創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(157) ロール・パーカー夫人とのインタヴュー(2)

ドイル・デーン・バーンバック社 副社長兼コピースーパバイザー

ライターを育てる広告代理店の雰囲気

chuukyuu「いちど、DDBを辞めて他の広告代理店へいらっしゃったことがありましたね?」
パーカー夫人「ええ。2年ばかり。ごく少人数ではあるけれど、ここを飛び出した人びとと同じように、もっとサラリーもほしかったし、肩書きにもあこがれちゃって---。当時もいまと同じように、DDBの、しかもクリエイティブ部門の人間だったら、だれもが放っておかないんです」
chuukyuu「DDBと他の広告代理店との雰囲気の違や、仕事のすすめ方の違いなど話してください」。
パーカー夫人「雰囲気---まさにそれなのよ、私がDDBへ戻ってきた理由は。他の広告代理はDDBから人を抜きたがります。彼らは、DDBの人が加わるだけで自分たちの作品がすばらしいものになると考えるからです。しかし、その人の才能を認めて仲間に加えたはずなのに、実際にはその人の才能はすこしも生かされないのです。彼らは従来のやり方を変えたがらないのです。彼らには、神聖にして犯すべからざるクリエイティブ・レビューボードというものがあるんです。
何か驚異的な広倍を望んだにもかかわらず、そういったものが提案されると尻ごみしてしまうんです。たとえば、DDBタイプのキャンペーンを提案すると、彼らは手を加えてみたりして、オリジナルとは似ても似つかぬものにしてしまうのです。
もちろん、今日すばらしい広告を生み出している若い代理店もいくつかあります。その中のウェルズ・リッチ・グリーン社やロイス・ホランド・カロウェイ社やジャック・ティンカー社などは、かつてDDBの一員であった人によって創設されたか、経営面などの重要な地位にそういった人を加えているかのどちらかです。こういった人びとは、自由 "permissiveness"---ある程度制限つきの自由 "controlled perrmissiveness" といったほうがいいかも知れまませんが---を大切にするというDDBのやり方をいまでも実行しています。これは、無鉄砲な仕事を意味しているのではありません。つまり、第一に自分がしていることをよく知り、それがわかったら与えられた範囲内で完全な自由を持つべきであるということです。
長い歴史を誇り、保守的な代理店がDDBの人びとを仲間に加え、そのの中で働かせるということは効果的なものではないようです。いま、私はJ・W・トンプソン社へ行ったロン・ローゼンフェルドさんがどうなるかかたずをのんで見守っています。ただ、この場合、"contrpolled permisiveness"はまかされていると思います。なぜって、J・W・トンプソン社は、新しいクリエイティブ部門の1つをすっかりローゼンフェルドさんに任せているからなのです。いいかえれば、このことはローゼンフェルドさんが新しく彼自身の代理店を発足せることと同じであり、その環境や人びとの仕事のやり方を決定するのは、彼以外の誰でもないからなのです。彼が大きな成功をおさめればいいなって思っているんてすよ」
chuukyuu「どんなに才能のあるコピーライターでも、雰囲気のよくない広告代理店にいると、よい広告はつくりえないとお考えですか?」
パーカー夫人「広告代理店の雰囲気というのは、才能についで2番目に大切なことだと思います。
寸能を十分に発揮できる環境にあってこ、その才能ですものね。この環境をマクルーハンがいう[メディア]にたとえることもできますね。もし[メディア]が敵愾心のあるものだったら、メッセージは伝わりませんもの。
バーンバックさんがやった最も意味のあることは、みんなが各自の才能を伸ばせるような環境をつくりあげたことでしょう。


(作品ギャリーになっている廊下。仲間の作品を見て負けまいとひそかに奮い立つ)


間違えないでほしいんだけど、あの人があの人の真似をするようにみんなに強制したという意味じゃないのよ。一定の枠の中での完全な自由を与えたのです。
あの人は、クリエイティブ部門の人間が、自分なりの方法で仕事をするのを認めています。現在、コピー・チーフやコピー・スーパバイザーになつている人たちも同じようにやっています。
DDBができて、もう20年になりますが、いまだにDDBの広告が新鮮さを保っている秘密は、これじゃないかと思うんです。
DDBは、もはや若い代理店とは言えません。、尊敬するに十分な中年の広告代理店です。『現在のDDBは、昔のように革新的で、伝統をぶち破る新鮮さがなくなった』っていう人もいます。しかし、20年経ったにしては、かなりフレッシュだと、私は思うの。それに私たちは、DDBのタネを広告界にまき、ウェルズ・リッチ・グリーン社のようなイメージ・ブレーカーの新しい世代を産みだしたということで、十分役割を果たしています」
chuukyuu「コピーライターにとって、よい雰囲気をもった広告代理店とは、どういう会社のことか、だいたいわかりました。制限つきの自由のほかに、なにかあるとすれば---?」
パーカー夫人「サラリーね。それと地位、肩書きを与えることも必要わ。
昔のDDBは、サラリーがすごく安かったのよ。というのは、たくさんの人がDDBで働きたがったでしょう。で、DDBが好きでくるんだからということで、サラリーが安かったの。それでもDDBがいいって人にだけにいてもらう主義でした。ほんとよ、食べていくのがやっとってほどの、ギリギリのサラリーだったわ(笑)。 サラリーを下げてDDBへ移ってきた人もいたわよ。
こういった点で、私たちはかならずしも正しいことばかりしてきたわけではありません。初めの頃、DDBは、人をひきつけるというイメージを悪用していました。ここで働きたいといって来る人がたくさんいたので、『こいつはすごい、安い給料しかもらえないことを知っているのに、まだここで働きたがる人がいる』って思ったのです。
でも、これはしばしば悪い結果を生みました。高い給料を振りきってここにやってきた人たちなのですが、一度DDBに落ちつくと、今度は安い給料に不満を持ちはじめたからなのです。同時に、あいかわらず外からのDDB崇拝者が後をたなかったたのです。今でも、DDBの2倍の給料でほかに引き抜かれていく人があとを断ちません。
これが問題になって、改善されて、現在では、ほかと同じぐらい、そう、平均なみになりました。昔ほど悪くはないというところまで、やっときたって感じ---。
でも、DDBの人たちは、給料の良しあしと[雰囲気]とは別ものだって考えていますよ。
そうそう、米国では、日本のように会社持ちの接待費や海外視察費用なんかも支給されていないこともつけ加えておかなきゃ」


>>つづく