創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(455)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第11回)


魔術師の弟子 (下)

昨日の、つづき


魔術師先生は、ライン川を見おろす小山の上の大きな城に住んでいたのでしたね。


広い城の掃除は、弟子のフンボルト少年の仕事でした。魔法を教えてもらう授業料がわりに掃除をいいつけられていたのです。

掃除といっても、四畳半や六畳の部屋をやるのとはわけが違います。

何十とある大部屋や廊下を磨くのです。

しかも、水道なんてありません。

いちいち山をおりてライン川の水をバケツに汲んで、また城まで登っていかねばなりません。

これは、骨の折れる仕事です。

もっとも、結構な運動にもなりますから、わざわざジョギングなどする必要がなくなります。

でも、ジョギングなら自分の意志で楽しんでやれますが、水汲みはいやいややるのですから、フンボルトにとって運動になったかどうか……。


魔術師先生の弟子フンボルト少年が好きなのは、勉強と、そして先生のネコと遊ぶこと。

それから、ライン川の岸辺に坐って、流れる緑の水、行き交う舟の上り下りをぼんやりと眺めていること。


魔術師先生としますと、フンボルト少年のこのなまけぐせは百もご承知。

もっとも、ネコと遊んだり川の流れを眺めることが、なぜ、なまけたことになるのか、それは私にもわかりません。

動物の生態を観察し、自然の四季の移り変りを心にとめる……これだって立派な勉強だと思うのですが、大人はそうはとってくれない。

そのくせ、わざわざ山へ出かけて、鳥の生態を観察するバード・ウォッチングなんかをやっている大人もいるではありませんか。


電車賃を使うと研究になり、歩いて川辺に行って坐ったのではなまけだなんて……いささか勝手すぎますよねえ。


大人の身勝手にもうひとつ、会合というのがあります。

ただ集まって、「へえ? A君が部長になった? あのゴマすり名人めが……あ、A君。いま、君のこと噂していたんだよ。部長昇進、おめでとう。さすが実力だねえ。乾杯しよう。乾杯」なんて、こんな、どうでもいいような話をするのが、大切な会合ですかねえ。


この会合という奴、よっぽど楽しいものらしいですね。魔術師先生すらが、魔術師や魔女たちが集まる黒い森会議への招待状が舞いこむや、その数日前からソワソワしてしまい、

「やあやあ。こんもり森の魔女さん、お久しぶり。いやいや、あなたの最近のご発展ぶりは噂に聞いておりますよ。なんでも、赤松城の王子殿とうまくおやりになって、城に伝わる王冠の、正面の20カラットのエメラルドをせしめたとか。え? 結婚の気持ちはサラサラ無い? そうこなくっちや。いや、ご立派ご立派。そうすると、こっちにもまだチャンスがあるというもので……」なんてセリフまわしの練習に精をだすありさま。

名人級の魔術師先生も、だらしないこと、おびただしい。

ドイツ中の魔術師や魔女たちが集まる黒い森会議の当日がきました。

ライン河畔の城に住むわが魔術師先生もいそいそと出向きます。

黒い森会議はどこで行なわれるかって?
さあ、ドイツ中、いたるところにある森はシュバルツバルト……つまり「黒い森」と呼ば
れていますから、それらの森のひとつでしょう。

で、魔術師先生は出がけに、弟子のフンボルト少年におっかない顔でいいつけました。

「弟子たる者は、よく働き、よく学べだ。魔術をマスターしようと思ったら、一に健康、二に健康、三、四がなくて、五に練習。で健康な体をつくるには、掃除が一番。留守のあいだに、部屋の掃除はもちろん、実験室の大鍋、真鋳のビーカーまでピッカピカに磨きあげておくように。さぼることは、まかりならんぞ」

 
あーあ、また、掃除です。

「なにが、一に健康、二に健康。三、四がなくて五に練習だァ。ぼくの毎日ときたら一に掃除、二も掃除、三、四、五、六これまた掃除じゃないか。掃除なんて、先生が魔法のホウキにいいつければ、あっという間にすんじゃうのに」
と、フンボルト少年はボヤきます。

その時です。フンボルト少年が気がついたのは……。なんと、先生、会合にでるのがよっぽどうれしかったかして、秘密の小箱の鍵を忘れていたのです。

「いまだ」と、フンボルト少年は、本棚にハシゴをかけ、『魔術用語用例と呪文のすべて』と題する本をとり出しました。


いそいでページをめくると……ありました、ありました。「ホウキを望みどおりに操る法」なる項目が。


えへん。シャルルルルーム、ダ。バルルルルーム、バ。ホウキよ動け。水を運ベェ」

フンボルト少年の呪文で、ホウキは眠りからさめたように動きだしました。


バケツを持って石段をピョッピョッとおりるとライン川ヘバケツをザブン。

たっぷり水を汲んで上がってくるのです。

そのくり返し。


ライン川に舟を浮かべて魚をとっていた漁師が驚いたのなんのって。

そりゃあそうですよ。ホウキがひとりでバケツの水汲みをしているんですから。

驚いたのは漁師だけではありません。川岸で、ちょうど蛙をくわえたばかりの白サギもびっくりして、くちばしをあんぐりあけ、蛙を落としてしまいました。

命拾いをした蛙のほうも驚き、しばらくは逃げることを忘れて、ホウキの水汲みを眺めていました。


トミ・アンゲラーの絵本は、こういうデテールまで描きこんであるから楽しいのです。

しかし、好事、魔多し。やがてフンボルト少年は大あわてにあわてはじめました。
ゲーテの譚詩『魔術師の弟子』は、こううたっています。


ホウキめは岸辺に下り
はや川水を汲んでいる。
電光石火、戻ってきては、
なみなみと水を運ぶ。
はや、五度目も果たした。
水槽はしたたりあふれた。
とまれ、とまれ。


……そう。実験室の床にまで水があふれてきたのに、ホウキは水運びをやめないのです。

フンボルト少年は叫びました。

「もういいぞ。ホウキ、もとの位置に戻れェ」

これでは呪文がとけません。

フンボルト少年も気がついて、「シャルルルーム、ダ。バルルルルーム バ。ホウキよ止まれ」といいましたが、ダメです。


「シャルルルーム、ダ。バルルルルーム バ」は、始めえ」の呪文でした。
「やめえ」の呪文は、「ハルト、タ。シュタルト、バ」です。
しかし、フンボルト少年は、それを知りません。


こうして、ホウキの水汲みは休むことなくつづきます。
水槽からあふれた水は、もう床上20cmまでたまりました。
25cm、30cm。
それでもホウキはライン川の水を運んてぶちまけるのです。

もう、めちゃくちゃです。
実験室の炉の火がジューと消えました。
しんちゅうのピーカーがポッカリポッカリと水に浮きました。
魔術師先生が飼育していたサンショウウオが3尾、大喜びで池のようになった部屋の中を泳ぎ回っています。

「ホウキよ。止まらなくちやダメだ。止まれ!」


フンボルト少年も必死です。
腰まで水につかりながら、マサカリをふり上げて、ホウキに切りつけました。


ところが、真っ二つになったホウキは、2本のホウキになってまたも水汲みに石段を降りて行くではありませんか。

2倍の早さで水が運ばれはじめたのです。


このひどい状況を、文豪ゲーテは文学的にこううたっています。


 二つのホウキは走せ廻り
 広間も階(フロア)も一面にぐちゃぐちゃ
 でも、もの凄い大洪水!
 ああお師匠様。私の呼ぶのをお聞きなされてくださいませ!
 やうやく師匠の影がみえた。
 これほど困った事はござりませぬ。


……魔術師先生に「パルト、タ。シュタルト、バ。ホウキよ、止まれ」と呪文をかけてもらうまえに、ホウキが2本になった意味を考えてみましょう。
これはですねェ、困っている時の悩みのタネは、心理的に2倍の苦しみとなってのしかかってくるという単純な比喩でしてね。
逆もまた真なり。楽しい時には、楽しさを2倍に感じとろうというわけです。

西遊記孫悟空が毛を抜きとって自分の分身をつくる、あの分身術がシルクロードを通ってヨーロッパヘ伝わったのだという説もありますが、これはゲーテ協会で否定されています。
                         ‘
ゲーテの譚詩『魔術師と弟子』は、


 「ハルトータ。シュタルト、バ。
 ホウキ。本来の姿に還れ。
 己(おのれ)の志を現ぜんための
 精霊を呼ぶ力があるのは
 この老いたる先達のみぞ」


……と老魔術師が大いに自慢するところで終っています。
この詩を書いた時のゲーテは48歳。
すでに文名かくかくたるものがあり自信満々。
自分をできぬことはない老魔術師に見たてていたのかもしれません。

一方、38歳の時に『魔術師の弟子』のさし絵を描いたトミ・アンゲラーも、すでに第一級のイラストレイターとしての名声を確立してはいましたが、もうその時にはニューヨークに愛想をつかせてカナダのケベック地区の無人島へ移り住んでいました。


トミがなぜ、無人島で暮らそうとしたか、出発直前のトミをイースト・ヴィレッジのアパートに訪ねて、その決心を尋ねた時、トミはこういいました。

例のゆっくりした口調で……。

「ニュー、ヨーク、という、町は、オカネ、おカネ、お、カ、ネの、町、だから、ね。おカネなんか、たいした、ものじゃない……と、思っても、この町にいると、つい、おカネのための、仕事を、してしまうんだ、よね。そんな自分が、嫌に、なってね。人生には、おカネ、以上に、大切なことが、あるから、ね」

30歳代で、世界第一級のイラストレイターの地位にまで登りつめたトミ・アンゲラーは、童話の宿命ともいうべき教訓性、つまり、『魔術師の弟子』でいえば、うろ覚えの呪文で大失敗した弟子のフンボルトを、結末でこらしめなければならないというところが我慢ならなかったのだと思います。


こんなふうに描かれています。


「シャルルルルーム、ダ。バルルルルーム、バ。ホウキよ働け」と呪文をかけて、城の中を水びたしにしてしまったフンボルト少年は、師匠の魔術師先生に、
「せ、せ、せ、先生。ほんのいたずらだったんです。ど、ど、どうか、お叱りにならないで」と謝りました。


ところが、そのフンボルト少年の尻を、ホウキがポン、ピタンとたたいたのです。

少年は、ピョッとはじきとばされて、城の急な石段をころげ落ち、ライン川にドボンと落ちてしまいました。


つまり、いたずらへの見せしめってわけでしょうね。

でも、妙ですよね。

城は水びたしになっただけで、水が引けば元どおりです。
ライン川に放りこまれるほどのいたずらではありません。

むしろ、魔法のホウキを使わないでフンボルト少年に水汲みをさせた魔術師先生のほうが児童虐待、思いやりゼロ、大人の意地悪というもの。

トミもそこのところに気がついて、童話の勧善懲悪をバカバカしいとおもったのかも。


おわり


明日は、『フォーニコン』(20歳以下禁)