創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(214) ボブ・ゲイジについて。そしてボブ・ゲイジとの会話(6)

   『CA(Communication Arts)』誌 1966年 Vol.2より


ゲイジ氏が起用している写真家の、ウィリアム・ペイン氏のことは、VWビートルのキャンペーン初期から中期のスチール写真の大半を手がけていたから、その名はよく知っていた。ハワード・ジーフ(Howard Zieff)氏に注目したのは、やはりVWのTV-CM「葬式」を、DDBの試写室で見たときである。このインタヴューを読むまで、ジーフ氏とゲイジ氏の親密な関係については知らなかった。VWの3番手のアートディレクターのロイ・グレース氏繋がりとばかり思っていた。
すぐれた広告の連作には、環境はもとよりだが、かかわっているクリエイターの組み合わせも大きな要素である。

ゲイジの写真家観


さて、ゲイジが語る番です。ボブが知っている写真家、好きな写真家、一緒に働いた写真家について話します。
「私のように、ほんの少数の写真家としか仕事をしないのは、私の一つの欠点でしょう。でも私は、お互いがお互いのことを知っている人と仕事をした方がよりよい仕事ができるって思っています。私たちはお互いに理解しあい、好意を持ち、相手の意見を正当に評価しなければなりません」
「私は、創造性の高い写真家と仕事ができたのはものすごく幸運だったと思います。たとえば、ウィリアム・ペインハワード・ジーフ、そしてつい最近ジャマイカ観光局の仕事一緒にしたエリオット・アーウィットとデニス・ストックといった人たちです」
「『私たちのビールは50年も遅れています』というテーマだ、ユチカ・クラブのシリーズを発展させていた時のジーフとの打ち合わせは最低限ですみました。ハワードは、こんなふうにいいました。『出かけて、昼飯でも食いながら、アイデアを練ろうではないか』 ランチが終わる頃には、太陽の下で仕事のことは除いて、ほとんどのことは語りつくしていまた。この時、ジーフは飛び上がって言ったのです。『分かった、さ。それで行こう』と」
ジーフの配役選びの本能は最極上です。このシリーズに出演の男たちはみんな50年昔の頃の人のようでした。3番街のクラークス(クランシーにセットして)で撮影していた時、私は一度だけロケ現場を覗きました。すべてが順調にいっているのを見ると、2度とそこへ行きませんでした」



私たちのビールは50年も時代遅れです。
(私たちは、それを誇りにしています)


あなたが軽くて泡の多い現代的なビールをおさがしなら、ほかの銘柄になさったほうが無難です。
私たちのは伝統的なコクと個性をもったピルゼン風のビールです。
あなたはホップの香りをかぐことができ、モルトの味を味わうことができます。ヘッドは濃くクリーム状で、干すにつれてグラスのふちに繊細なレースカラーを残します。
注ぐときは昔のやり方でやってください。一気に、グラスのまん中にガポッとやってください。缶のときは、カン切りで穴は一つにしてください。
私たちはこのビールを、実験室からではなく、天然の収棲物からつくります。
私たちはホール・グレインだけを使います。シロップやエキスは使っていません。私たちは特選のモルトとホップを使います。ケチケチしません。私たちはビールを何カ月もねかせますた。ただの数週間ではなしに、ビールを熟成し、芳熟させ、ビール自体に自然の生命を与えるためにです。
人工的な炭素化工程は加えていません。
今もし、これがあなたがさがしていらした種類のビールなら、あなたは、それを見つけたのです。
その名はユチカ・クラブです。


art director:Robert Gage
copywriter:David Reider

ハワード・ジーフ氏の演出によるTV-CM葬式」 】

[画面]
埋葬墓地へ向かっている車の葬列。死者である百万長者が、遺言を読み上げている。


[アナウンス]
私は、生まれつき、安定した健全な精神と肉体を持っています(遺言状の冒頭の決まり文句)。
しかして、以下のごとき遺言を残します。
まず、明日という日がないかのごとく、お金を使いまくっていたわが妻ローズには、100ドルと明日もあるということを教えるために1枚のカレンダーを残します。
息子たち---ラドニーとビクター---2人は、私がやった10セント硬貨すべてを、風変わりな車と身持ちの悪い女につぎこんでしまいましたが、この2人には、10セント硬貨で、50ドルずつ残します。
それから、浪費が唯一のモットーだったビジネス・パートナーのジュールズには、なんにも、なんにも残しません。
そして、これまたも1ドルの価値を知らなかった友人たちと親戚には、1ドルずつ、残します。
最後に、甥のハロルドル。彼はいつも、「マックスおじさん。VWを持つことは確かに損にはならないんですよ」と言っていたが、この甥には、私の全財産10億ドルを残します。



art director:Roy Grace
copywreiter:John Noble


「葬式」はCMではタブーの一つだった。伊丹十三さんの映画「葬式」でいくらかはタブーもゆるんだであろうが---。


chuukyuuの思い出ハワード・ジーフ(Howard Zieff)氏は、スチール写真家からコマーシャル・フィルムの演出家兼キャメラマンに転向して名をなした。
40年前、1分もの1本のCM演出料が5万ドル、しかも月に5本は撮るという記事を読んだので、撮影風景を見学させてほしいと手紙をだしたらあっさりOKの返事。
勇躍ニューヨークへ飛んで(といってもDDBの取材がらみだったけれど)、指定されたスタジオへカメラ持参で---途端に、スチール・カメラを持ったおじさんが「お前はどこのユニオンだ」と詰問。ユニオンに入ってなかったら、カメラを没収すると。で、「ジーフ氏に聞きなよ」って答えたら、ジーフ氏のところへ。ジーフ氏が「彼はいいんだよ」でおじさんもあきらめた。
スタジオ内には20人のアシスタントたちが働いていた。これでは5万ドルも取らないと---と納得。
その日の撮影は、シチューの素のようなもの。
勉強になったのは2人の女性を発見したこと。セットの裏の大テーブルに食材を山と積んで料理している中年婦人に、「何をしているの」と聞いたら、「私はホーム・エコノミスト」で、撮影用のシチューを作った」と。ホーム・エコノミストには2種類あって、食品会社で献立などを開発する人と、この人のように撮影用の料理をつくる人と。山のように余っている食材は、撮影スタッフの昼食になるんだと。もちろん、支払いは撮影経費の中。
撮影は、西部劇風のキッチンで、19世紀風の髪型・衣装の女優さんが「おばあちゃんの味つけのシチュー」とおたまでシチューをすくう場面。と、おたまから1滴のしずくが鍋へ。跳ね返ったしずくが女優さんのエプロに染みをつくった。とたんに女優さんが泣き顔。代わりのエプロンを買ってくるまで、全員待機だと、その時間給を払わなければなにらないらしい。
すると、脇に控えていた女性が女優さんの肩をだいて、衝立のかげに。そこには、おなじエプロンが10枚ハンガーにかかっていて、すぐに着替えさせた。その女性に職業を聞いたら、「スタイリストです」と。これでは1本5万ドルも高くないなあ---と思いましたね。


このジャマイカ政府観光局の広告の写真家は、エリオット・アーウィットとデニス・ストックのどちらだろう? ボデイ・コピーの中の"デュピー(悪霊)"については、まだ調べがついていない。



【抄訳】
150年前
このジャマイカの木から、
トム・クリングルは歌ったのです。
死ぬまで。
(彼らの伝説です)


彼らは、これは、脱走奴隷を「絞首刑にする時の樹木」であったとも言います。
だから、"デュピーズ"(悪霊)は上のほうの枝に住んでいる、と。
いろんな言い伝えがありましてね。
トム・クリングルは、実在した人ではなく、19世紀の小説の主人公として名前だけ登場しました。スパニッシュ・タウンの道端に聳えている象のように巨大なこの綿の木(ポプラ)の別名でもありました (そうそう、この樹木に吊るされた記録はまったく存在しないのです)。
まあ、樹齢500年なんですから、物語だって成長するでしょうよ。
とくに、老婆の心の中ではね。
綿の木は(コロンブス以前には)、漁民が刳り抜き長小舟をつくるために、よく切り倒されたものです。そうすると、"デュピー"は転居するんですって。
殺されたいろんな人の霊が"デュピー"になっているんです。もう、物語はつきません。
私たちの300年ものの結婚ダンス、カドリール。
その、物語がお知りになりたかったら、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、マイアミ、トロントモントリオールの地元旅行代理店かジャマイカ観光局へお問いあわせを。


150 years ago
Tom Cringle also swung
from this Jamaican tree.
Until he was dead.
(They say.)


They also say this was the "hanging tree" for runaway slaves.
And that "duppies" (evil spirits) dwell in its upper branches.
It's a lot of lore.
Actually, Tom Cringle was the hero of a 19th century novel who gave only his name, not his life, to this elephantine cottonwood on the Spanish Town road. (And there's no record of hangings.)
But when a tree's been around 500 years, tales will grow.
Especially among Old Wives.
Ours always say, "It doesn't matter how wet you get in themorning because you can't catch a cold before noon:'
They also say, "If your knee itches, you're going to change" your bed.'
Even a silky hotel maitre d may go' home to a house "painted blue to keep duppies away.'
For they say, "Duppy look for new home when cotton tree cut down.
And cottonwoods are cut often to be carved into fishermen's longboats that date back centuries (before Columbus).
As qo many of our beaches. Unspoiled since the Indians.
And our 300-year-old wedding dance, the quadrille.
And our Rose Hall Great House, renovated to its 18th century grandeur, but still haunted by the 'duppy of Annie Palmer who slew husband' and lovers there. And who, they say, "was strangled in her bed and you can still hear screaming if you go on a dark night:' Go.
For more of our ghosts, goblins and murderous old wives, see your local travel agent or Jamaica
Tourist Board in New York, San Francisco, Los Angeles, Chicago, Miami, Toronto, Montreal.