[効果的なコピー作法](11-1)
46年前の1963年に上梓した『効果的なコピー作法』(誠文堂新光社)を、Web上で復元しています。積み残していたこの[第11章 コピーの信頼]で、すべての章をアップし終えたことになります。
[はじめに]にも記していますが、当時は誠文堂新光社からでていた業界専門誌『ブレーン』誌に1年間連載したものをまとめました。
chuukyuu、32歳から33歳にかけての思案で、いま見ると〔若書き〕の憾はいなめません。この執筆中に、山城隆一先生の口ぞえで『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社)を自著第1号として世に問いました。『効果的なコピー作法』はしたがって第2号。[若書き〕は〔若恥〕に通じますね。
それはともかく、系統だった章立てでは、このあと、これを超えた指南書はまだ現れていない---という自負はあります。
この第11章のアップをもって、当ブログの使命はおわったようなものです。
第11章
コピーの信頼
広告の目的には、いろいろありますが、ほとんどの
広告に共通する目的は、読み手の共感と信頼を獲得
することでしょう。
そのために、コピーライターはどうすべきか?
それは、一読、即座に「ナルホド」と思わせる技術を
獲得することです。
そのためには読み手の個人的経験に訴えるコピーを書く
べきです。
オリンの企業広告を例にひきながら、どう書けば
信頼されるコピーになるかを解説。
当社を、オリンとだけ呼んでいただきたいのです。
当社の正式社名の、オリン・マチスン・ケミカル・コーポレーション---12シラブルもあって、長たらしすぎます。呼びにくいですね。覚えにくいですね。そこで、今日からは、正式社名はそのままにしておいて、当社自身が、オリンと呼び捨てにすることにします。
Please call us by our first name.
Our legal name, Olin Mathison Chemical Corporation, is 12 syllables long. It's not easy to say. Sometimes it's hard to remember. So from now on, while our legal name remains the same, we're going to call ourselves Olin.
【エピソード】
上の新聞1ページ広告は、オリン社が、ドイル・デーン・バーンバック(DDB)広告代理店にアカウント(取引き口座)を移して、最初にできてきた広告です。
DDB社とオリンとのあいだにアカウントが開かれのは1960年です。
多岐多様な事業部門のうち、とれあえず、企業広告、パッケージ事業部、ウィンチェスター事業部、メタル製品事業部などがDDBに広告をまかせることになりました。
1960年といえば、DDBがVWビートルの広告を手がけた半年後です。いい広告がクライアントを魅きつける好例です。
それはそれとして、DDB杜のバーンバック社長、得意先責任者、アート部のボブ・ゲージ副社長、 コピー・チーフのフィリス・ロビンソン副社長がオリンの重役幹部たちの前にのぞんでだとき、開口一番、バーンバック社長の口からとび出たことばが、「私たちは、きょうからは、御社をオリンとだけ呼びすてにさせていただきます」といったという、伝説的なアイデアを広告につくりあげたものです。
これには、オリン側は「あっ」と嘆声をあげ、いわれてみればたしかに、〔オリン・マチスン・ケミカル・コーポレーション〕というフル・ネームは舌をかみそうだと、納得したでしょうね。以後の社名ロゴも、Olin 。
こういうように、受け手の側の感性を上手にとらえて広告主側の重役陣を説得するのも、コピーライターの役目の一つです。
スニーカーの生徒たちの中から、科学者を発見するのは、だれか?
今日のティーンエイジャーの中にだって、明日の料学者はいるはずです。
しかし、どうやって見つけ出しましょう?
少年たちのひ弱さ、愚鈍さ、悪さ加減をきめつける評論家のお話を聞けば、まさにお手上げというところです。しかし、私たちが年々彼らを育てていることも事実です。もし、私たちのティーンエイジヤーの多くが、もって生まれた頭脳の使い方を知らないのだとしたら、それこそ、私たちが少年たちに挑戦しそこない、発奮させそこなっているからだといえましょう。
これは、私たちみんなが担うべき責任です。オリンは、自分のかくれた力を自覚していない優秀な高校生に、当社のプラント・コミュニティの一つで、独特の実験を受けるようにすすめました。
この計画は、教育委員会とともに予備実験されたものです。格別有能な化学の教師が、ルイジアナ州のモンロ一高校へ派遣されました。この、平凡な高校の生徒の中から、彼は30名を選んでんで強制的にではあるけれども興奮的なやり方で、カレッジ程度の化学を教えこみました。
輝き始めた星を見つめるような感じでした。ひとりの生徒に灯がつくと、それが、ひとり、またひとりひろがりました。生徒たちは面倒な化学の教科書をじっくりと進めました。彼らは実験室での魅力ある実験に、もう夢中でした。彼らは生長することのスリルを実感しました。ある生徒は「勉強の仕方がやっとわかった」といい、地方学校の監督は「われわれはレンガを磨いてダイヤモンドをダメにしていたのだ」といいました。
ほかの教師たちもこの結果を見て、自分のクラスにもっと教えはじめ、生徒たちのほうでもそれを希望するようになったのです。突然、学園に新しいヒーローが現われたのです。それは、頭脳です。
翌年、別の30人がこのコースをとりました。今では、60中55人が科学を専攻しようとしています。一流のカレッジや大学が、彼らに門を開いています。すでに彼らは、8万ドルの奨学金を受けています。
つづいて、すぐれた教師たちがさがされました。この計画は化学から物理へひろげられ、モンローからほかのオリンのプラント・コミュニティへひろげられました。どこの地区でもこの計画は成功し、興奮は持続されました。生徒たちは育ち、いかに考えるべきかを体得し、目標はより高められました。400人近くもの生徒がすでにこの計画に参加してきました400人のアインシュタインではなく、本来の学習熱に花を開かせる機会を与えられたすばらしい子供たちです。これが悲観論者に対する、私たちにできる最良の回答です。しかも、オリンはこの考えにパテントをとっていません。
Who discovers scientists in sneakers?
Somewhere among today's teenagers are tomorrow's scientists. But how do we find them?
Listen to the cynics lalk of softnes. stupidity and worse in our youngsters, and you give up. But the fact is, we're growing them 'smarter every year. If many of our teenagers don't know how to use the brains they were born with, it's because we have failed to challenge and excite them.
This is a responsibility, we all share. Olin, concerned with the bright high school student who never comes close to his potential, offered to support a unique educational experiment in one of its plant communities.
The plan was worked out with the school board. An exceptionally talented Chemistry teacher was brought to Monroe, Louisiana. From this average high school population, he chose thirty students, and put them through a tough but exciting course in college-level Chemistry.
It was like watching the stars come out. One student lit up, then another and another. They slugged away at complex Chemistry textbooks.
They lost themselves in fascinating laboratory experiments. They felt the thrill of growth. Some said, "I've just begun to learn how to study." "We had been polishing our bricks and dulling our diamonds," said the
Superintendent of Schools.
Other teachers saw what could be done, slarted giving more to their students and demanding more from them. Sud・denly there was a new hero on campus: The Brain.
Another thirty took the course next year. Now fifty-five of those sixty are planning careers in the sciences. Leading colleges and universities have flung open their doors to them. So far, they've earned over $80,000 in scholarships.
Other outstanding teachers were found. The plan was extended from Chemistry to Physics, from Monroe to five other Olin plant communities. Everywhere the plan has gone, the excitement has followed: students growing, learning how to think, setting their goals higher.
Nearly four hundred students have already participated in the plan. Not four hundred Einsteins, but four hundred bright kids whose natural drive to learn has been given a chance to flourish. It's the best answer we know to the weepers and wailers, and Olin has no patent on the idea.
企業広告
シュワブ(Victor O. Schwab)氏の近著「広告コピー入門」(筆著訳)にこんな詩があります。
あなたが、多額の金を使っているのはわかります・・・・・・
私が知るべきだと、あなたが考えているものを私に教えるために。
あなたの工場が大きくて美しく、どんなにすごいか、また、あなたの創設者がどんなにりっぱな長いヒゲをもっていたか。
その彼がこの仕事を昔むかしの1892年に始めたとか、
それがあなたにとってどんなに誇らしくおもしろいことであるか。
彼はそれを血のにじむ努力でつくりあげたことか。
(私は興奮して家へとんで帰り、女房にこのことを教えてやるぞ!)
あなたの機械は最新式で、完ぺきで、手落ちなんて一つもなく、
従業員はどんなに清潔かを。
あなたのモットーは「品質本位」・・・・・・、こいつの大文字。
「あなたの」と「あなたに」に、うんざりするのも無理はない。
私に早く本当のところを教えてください。
(そうでなければ、クソクラエ)
製品の由来はなしは、もうたくさん。
このいまいましいものが、私にどんなことをしてくれるのかをもっと教えて!
それは私に、お金や時間や労力を節約させる?
私の給料を、うれしくなるほど上げてくれる?
骨折り仕事や悩みや損失をとり去ってくれる?
私を今の生活から引きあげてくれる?
きっとそれは、私の外見をすごくりっぱにしてくれるので、
私への電話でベルはすり減り、
そして私に多くのすばらしい友人を得させてくれる。
(そしてこんなことがどこまでつづくのか、誰も知らない!)
それは私の健康にどれほど役立つのかな?
それは私に金もうけの方法を示してくれる?
私自身のための、子どもや妻のためめ、もっとよいものを、
あるいはすこしでも早く仕事から解放されるにはどうしたらよいか?
だから、私に早く本当のことを教えてほしい。
(そうでなければ, クソクラエ)
「この製品の由来」についてなんて、もうたくさん。
私に何をしてくれるかをもっと教えて!
1942年ごろに書かれた詩だそうです。
1942年といえば、太平洋戦争の最中です。日本では「欲シガリマセン勝ツマデハ」なんていっていたころです。
当時、米国の広告の多くがどんな傾向をとっていたか、私は知りません。
手もとにある2,3の例では、やっぱり、「欲シガリマセン」式の米国版です。
あるいは、品不足で、一般消費者向け広告ができないので、企業広告をやっていたのかもしれません。
それにしても、痛快な詩です。 (もっとも、詩としての文学的価値はかぎりなくゼロに近いようですが・ ・・・・・・)
この詩を長々と引用したのは、日本の、いわゆる企業広告という名の広告が、この詩の前半で皮肉られている状態とそっくりだからです。
企業広告といえば、日本では、インスチチューショナル広告のことを指していうようですが、私は、このほかに、コーポレイト広告も含めたいと思っています・・・・・・
インスチチューショナルな広告の目的を、W・ダンは、「社会の好意を得ることを目的とした」広告と定義し(S.W.Dunn "Advertisiong Copy and Communication)
(1) 企業体がいかに公共心に富んでいるかを示すため
(2) 広告主の労務関係をよくするため
(3) 会社にたいする株主の信頼をますため
(4) その会社が業界のパイオニアであることを大衆に確信させるため
にする広告であると分頬しています。
一方、コーポレイト広告というのは、製品を正面に出して、それを生産販売している企業の考え方を大衆に報せるをる、あるいは、企業を正面に出してその製品のよさを間接的に大衆に説得する広告である、と私は定義しています。
ほんとうに多いのは、こちらの広告でしょう。
まあ、ことばの定義は、どちらでもいいとしまして、いずれにしても、その広告が、大衆の信頼を得、ひいては企業なり製品なりの信額を高めるものでなければならないでしょう。
もちろん、広告というものは、もともと、どんな広告でも信頼されることを望まないものはありませんから、この場合の信頼というのは、好意にもとづく信頼とでも呼んでおきましょう。
つまり、並はずれた信頼を得るにはどうすればよいか・・・・・というのが、この章のテーマです。
「共感と信頼」に、つづく