね。


ラッセルというDDB側のアカウントのボスが、
出来たこれをもって、
まず、ドイツ本社の広告部長のところに行った。
そしたら、"Nein, Nein, Nein"
「絶対駄目だ」と。
こんな広告出せるかと、その部長が言ったんですね。


で、3ヶ月待ってラッセル氏が
ノルトホフ社長出席の会議へもっていって、
「実は、宣伝部長が駄目だと言っていました」って出したら、
即座に、
「一言一句変えてはならん。このまま載せなさい」と言って、
宣伝部長を吹っ飛ばした。


われわれも、いっぺんでいいから
部長を吹っ飛ばすぐらいのアイデアを出してみたい。
(冗談です)


教訓は、トップなら分かるということ。


冗談ついでに---、
ビートルのこの広告を、
皆さんはクライアントに持ってゆき、
冗談みたいに、こういうことがあったらしいですよと言うんです。
広告部長はビビっちゃうんじゃないですか。
(冗談です)


いまや20世紀最高のキャンペーンと言われているわけですから、
これを否定する広告部長はセンスがないということでしょう。


「この広告を否定したらあんた首が飛ぶよ」と。
もっとやんわりと間接的に言うんですね。
(あくまで冗談です)


あとは何でも通るんじゃないかと思うんだけど、
話がうますぎるか。


ヘルムート・クローンが、
ワーゲンの広告はビッグ・ピクチャーのスモール・コピーでやれと
フォーマットをつくったんです。



で、コピーのところは剃刀の刃で文字組みを切りましてね
未亡人をいっぱい作れとコピーライターに指示した。



未亡人というのは日本でいうとクワタ。余白。
文章ブロックのあいたところ、白いところ。
それをたくさん作れと。
池波正太郎さんの小説ですね。
下はスカスカで、ミニスカート小説と言っているんだけど。
池波さんが亡くなっても鬼平の文庫が売れているのは、
未亡人が多いせいもありそうです。
読みやすい。


まあ、小説家の場合は、原稿用紙1枚いくらだから
未亡人も原稿料をかせぐ。


コピーライターは、1アイデアいくらだから
未亡人は制作料に関係ない。
そういうんで、これでやれとこう言ったんです。


言ってもDDBのクリエイターは、きかないんだね。


クローンが退社して、コピーライターのジーン・ケイスと、
ケイス&クローンなんとか広告代理店をつくったとき、
バーンバックさんは後任にレン・シローイッツを指名しました。


シローイッツは、フォーマットを無視した、
こんな広告をつくりました。


ビートルの部品というのはどれでも合うと。


緑色のフェンダーは、'58年型のもの、
青いボンネットは、'59年型のもの、
ベージュのフェンダーは、'64年型のもの、
ターコイズのドアは、'62年型のもの、
VWの部品のほとんどの部品は、何年型のものでも交換可能、
いつでも手に入ります。


A/D Len Sirowitz
C/W David Raider


あらゆる部品が揃っているから、
いつでも取り替えられますというのを色で見せたわけですね。
ビートルのシリーズは、ほとんどモノクロです。
シンプルが売りものですからね。


シローイッツも、コピーライターのロン・ローゼンフエルドと組んで
DDBを出て行って、シローイッツ&ローゼンフェルドなんとやらという
代理店をつくった。


ビートルの後釜のアートディレクターは、ロイ・グレイスというんですが、
彼は彼で、クローンのフォーマットを無視し、

さもなくば、フォルクスワーゲンを買うか。




A/D ロイ・グレイス
C/W ジョン・ノブル


DDBのクリエイターは、個性を発揮する自由をもっているといわんばかりです。

DDBのクリエイターには、製品を「不良品」ときめつける自由、



不良品


このVWは船積みされませんでした。
車体の1ヵ所のクロームがはがれ、しみになっているので取り替えなければならないのです。 およそ目につくことがないと思われるほどのものですが……K・クローナーという検査員が発見したのです。
当社のウルフスブルグの工場では3,388人が一つ作業にあたっています。VWを、生産工程ごとに検査するために、です。(日産3,000台のVWがつくられています。 だから車より検査員の方が多いのです)。
あらゆるショック・アブソーバーがテストされます(部分チェックではだめなのです)。 ウインドシールドもすべて検査されます。何台ものVWが、とうてい肉眼では見えないような外装のかすり傷のために不合格となりました。
最終検査がまたすごい! VWの検査員は1台ずつ車検台まで走らせていって、 189のチェック・ポイントを引っぱりまわし、自働ブレーキスタンドへ向けて放ちます。それで50台に1台のVWに対して「ダメ」をだすのです。
この細部にわたる準備が、他の車よりもVWを長持ちさせ、維持費を少なくさせるのです。(中古VWが他の車にくらべて高価なワケもこれです)。私たちは不良品をもぎとります。あなたはお値打ち品をどうぞ。


C/W R.Seldon J.Koenig
A/D H.Krone


製品をスクラップにする自由も、



VWはいつも工場で小さなトラブルに巻きこまれています。


このがらくたは、フォルクスワーゲンになるべく進んでいたときに、石の壁にぶっつけられてしまってできたものです。
きびしい検査員がそうしたのです。
彼らは、生産ラインからチェックした部品を抜き出して、20台分の車、あるいは貨車2両分のスクラップをつくりだしています。
各工程でフォルクスワーゲンを文字通りバラバラにしてしまう検査員が何千人もいるのです。
フェンダーに小さなひっかき疵があれば、彼らに大きな疵をつけられてしまいます。
バンパーに小さな切り傷があってもぶっつけられてしまいます。
10人の作業員がやったことを、1人の検査員が台無しにしてしまうのです。そして塗装段階では、1台のVWの点検に8人の検査員があたっています。
とはいえ、この検査の仕事があるのは、作業がルーズに行われているからではないのです。
VWをつくる人たちは、十分に注意してやっています。検査員がそれを完璧に仕上げるのです。


製品を殺す自由さえ、もっています。


私たちがかぶと虫を殺すことがあるでしょうか?


とんでもない。
どうしてそんなことができます?
フォルクスワーゲンを世に出したのは、ほかならぬ私たちなのです。何年も何年も育てあげてきたのです。
そのスタイルが世間の物笑いの種になった時も、世界中の人と仲よくできるように---と助けてきたのです。そして今や800万の人と友だちになっています。
私たちは、この車は決して流行遅れにならない(ましてやこの世から消えるなんてことは、決してない)と、この人たちに約束しました。
もちろん、かぶと虫が年々変わってきたことは否定しません。でも、ほとんど気づかれないほどの変化です。
1949年以来、私たちはVWに5,000ヶ所に及ぶ改良をほどこしてきましたが、それらはすべて、車の性能の向上と長持ちにつながるものばかりでした。
少数の潔癖家は、私たちが改良のたびにかぶと虫を殺しているって感じているようですが、やむをえなかったのです。
それが必要な時には、かぶと虫を殺さなければならないのです。これこそが、かぶと虫が死に絶えるのを防ぐ唯一の、そして確実な方法なのですから。


1965年8月6日 『ライフ』


A/D レン・シローイッツ
C/W ボブ・レブンソン


殺す自由さえもっているんですから、変身させるぐらいは、なんてことありませんね。
アポロ11号のときです。


不恰好ですが、運んでってくれますよね。


A/D Helmut Krone
C/W Robert Levenson


DDBにばかり、花をもたせるのは癪ですから、chuukyuu も一つ。


銀行は、当時、大蔵省の指導で、新聞広告は、全3段までと規制されていました。
ぼくも、土屋くんみたいに1ベージ広告をやってみたかった。
で、やりました。


読売新聞1969年7月21日夕刊


掲載時は、関係者以外は、だれも話題にしてくれませんでした。
東京コピーライターズクラブからも無視されたような。もちろん、東京アートディレクターズ・クラブからも。
ただ、博報堂が選んだ「偉大な広告」に収録されているとか。
べつに賞を狙った広告ではありませんから。



>>明日に続く