創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(228)『メリー・ウェルズ物語』(日本経済新聞社 1972年刊)(3)

第2章 積み木とジェット機--- 

49%増えた乗客

要するにメリーは、それまでの各航空会社が空の旅の安全性を強調しすぎるあまりに、旅の楽しさを犠牲にしていた逆をいったのである。
「当事者が広告で安全をいえばいうほど、客はかえって恐怖を感じるものですわ」
メリーはロレンス社長に説明した。
「高所恐怖症の人を安心させるのは、航空会社の仕事ではありません。精神分析医の仕事です」
「飛行客に安全を保証する最高の方法は、計器とか点検といった油じみた機械的なことを忘れさせることです」
そして、最初の広告では、『単調な飛行機に別れが告げられました』と主張し、カラフルに胴体(ピンク、オレンジ、イエロー・オーカー、ライト・ブルー、グリーン、コバルト・グリーン)のジェット機を並べ、
「私たちの飛行機は、ほかの飛行機とちがって、すてきに見えますね。
なぜそうしたか---飛行機に乗りなれていらっしゃるあなたなら、3時間の飛行がどんなに退屈なものかご存じでしょう? そこから抜けだして別の方向にいくその第一歩として、飛行機を塗りわけてみたのです---」
また、スチュワーデスの制服を紹介した広告では、

空中ストリップの登場です


「一人の女性の働きで、ブラニフ・インターナショナルでなにが行われているかをご覧にいれましょう。
空港ではまず、防寒用のリバーシブル・コートとそれにあった手袋とブーツであなたを迎えます。雨だったら白いプラスチックのヘルメットをかぶります。機内にはいるとラズベリー色の洋服とそれにあった靴をお目にかけるためにコートのジッパーをおろします。この洋服にシミをつけると大変ですから、配膳の時間になるとプッチがデザインしたかわいい普段着に着替えます。食事の片付けがすむとまた脱いで---。
この着替えは離陸から着陸までのあいだあなたの目を彼女に釘づけにしておくほど、ほんとうにパッとやられます。もっと乗っていたいな---とお思いになるでしょう。そこが私たちのつけ目でしてね」

というわけである。
ブラニフ航空のゲデス宣伝部長に聞いたところでは。この時に計上されたスチュワーデス一人あたりの制服のコストは300ドル(10万8000円 当時は1ドル=360円換算)だったという。
同航空には約1000人のスチュワーデスが働いているから、制服だけで30万ドル(1億800万円)かかったことになる。
しかし、こうした出費の成果は大いにあがった。乗客数が49%近くも増えた。どうせ飛ぶなら同じ料金なんだからブラニフにしてみようと考えたビジネスマンがいかに多かったか、これでみてもわかる。
1966年の前半6ヶ月の数字でみると、売り上げ41%増、利益で111%増の実績で、ロレンス社長もすっかり満足した。

年俸8万ドルをけって

メリーは、ジャック・ティンカー&パートナーズ社の大スター---というよりもニューヨークの広告界で話題の人物になっていた。
だから、メリーが辞表を出した時、社長のティンカーは、なんとしても彼女を引きとめようと努力した。
すでに8万ドル(2,880万円)になっていた年俸をもっと上げるとか、長期契約の条件つきで社長の椅子を約束するとかいろいろと申し出てはみたが、結局は無駄だった。
1966年4月1日、エイプリル・フールの日に彼女の辞表は受理された。
この4月という時期は奇妙なことに、ブラニフ・インターナショナル航空とジャック・ティンカー&パートナーズ社との広告扱い取り決めの1年契約が切れる月でもあった。
さて、同時に辞表を受理された別の2人---ディック(リチャード)・リッチとスチュアート・グリーンは、アルカ・セルツァーの広告制作チームとして、業界で有名になっている男たちであつた。ディックは36歳のコピーライター、スチュアートは38歳のアートディレクターであった。
メリーは、ディックとスチューの能力を信頼していて、プラニフ航空の「空中ストリップ」作戦プランを練り上げる時にも、たびたび2人の意見を求めていた。
どの世界でもそうだが、立派な仕事というものは才能のあるごく少数の人たちによって思いつかれ、大多数の人がそのあとを追うものである。だからメリーは、2人をマークしていたのである。


続く >>


chuukyuu注】メリーは、あるところで、DDB在職時はもちろん、転社後も、DDB新製品開発&スタイリング部のジョアン・グリン夫人からいろいろと教えを受けていたことを告白していた。ブラニフ航空の革新プランやプロモーショナルなものの見方には、グリン夫人の教示が生きているように思える。
>>DDBの隠し玉・・・グリン夫人とスタイリング部(上) (下)


次の旅行地

2、3日ペルーでお過ごしになれば、なぜインカの人びとが太陽を崇拝したかおわかりいただけるでしょう。
彼らには太陽を拝むのに手ごろな浜辺がたくさんありました。砂地ビーチ、石ころビーチ、長いビーチ、短いの、広いの、狭いの---。
その多くは人里から遠く離れていました。
ペルーには210ヶ所もの浜辺があり、その他知られていないものが幾つかあります。
このことは--- 過去30年間のリマの年間降雨量が5cm以下という天候にも恵まれて--- ほどよい日光浴にもってこいの場所にしているのです。
もちろん、曇りの日がいいなあ、(あるい新しいビキニを見せるチャンスは?)とお考えの方、そういう天気にぶつかります。




The next place.

A few days in Peru and you'll understand why the Incas worshipped the sun.
They had so many beaches to do it on.
Sand beaches, stone beaches, long beaches, short beaches, wide beaches, narrow beaches.
But, mostly,londy beaches.
There are 210 different beaches in Peru, not counting some that haven't been named yet.
This---and the happy fact that Lima has enjoyed less than inches of rainfall in the last 30 years---makes it an ideal place to pick up a nice, quiet tan.
Ofcourse, if irs a crowed you're after (and a chance to show off that new bikini) you can find it.
Providing you know where to look.
Since we have more flights serving Peru than any other airline (including non-stops from NewYork and Miami in co-operation with Eastern Airlines), we'll be only too happy to give you directions. Just write Braniff International, Exchange Park, Dallas, Texas 75235.
Or see your travel agent.


Braniff
International's
Peru.