創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(213)[ビートルの広告](114)

映画」『ファニー・フェイス』とともに、この言葉が流行したことがありました。主役はオードリー・ヘップバーン嬢でしたかね? ぼくたちには指摘できないけど、彼女のどこかにユダヤ系---というか、アラブ的なものがのこっているんでしょね。「ファニー・フェイス」は日本にくると「アンパンのへそ」に変化し、団令子さんあたりが代表したのだったかな。中高じゃない丸顔の若い女性がずいぶん救われるとともに、美人の範囲がぐっとひろがりましたね。美人が歌麿の一手販売じゃなくなりました。
フォルクスワーゲンの場合も、『ファニー・フェイス』の波及を意識的に利用しています。自分からあっけらかんと、”homely"(死語の「女中風の顔」)とか、"ugly" "funny"といってしまわれたのでは、外野は投げつける言葉を失ってしまいます。自慢師より自嘲師のほうが高等戦術遣いなんです。


フォルクスワーゲンは不恰好でしょうか?


フォルクスワーゲンは内側からデザインを始めました。
どの線も機能が生みだした「結果」です。ししっ鼻は風の抵抗を少なくしてくれています。車内も内部の活動を考えてつくられています。出っ張るものも何もない。
ある英国人はフォルクスワーゲンのことをこういいました。「驚くべき簡素なデザイン」
米国のオーナーで、また違ったことをいう人もあります。「どうも、だんだん印象が変わってくるんですよ。はじめは、いままで見たこともない、ぶざまな奴だと思う。だがすぐ、その形が好きになる。しばらくたつと、ほかの車がみんなおかしく見えてくる」
VWは古さなんて気にしません。1950年と'61年のがっちり型、どちらがどうかを見分けるのはちょっと無理でしょう。これを変えるということは、オーナーに対して異端の罪を犯すことになります(だれも卵の完全な形を変えようとはしないでしょう?)
でも、私たちは目に見えないところでだんだん変えています。たとえばアンチ・スエイ・バーはカーブでの揺れをなくしくした。1959年以来、こんな改良は無数にあります。でも、基本的デザインには一切なし。
VWは不恰好でしょうか? あなたの見方にしだいです(それから乗ってる期間にも)。




Do you think the Volkswagen is homely?


The Volkswagen was designed from the inside out.
Every line is a result of function. The snub nose cuts down wind resistance. The body lines hug the interior workings. Nothing protrudes.
One Briton called the Volkswagen "a marvelous economy of design."
An American owner put it differently. lilt's funny," he said, "how she grows on you. At first you think she's the homeliest thing you ever saw. But pretty soon you get to love her shope. And after awhile, no other carlooks right."
The VW defies obsolescence. You can hardly tell the doughty shope of a 1950 model from a '61. To suggest altering it is heresy to owners. (Would you change the perfect form of on egg?)
But we are continually making changes you cannot see. Example: a new anti-sway bar eliminates sway on curves.
Over a hundred such changes since 1950, but never in the basic design.
Is the Volkswagen homely? If depends on how you look at it land how long).