創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[効果的なコピー作法](11-2)

第11章コピーの信頼(2)


>>『効果的なコピー作法』目次





猫を箱から出したのは、だれか?


今までの段ボール箱の内面は、磨き砂のようなものでした。無数の小さなツメが、入れたものをひっかきました。冷蔵庫や家具は、ときとして擦り傷をつけられて届けられ、お客さまを困らせたものです。

  • オリンは、内容物に傷をつけないコンテナーをつくりまし。運搬中にガタガタゆれても決して傷がつきません。「スカッフマスター」と呼ばれます。冷蔵庫の塗装面をいためず、家具の表面を守ります。ホイール・キャップも傷なしで送れます。ついに猫を箱から追い出したのです。この箱は何にでも使えます。
  • オリンのパッケージ事業部からのもうひとつのクリエイティブな問題解決です。

共感と信頼(11-2)


この章の(昨日の)冒頭のオリン社の広告をもういちど---。
(社名の呼び方の変更告知広告です。よくある、社名変更告知広告ではありません)。


 1961年3月24日の『ニューヨーク・タイムズ』に載った全ページです。もういちど、読んでみましょう。
chuukyuu注)米国では、新しいクライアントがきた場合、最短でも3ヶ月間の準備期間を要するときいています、ということは、オリンがDDBのクライアントになったのは、1960年も年末に近い11月か12月だったのでしょうね))。


当社を、オリンとだけ呼んでいただきたいのです。


当社の正式社名の、オリン・マチスン・ケミカル・コーポレーション---12シラブルもあって、長たらしすぎます。呼びにくいですね。覚えにくいですね。そこで、今日からは、正式社名はそのままにしておいて、当社自身が、オリンと呼び捨てにすることにします。


この広告は、オリンが、ドイル・デーン・バーンバック(DDB)広告代理店にアカウントを移してからできた、最初の広告です。
DDBとオリンとのあいだにアカウントが開いたとき、繰り返しになりますが、DDBのバーンバック社長、得意先担当責任者(アカウント・マネジャー)とその部下、アート・ディレクターのロバート・ゲージ副社長、コピー・ディレクターのフイリス・ロビンソン副社長が、オリンの重役たちの前にのぞんで、開口一番、バーンバック社長の口からとび出たことばが、
私たちは、きょうからは、貴社をオリンとだけ呼びすてにさせていただきます
と宣言したという、伝説的アイデアを広告につくりあげたものです。


それはともかく、このコピーを読むと、あなただって「ナルホド。---オリン---ダケノホウガ、呼ビヤスイワイ」
とお考えになるでしょう。


広告では、この「ナルホド」が大切なのです。


「ナルホド」というのは読者の共感です。
しかも。オリソの広告の場合は、一読、即座に「ナルホド」です。
この、一読、即座に・・・・・ということも大切です。
コピーを最後まで読んで「アア、ソウイウコトダッタノカ、ナルホド」では困るのです。
読者というものは、それほど親切ではありません。
いつでもコピーを読むのを止めてしまうのです。
一読、即座に「ナルホド」と思わせなければ、あとをつづけて読んではくれません。


さて逆に、読者が、一読、即座に「チガウ」と思っだらどうなるでしょう。
つまり、読者が広告のメッセージに反対した場合です、反対しながら共感するというこは、まあ、広告の場合には、まずないといっていいでしょう。疑われたり、反対されたりする広告からは、信頼は生まれてきません。


たとえば、「このタバコは、世界的水準の味です」と広告のはじめに置いたとしましょう。はたして「ナルホド」とみんなが思うでしょうか?
あるいは、そのタバコの味は、科学的に分析すると、ほんとうは世界的水準なのかもしれません。けれど、大衆は、それほど通ではありません。
ですから、事実をそのまま語っても、信頼とは結びつかないことも多いのです。
信頼とは、共感から始まるものです。共感とは、多分に感情的なものであり、常識的なものです。
正確とか、真実とかといったものから始まるものではありません。
共感というのは、個人的経験にもとづく感情的な判断の結果ではないでしょうか。
したがって、信頼につながる共感を得ようと思うなら、読者の個人的経験に訴えることです。


例をもう一つ挙げましょう。昨日のこの章に引用した企業広告のコピーを読んでください。
1961年10月7日号の『ニューヨーカー』誌に出たものです。


お読みになりましたか? これと同じ絵の広告が、同年10月20日号の『ライフ』誌にも載りました。そのテキストがすこしちがいます。


今日のティーンエイジャーの中にだって、あすの科学者はいるはずです。しかし、どうやって見つ出しましょう? どうやって育てましょう? 新聞によると、すしづめの教室、未熟な教師、時代おくれの授業方法などについての気のめいりそうな報告、少年たちのひ弱さ、愚鈍さ、悪さ加減をきめつける評論家のお説をきけば、まさにお手上げというところです。


この書き出しの部分を、もう一度、先にあげた訳とくらべてください。
どちらに共感が湧きますか? 私なら『ライフ』誌の方です。
理由は、「すしづめの教室、未熟な教師、時代おくれの授業方法」といった、たった一行のコピーのせいなのです。まさに戦前・戦後の窮乏時代に学園生活を余儀なくされた世代なもので。


想像しますに、コピーライターのロビンソン夫人は、まず、『ライフ』誌のためのコピーを書き、それから『ニューヨーカー』誌用に短かくしたのだと思いますが、教育関係者の反応にも配慮したのかもしれませんが、この削除のやり方には疑問がないでもありません。
もっとも、日常、私たちはいつもこんな作業にぶつかって、同じような誤ちをおかしているのですが。


>>「テクニック」へ、つづく