創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(450)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第6回)

トミの絵本---『ザ・ムーンマン』、『へびのクリクター』、『ゼラルドと人喰い
鬼』ときて、第4話は『ムッシュウ・ラシーヌと珍獣』。

学校の夏休みが終わるまで、つづけます。お子さん、お孫さんとごいっしょにお楽しみいただき、彼(彼女)らの感想をお聞かせいただくとありがたいです。


ラシーヌおじさんとふしぎな動物』(上)
"THE BEAST OF MONSIEUR RACINE"


フランスという国にどの程度、親しんでいらっしゃいますか?


歴史とか文学とか、映画とかワイン・料理とか、ファッションとか美人とか……となると私の知識は大いにあやしいのですが、地理学ならある程度の自信があります。


なんとなれば、この12,3年(1969〜81)のあいだにフランスを訪れたこと15回、レンタカーで走ったのがほぼ3,000km、この国の列車に乗ったのは通算で50と8時間、買い求めた絵葉書230枚、拾った鈴懸の実32ヶ、そして使い残しのパリの地下鉄の切符6枚と電話用のジュトン(硬貨)を2ヶ、手持ちしていますからね。


さて、このようなフランス地理学の学徒(?)を自認する私の見るところ、フランス第一の大都市は、いうまでもなくパリ。


第2の都市はベルギー国境に近い北部のリール。
第3が3つあって、メッスとリヨンとマルセーユ。
これにつづくのは、人口30万人そこそこのストラスブールルーアンボルドーツーロン、ニース、グルノーブル


この中で私がまだ足を踏み入れていないのはボルドーグルノーブルだけ。


パリ生まれのフランス人と話していて「ああ、トールネーって村だね。いいランジュ(亜麻)工場があってね」とか、「うん、カルカッソンヌの目抜き通りにはおいしいベトナム料理店が一軒あるよ」とか、「そうそう、トゥールの町を流れるロアール川の土手のネコ柳並木はねえ……」などと話をあわせると、たいていのパリっ子は目をパチクリさせます。


もっと驚かせてやろうと思ったら、「パリの隣町アニエールのシャルル・ド・ゴール大通り8番地にあるドラットリア・ゼルマッティっていうイタリア人がやっているレストランを知ってる? あの店で食べさせてくれるキジ料理は……」などといえばいいのです。相手はきっと手帳をとりだしてきて、
「電話番号を教えてよ」
「えーと、732の2005だったかな」
(通り名は、いまは、ルイ・ヴィトン通りに変更されています)。


このように、フランスの地理(?)にはある程度の自信のある私ですが、ストラスブール生まれのイラストレイター……トミ・アンゲラー描くところの創作童話『ムッシュウ・ラシーヌの珍獣』の舞台が、フランスのどの町での事件なのかはピタリということができません。


いくつかのデータから、東フランスのロジェラッハかな、なんて推測しているのですが……。


ロジェラッハ……ドイツ名くさい小さなこの村は、ストラスプールの南70km、ライン川の上流に近く、ミシュランのドライブ用地図にも載っていないほどの寒村です。


この村の名はトミの母親のアリスから聞きました。
父親のテオドールがトミが3歳の時に死んだあと、一家はロジェラッハにあるアリスの実家に移り住んだのでした。


12歳までの10年間を、トミはここで過ごします。
母親の実家は綿紡工場を経営していたそうです。 


ミシュランの地図を眺めてロジェラッハ……実は西ドイツ領のロレハのことではないかとにらんだりしているのですが……。


ロジェーラッハでの思い出をトミに問いただしたところ、「戦争。嫌な、こわい、思い出だ」
と答えました。


もっとも、ナチの狂暴さを幼いトミに吹きこんだのは、姉たちだったのではないかと、彼女たちに会って、私は推測しましたが……。


アリスはこんな話をしてくれました。トミが12歳の時のことだといいますから、第2次大戦も、末期でしょう。


当時、アリスがたくさん飼っていたニワトリの餌が底をつきました。と、トミはニワトリたちの足をひもでつなぎ麦畑へ引っぱって行って落ち穂をついばませたのだそうです。


しかし、トミはそのことを、別の言葉で話してくれました。


「12歳の時、米軍機による、機銃掃射を、受けた。米軍の、飛行機は、動いている、ものなら、なんでも、射って、きたから、ね。たとえば、コーンの落ち穂を、ニワトリに食べさせる、ために、畑へ連れて、行って、いたのです。この時、米軍機が、急降下してきて、機関砲を、打ちはじめた。3回も、くり、返して……」


ムッシュー・ラシーヌの珍獣』は、こんなふうに始まっています。
(邦題ラシーヌおじさんとふしぎな動物』訳・たむら りゅういち あそう くみ)


ムッシュー・ラシーヌは、税務署を定年退職し、人目をしのぶ小さな家を建て、平和に暮らしていました。


足をひきずりながら、家の近所を歩き回ったり、鳥や雲を眺めたり、小さな庭のあちこちを掘り返したりする毎日に満足していました。


−−−われらがムッシュウ・ラシーヌをトミは、麦藁を編んだカンカン帽をかむり、鼻めがねをかけ、マドロス型のパイプをくゆらしながら、太鼓腹が突き出た初老のフランス人として描いています。


そう、パリや田舎町でもよく見かけるタイプの、人生をあきらめきった……というより、高望みをしない人生の達人と呼ぶべき、善良な老人のひとりです。


だからといって、ムッシュウ・ラシーヌを軽く見てはいけませんよ。
フランス人、とくに初老の男性は、こと、自分の趣味には格別に誇りが高いのです。


ムッシューの自慢はといえば、庭の一本の梨の本でした。


もちろん、西洋梨ですから、鳥取産の水々しい20世紀梨とは比べものになりません。


でも、その梨の木は、とても味のよい実をつけたんだそうです。

水っ気も多かったとか。

これは、トミが20世紀梨を食べたことがないから書いてしまった文章でしょう。


いくら水気が多い……といっても、西洋梨はしょせん、西洋梨
わが20世紀梨の水っ気にかなうはずはありません。


しかし、トミはこう書きつづけています。


その木からとれる梨の実は、地方の農産物品評会で、いくつもの賞をとったほどだった、と。

仔ブタの尻っぽと、子どもの腕がワクからはみでているのにご注目


お金持ちたちは、いくらでもオカネを出すから、その木を売ってほしいと申し出た、と。


ムッシュウは考えました。


「お金を持ったとして、私にはそのお金でしてみたいことがあるだろうか? ないね」


「私は、この梨の木を愛している。そして、この梨の実を食べることこそが私の生き甲斐なのだ」
「私の梨の木を売るなんて……愛する子供があったとして、愛する子供を売る親なんていないように、私はこの愛する梨の木は売れない」


こう考えられるムッシュウは、それだけ、幸せな人だったといえるのではないでしょうか。
人間、愛する人、愛する音楽、愛する仕事があるということは、それだけで幸せなのです。


しかるに、なんということ!


ある朝、起きて庭へ出てみると、ムッシュウが愛してやまない梨の実はたった1個を残してなくなっているではありませんか!


念人りに調べてみると、梨泥棒とおぼしきヤツの奇妙な足跡が見つかりました。


まさに、この世のものとは思えないような生きものの足跡でした。

いえ、足跡というよりは、本の切り株でペタン、ペタンと地面を踏みつけたような痕跡でありました。


「珍なるかな、異なるかな。これぞまさに子象の足跡!」


ムッシュウ・ラシーヌは身ぶるい一つ、クサメを3つしてから、計略を実行にうつしました。

毛糸の一方のはじを残っていた梨に、反対側のはじを戸口の鈴にくくりつけて、犯人があらわれるのを待ったのです。

コーヒーがこぼれてテーブルからしたたっています


鈴が鳴った。
よしッ! ムッシュウは、騎兵隊の騎士よろしく、サーベル片手に庭へ飛び出、暗闇に目をこらして見ると、月明りの中に一匹の怪獣がうごめいていたのです。


珍獣の検分が終わったら、上のワクの左上の、かたつむりを見て。


それは、これまでムッシュウ・ラシーヌが見たことも聞いたこともないような、奇妙な動物でした。

遠目には、古ぼけてカビくさい毛布のかたまりのようでした。


くつ下のような長い耳がたれさがり、もじゃもじやの髪の毛があるかなきかの目をおおい、鼻は、といえば、定年して単なる排水口と化しているチンポコそっくり。


足は木の切株みたいで、おまけにひざはダブダブ、歩いても足音がしません。


ことここにいたってムッシュウの怒りはいとも簡単に好奇心に早がわり。


「ふむふむ。この珍獣、まずは害はなさそうだ」


珍獣の方も、ムッシュウと知り合いになれたことを喜んでいるそぶりをしたものです。


人間というのは、他愛もないもので、自分に好意を持っているらしい相手に出会うとたちまち武装解除
「いよー、兄弟」なんてセリフをロにし「一杯どう? ああ、そう。来年の流行色を教えてくれ? おやすいご用さ」と身を乗り出しかねません。


この時のムッシュウ・ラシーヌがまさに、それ。


梨の木の下の珍獣が、ムッシュウと知り合いになれたことを喜ぶように、定年チンポコの鼻をヒクヒクさせると、ムッシュウは、さきほどまでの意気はどこへやら、ポケットからマロン(西洋栗)をとり出し、サーベルの先にのせてその珍獣にさし出すのですから、まったくだらしがありません。


珍獣も珍獣で、そのマロンをおいしそうに食べたのです。定年チンポコのようにとろんとのびた鼻の珍獣とムッシュウとの心の交流は、しばらくつづいていました。


その珍獣は夕方にやってきて、夜がふけると向こうの林のほうへ帰っていくのです。


雨がそぼ降る日は、ムッシュウが叔母からゆずりうけたソファーに並んで坐って、ゆっくりと音楽を楽しみました。


この珍獣が、なに属なに科の動物か知りたいと考えたムッシュー・ラシーヌは、パリの科学アカデミーに、1本指でうった問い合わせの手紙を出しました。


むろん、写真も添えてです。


いろいろ調べた結果もそえました。身長、体重、各部位のサイズ、血圧、検尿結果などなど。

肌の色や細胞組織は、とうぜんですが……DNA確定技術は、当時はまだ未発達だったので、これは調べなかったとおもいます。

>>『ラシーヌおじさんとふしぎな動物』(下)に続く