創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

(380)キャロル・アン・ファインさんとの和気藹藹のインタビュー(2)

なにしろ、1966年秋---42年前の取材です。いくつかのことが大きく変化していましょう。まず、彼女ほどの練達コピーライターの収入です。3倍から5倍にはねあがっているはず。それから女性ライーター・ママさんライターの数。20倍---いや、50倍から100倍になっていましょう。フィリス・ロビンソン夫人が「名誉の伝堂」入りして以後---。そうそう、美形メリー・ウェルズ・ロレンス夫人も派手にマスコミの大話題になりましたからね。
というわけで、このインタビューは、女子大生向き、かも。


キャロル・アン・ファイン夫人
    ウェルズ・リッチ・グリーン社 取締役副社長・コピースーパバイザー(当時)


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母親であることは、コピーを書く上にも有利


chuukyuuアメリカにはママさんコピーライターがたくさんいるのですか?」
ファイン夫人「いると思います。確かではありませんけれど」
chuukyuu 「ほう---」
ファイン夫人 「どうしてそんなにたくさんのママさんコピーライターがいるのかと言いますと、多くの場合、彼女たちは若くしてコピーライターを志します。それから結婚するのですが、その頃までに多少の差はありますが、彼女たちは月2万ドル(720万円。1ドル=360円換算当時)ぐらい稼ぐようになっていますですから、出産の前後に会社を休むだけで仕事をつづけるのです。彼女たちの収入は普通の女の人のそれをはるかに上まわるものです。事実、私もたくさんの収入を得ています。そんなわけで、彼女たちは人を雇い、家の仕事、子どもの世話などをまかせるのです。そうして職場に復帰するのです」
chuukyuu 「母親であることで、コピーを書く上で何か役に立つことがありますか?」
ファイン夫人「子どもにはとてもすてきなものがあります。それは子ども特有のものの考え方で、私はよくそれをコピーに使うことがあります。
とにかく、子どものものの考え方は明解でストレートで、そこにはナンセンスなどまったくないのです。例えば彼らが太った女の人を見かけたとしましょう。彼らの口から出る言葉は、『おい見ろよ、あそこにすげえ太っちょ女がいる』とストレートそのもの、包みかくしたり言葉を濁したりしません。
すべてがとてもシンプルなものなのですからそんなわけで、まわりにいる子どもたちのものの考えかた、彼らの話を知ることだけでも私にとっては大きな収穫となるので。
もし私に子どもたちがするのと同じくらいシンプルに話しができたら、テレビを使って完全なコミュニケーションができると思います」
chuukyuu 「このオフィスやお家やその他いろいろなところからアイデアを得るわけですね」
ファイン夫人「あらゆるところから」


初めは作家になりたかったのだけれど---


chuukyuu 「この代理店でのあなたのタイトルは? いま扱っていらっしゃるアカウントは?」
ファイン夫人「タイトルは、コピー・スーパパイザーです。私の下に何人か働いています。この代理店には小さなグループがいくつかありますが、それはまだここが小さく、若く、成長期の代理店だからなのです。
いま私が扱っているアカウントは、化粧品のラブ、旅行かばんのサムソナイト、それにひげ剃りのペルソナです」
chuukyuuDDBには何年ぐらいいらっしゃいましたか?」
ファイン夫人「10年です」
chuukyuu「これまでのあなたの略歴を教えてください。どうしてコピーライターを志したかもまじえながら---」
ファイン夫人「私の歳は秘密にしておきましょう。私はシカゴで生まれました。そこで教育も受けましたが、大学を卒業する頃どうしてもシカゴが嫌になってニューヨークにでてきたのです。
はじめは太平洋岸のカルフォルニアにいったのですが、そこは私が求めていた町ではなかったのでニューヨークまで来てしまったのです。その頃の私は作家志望でした。作家になる才能もすこしはありましたし、2,3冊小説らしきものも書いていました。そんな時一人の男性にめぐりあい結婚しました。そして、仕事をやめてしまいました」
chuukyuu 「学生結婚ですか?」
ファイン夫人「そうじゃないんです。私が彼に出会ったのは、ちょうど彼が軍隊にいる時でした。
しばらくして、私たちはお金がなくなってしまったんです。それで私は、また働かなくてはならなくなりました。私はコピーを書くようになりました。
私はそれまでに一度だって、広告界で働こうという意志をもったことはありませんでしたよ」
chuukyuu 「偶然になのですね?」
ファイン夫人「まったくの偶然です。それも正真正銘の偶然によってです。私がツィフ・デイビスで働いたのはごく短い期間で、その後あちらこちらと職場を変えました。ほとんど1年か1年半でつぎの職場に移ったのですが、そのたびに仕事の質もよくなり、経験も積んで、よりよくコピーライターという職業について知るようになりました」
chuukyuu 「ということは同時に、あなたのものを書くという能力がより明らかになったことですね。でも書くという能力は、実際に書いたものを人に読んでもうことではじめてわかるものではないでしょうか?」
ファイン夫人「私には2つの才能がありました。一つはもちろん書くという才能でした。もう一つの才能は、静かに、じっくり腰をすえて考えることができるという才能でした。そのための訓練など受けたことはまったくありませんでしたが、問題にじっくり取り組むことはできました。ですから、コピーライターになるための教育を受けるようになってからは、この2つを同時に働かせることができるようになったのです」


DDBからはすべてを学んだ(>>明日につづく)




フィリス・ロビンソン夫人とのインタビュー
(12345678了)


ロール・パーカー夫人とのインタヴュー
(123456)

ポーラ・グリーン夫人とのインタビュー
(12345678了)
いわゆる「DDBルック」を語る
(12345678910了)


ジュディ・プロタス女史とのインタヴュー
(1234)

『メリー・ウェルズ物語』