創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(454)『トミ・アンゲラー絵本の世界』(第10回)


ゲーテに、『魔術師の弟子』という譚詩(ものがたりし)があります。
知り合ったシラーに刺戟されて、民謡をもとにしてつくった一連の詩の中の一篇です。
岩波文庫ゲーテ詩集』(竹山道雄)第2巻では、こんなふうに始まっています。


 魔法秘行(ひこう)の老先達(せんだつ)は
 とうとう家をお明(あ)けなされた。
 平素は師匠の頤使(いし)に甘んずる霊共(れいども)
 さあ、今度は己の命の儘(まま)に働けい


……文字で読むとなんということのない詩句ですが、朗読してみるとわかりが悪い訳のように思います。

 
さいわい、トミ・アンゲラーに『魔術師の弟子』(訳・たむら りゅういち あそう くみ  評論社)という絵本がありますから、そっちのほうをご紹介しましょう。


絵はトミ、文はバーバラ・ヘイズンという女流文学者の手になるものです。


こんなふうに始まっています。

昔むかしの大昔。
なんでもよく知っている、まるで百科事典のような頭脳をした年寄りの魔術師がいました。
どんな魔法も自由自在に使いこなし、たとえば、王子さまをネズミにかえたり、小石を黄金にかえるなんて、お茶の子さいさい。
「えいツ。ヤッ」とかけ声をかけて青白い煙りを立ちのぼらせ、自分の姿を消すこともできたのです。


つまり、そのう、忍術使いと、いたずら好きの白ギッネをひとつにしたような修験者だったのですね。


ほら、ケムリとともに消えたり、本の葉っぱを小判に変えたというのですから。
もっとも、消滅願望といいますか、まったく別の自分に生まれかわって新しく始めたいという気持ちはだれにだってありますが……。

ヨーロッパの魔術師がこの国の忍術使いと違うところは、その住まいです。

魔術師は、ライン川を見おろす小山の上の城に住んでいたのです。


南ドイツあたりを流れるライン川ともなれば、川幅だけでもゆうに300mはあります。


そう、トミの生まれ故郷……ストラスブールのそばのライン川は……。


もうすこし上流へいったとしても、川幅は200m。
スイス北部のチューリッヒの北……シャフハウゼンという町にあるライン・フォール(ライン川の滝)のあたりで、川幅は50m。


魔術師の住む城の下のライン川の川幅がなんメートルかは書かれてはいませんが、それにしても豪勢なものです。
そういう城に暮らせるのですから、きっと、小石をどんどん黄金にかえて、それで買いとったのでしょうかねえ。

その城には、物見のための塔屋(とうや)や、トンネルや、丸天井の廊下や、いつもジメジメと水がわいてくる地下の実験室までがあり、豪壮、広大な城だったといいます。



複雑な通路


人里離れた小山の上にあって、不便すぎると考えた以前の持主が安く売ったのかもしれません。


電話なんかのなかった時代です。
夜中にラーメンが食べたくなっても電話で出前を頼むわけにもいかなかったのでしょうし。


え? 魔術師だって不便をしていたろうって? 

いえいえ。彼は伝書鳩がわりにカラス使って「にぎりの松一人前、大至急、出前頼む」……なんてやっていたのです。伝書ガラスとでもいうのかな?


大魔術師の秘法ともいうべきは、本棚の最上段---しかも鍵つきのボックスにしまわれている『魔術用語用例と呪文のすべて』でした。

その秘密のボックスが開けられないようにフクロウが寝ずの番をしているのです。



本棚に革表紙の本がびっしりなのは当然として(ほんとうの書斎というのは、革表紙に装丁しなおした本がそろっているものなのです)


さて、この大先生である魔術使いの若い弟子にフンボルトというのがいました。


先生の留守に魔法のホウキに命じて城の掃除をさせたまではよかったのですが、
「掃除やめ!」
の呪文のかけ方をしらなくて、城内を水びたしにする物語。


なまけ精神のいましめ、半可通のおそろしさ、生兵法は大怪我のもと的教訓童話です。


ページごとのトミのさし絵が、例によって独創的なのです。


魔術師先生の秘蔵の本『魔術用語用例と呪文のすべて』をちょっと、のぞいてみましょうか。
「おいしい紅茶とラム・ケーキ、ただちに現れよ」
というのは、えーと、最初は「シヤルルルルーム、ダ。バルルルルーム、バ」といいます。


「これから魔法をかけるぞよ」
という意味の合図です。


「バルルルルーム、バ」の次は、
「おいしい紅茶とラム・ケーキ」


でしたね。


あ、いけません。
魔術用語用例と呪文のすべて』の本は、アラブ語ともヘブライ語ともつかぬ、奇妙な活字で印刷されているのです。


なんとも、読むことができません。「紅茶とラム・ケーキ」はあきらめましょう。


魔術師先生の実験室のほうにご案内しましょうか。


いやまた、これが奇妙な部屋で、その乱雑ぶりときたら、ニューヨークでみたトミ・アンゲラーのアトリエそっくり。

実験室1


トミのアトリエには、等身大のマネキン人形が、西洋の騎士がカブトの下にかむる黒い頭巾をかぶせられ、下半身には鎖の貞操帯をはめられて立っていたり、ぜんまい仕掛けで動くセルロイドの馬と向き合わされた美女の人形が輪ゴムでしばられていたり、奇妙な回り燈龍があったり。


トミは得意になって自分が合成したおもちゃ類を説明してくれたのですが、私はついていけませんでした。

さて、魔術師先生の実験室。フラスコや蒸留装置や水槽やアルコール・ランプがところ狭しとあって、あ、これは錬金術師の実験室……と思いました。

実験室2


錬金術師ってご存じでしょう? ほら、石から鉄、鉄から銅、銅から鉛、鉛から錫、錫から水銀、水銀から銀、そして最後には黄金をつくり出せると信じて、実験をくり返した……。


インチキだなんてバカにしないでください。


彼らは石を黄金に変えることはできませんでしたが、フラスコとかビーカーといった実験器具を私たちに残してくれたのですから。


明日に、つづく