創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(452)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第8回)


ストラスブール。パリからまっすぐ東へ約460kmご走った地点にあり、バラン県都
北緯48度35´。 東経7度45´。人口約25万人。



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初めてパリに滞在した45年前---1966年11月、ストラスブールヘ行くという私に、友達のベニ・ボハリバンが念をおしました。


「よくって、東駅から列車に乗るのよ。東駅よ。パリにはいくつも始発駅があるの。わかった? 東駅よ」


遠足に行く子どもにいいきかせる口やかましい母親のようなくどさでした。


ストラスブールは、トミが生まれた町です。当時は、トミの母親や姉たちが住んでいたので、取材に行くことにしたのです。


冬でした。


ベニがまたいいました。


ストラスブールは寒いわよ。とても寒いわ。ロシアからの冷たい風が吹きぬける町ですからね。暖かくしていくといいわ」


地図で確かめると、ストラスプールの北緯48度35´は、北海道の北の果て、稚内よりもまだ北でした。


もっとも、緯度だけでいえばパリだって北緯48度58´ですが……。


ベニの言葉どおり、ストラスプールの寒さはこたえました。


靴の底革まで冷えきって、それが足に伝わってくるのです。


トミの姉のしゅうとにあたる建築家のフランソワ・ヘレン・シュミット氏の暖かいオフィスに招じいれられた時は、正直いってホットしました。


「私が接するようになった時のトミは、もう18歳だった。それ以前のトミについては、ストラスブールの学校で、規則づくめの学校生活にどうしてもなじめなくて、しばらく反抗をつづけ、放校処分をくらったトミを見ただけだな」


シュミット氏は、こともなげに放校処分という言葉を口にしました。


「あの学校の校長は、きちょうめんで、権威主義の老人だった。トミの特異な性格、秀でた天分は、校長のそうした性格と相入れなかった」


親戚の中には、一人くらいこういう理解のある人物がいるものです。
放校処分という事件を性格劇のように冷静に観察してくれる人物が……。


デザイン学校でのトミの放校処分について、氏は楽しげにこう話しました。


「トミはなんでもできたのです。デッサンも彫刻も。だから、級友たちはトミを先生扱いして教えを乞うた。トミが校長になってしまったわけだ。校長が2人もいては学校だって困るでしょうよ。どちらかの校長が辞めなければならない。とすれば、校則に従わないトミのほうが辞めざるをえない。トミのほうがうんと若かったわけだし……」


氏は、壁にかかった額入りの絵を示しました。
絵というよりも、コラージュといったほうがふさわしいものでした。
シダの葉っぱを押し花にして魚の骨に見たて、線で頭を描き、それに皿を思わせる丸い線を引いただけの絵でした。


トミが30数年も前に描いたものです。
奇怪な魚に見えました。
骨っぽい魚、少年時代のトミのように……。


ニューヨークのアトリエにトミを訪ねた時、彼は「注文の、絵を、1枚、仕上げなければ、ならないから、待って、くれる、かい?」
そういって、机に向かいました。
赤と白の市松柄のシャツを着たメキシコ人がギターの弾きがたりをしているさし絵ふうのものでした。


トミはロ笛を吹きながら器用に筆を走らせてすばやく色をつけましたが、計算尺の目盛をギターのフレッドに見たてた、一種のコラージュでした。
コラージュはトミが得意とする一つの画法でもあります。


 『帽子』 (上)
『帽子』(訳・たむら りゅういち あそう くみ)は1970年に発表された、楽しくてちょっとこわい作品です。


日本の昔ばなしの「一寸法師」のようなストーリーです。
一寸法師」とトミの作品の『帽子』の発音が同じだなんてお考えにならないでくださいね。


『帽子』は、正真正銘、シルクハット、そう、かぶる「ぼうし」の話なんですから。


トミの39歳の時の作品です。








とびら

むかし、その帽子がありました。
黒いシルクハットで、ピンクのリボンがまかれていました。

ほら、生まじめふうの手品師が白バトをとりだす、あの、帽子です。
帽子の寓意は、虚栄、格式、権力、空いばり。


帽子は、ある大金持ちの頭におさまっていたのですが、馬車で走っている時に、風で吹き飛ばされたのです。


横に乗っていたフィアンセがいいました。
「あら、帽子の1つや2つ、どうってことないでしよ。それよりも、いそがなくっちゃ……」







大金持ちの頭から飛び立ったぼうしは、まるで生命があるかのようにくるくると空を舞い、カラスをからかい、トンビの目を回させ、犬を驚かせて、やっと文無しの退役軍人ベニート・バドグリオのはげ頭に着陸しました。


ニートときたら、雑のうを肩から斜めにかけ、ヨレヨレの第一式礼装……つまり、肩章やら袖章で飾りたてたお祭り用の軍服をまとい、松葉づえにすがったボロボロの老兵です。


そうそう、右足は膝から下が義足。貫通銃創で右足切断の退役軍人ってわけです。


シルクハットがぽんとベニートの頭にのっかった時、なにを間違えたか、ペニートは悲鳴をあげました。


「あっ、撃つな。降参だ」


でも、あげたのは左手だけ。
右手をあげたら、松葉づえを離してひっくりかえりますからね。


かわいそうな老兵ベニートを驚かせすぎたと悟ったぼうしは、ペニートの頭からひょいと離れると、宙返りをしたり、空中ダンスを踊ってみせました。


「こりゃあ、たまげた。セバストポリの事件の再来だ」


ニート・バドグリオじいさんのいい方も大げさですねえ。
セバストポリ事件というのは、は、そのう、ウクライナにあるセバストポジ町で、一九世紀のクリミア戦争の時には349日間、第二次大戦の時には245日間の包囲戦に耐えぬいた英雄的な行為です。


町の名は、ギリシャ語の「高い都市」……セバストーポリスにちなんでつけられました。


そうすると、ベニートは、クリミヤ戦争の生き残りの勇士なんでしょうか? 


それにしては、ベニートはシガレットを喫っていませんね。
シガレット、つまり、紙巻煙草はクリミア戦争の時に兵隊たちがヨーロッパヘ持ち帰った悪い習慣のひとつなんでが……。


トミの創作童話『帽子』は、まず、スイスのチューリヒで出版されました。


ストラスブール生まれのトミは、フランス語は当然として、英語、ドイツ語でも童話を書くのです。
『帽子』は最初はドイツ語で書かれたのでしょうね。


トミは、16歳の時に最初のヨーロッパ旅行をしました。
旅行先は「ドイツとスイスだった」とトミが話してくれました。


それをニューヨークの彼のアトリエで聞いた時は「ヘエ」と感心したのですが、ストラスブールヘ行って「なーんだ」と思いました。
ストラスブールからライン川を渡ればもうドイツ、山ひとつ越えればもうスイスなんですから。


「その時の旅行の目的は?」
「少年時代からのもうひとつの夢だった、地質学の勉強にね」
「ヘエ」
トミはいたずらっ子のようにニヤっと笑い、
「なあに、実際は石っころ集め程度のことだったけど……」
そうはいいましたが、トミの鉱物学に関する知識はたいしたもので、鉱物標本箱の一箱や二箱はすぐにもつくれるほどだったといいます。


植物の名もよく知っていて、少年時代のトミは人並み以上に自然を教師として遊んだようです。
自然観察力がトミの空想力の源泉でもあるのです。


さて、片足の退役軍人ベニートのものとなったその帽子は、早速、勲章ものの手柄をたてました。

おカネ持ちの外国人旅行者の頭めがけてアパートのベランダからサボテンの植木鉢が落ちてきたのです。
「あ、あぶないッ。直撃弾」

ニートがそう叫ぶよりも早く、帽子がさっと飛び出して、空中でその植木鉢を受とめました。


「おみごと、老竜騎兵どの。きみは命の恩人だ。さ、目をつむってその帽子で受けたまえ」
外国人旅行者は、おカネやら金時計やら何やらかにやら、いっぱいくれました。


 いやもう、ペニートは驚いたのなんの。


「うん、これで晩めしの時に上等なライン・ワインの小びんにありつける」ともう、ニヤニヤ、ニヤニヤ。
いやしいったらありません。


そういえば、ここ2年ばかり、ベニートは安もののビールしか口にしていなかったのです。
それも1週間に一度だけ……。


クリミヤ戦争生き残りの老竜騎兵ベニートがレストランヘいそいでいると、町の清掃人が壁という壁に尋ね人のポスターをはっているのが目にはいりました。


「尋ね人」はおかしいですね。探しているのはエメラルダという小さなムラサキ・ゴシキ鳥ですから「尋ね鳥」または「探鳥」というべきです。


南米産の珍鳥で、尋ね鳥の主は国立動物園長。
1,000万円」


いえ、1,000万円というのは日本円ですからヨーロッパで発行された本にはそれぞれの国の通貨の単位で、たとえばイタリアならリラ、スペインならペセタ、スウェーデンならクローネと表記してあるのでしょうが、1,000万リラは約250万円にしかなりませんし、1,000万ペセタなら4,000万円強です。


換算がややこしいので、ここは1,000万円ということにしておきましょう。


もっとも、税金で運営されている国立動物園がそんな大金を懸賞金にしていいのかという疑問は残りますが……。


世界中でたった1羽しかつかまっていない珍鳥なので、かかった賞金が1,000万円。その動物園の目玉的存在でもあったのでしょう。
1,000万円もの賞金がかかるのですから。


あるいは、このムラサキ・ゴシキ鳥が逃げたとなると、園長は辞表をださざるを得なかったのかもしれませんね。


とすると、逃がしたのは園長のあとがまをねらって副園長派かも……。
ムラサキ・ゴシキ鳥鳥はオウムに似た鳥ですが、名前のとおりに羽毛が鮮やかな5色に美しく輝いています。


自分が美しいことを鼻にかけて、ちょっと高慢ちきな態度をとるのです。
ですから、国立動物園から逃げて、美術館の前のアテナイ銅像のテッペンなんかにとまって、人を見下したりもします。


明日を、ご期待。