創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(275)DDBが選んだDDB ・・・【DDB紹介[終末宣言]】(4)

インタヴューの難物・・・・・この人は、テープ・レコーダが嫌いときているので、手こずった経験がある。いまなら、デジタル・ボイスレコーダを胸ポケットにして、気どらせないで記録できるのだろうが。とにかく、気むずかし屋さんなのだ。このインタヴューでも、自分の好きな作品の一つに、40年も前のモノクロ・アニメのユニロイヤル・タイヤ「雨の日のタイヤ」をあげているんだから。水の精・竜のような怪獣がタイヤにまとわりついて妨害をするが、ユニロイヤルは平然と走行をつづけるといったもの。手持ちしていたけれど、畏友の収集家・金子秀之さんに進呈したような。ライダー氏が語ったアウディ5000・・・・・・やっと探しあてたが、訳したり、英文をOCRしている時間がなかった。このコラム、この1日分だけでも、たっぷり5時間かけているので。

「貴重な資料が次代に残せる」 「勇気が出てきた」 「いや、渡る世間は鬼ばかり 「DDBでもクライアントと戦って通しているんだ」とお感じになったら、星マークの添付 ☆クリック→ を、田園地帯の夜空の満天の星の数★★★★★★★★★ほど、お忘れなく。これだけがつづける励みなんですから。


>>DDB紹介[終末宣言]クリエイターインタビュー集目次


「広告が固定した公式になった時、それは新たな:革命の時だ」

シニアVP兼クリエイティブ・マネジャー 前コピーチーフ兼アソシウイト・クリエイティブ・ディレクター
                ダヴィッド・ライダー DAVID REIDER 


:DDBで何年ライターをやっていますか?

ライダー:25年です。


:広告のライターがそんなに長く務まる秘訣は?

ライダー:ずいぶん昔のことですが、ひとつの教訓を学んだのです。
他の人たちがジグしている時は、サグすべき時だって。
クリエイティブ・ビジネスにこんなに長くいられるのは、ひとつにあの教訓があるが故でしょうな。

広告で効果的であろうとすれば、固定していてはだめです。
昨日の革命は今日の体制となり、そして明日の反動ともなるのです。


:変わらないものはありますか?

ライダー:2,3の基本的な価値でしょう。
たとえば、フレッシュさの必要・・・・・・そう、つまり変化です。事実はもちろんフィーリングも表現も大切。信憑性のあること。
それが私の言う基本です。
「広告で成功する30のルール」に賛成する人には、私は反対です。広告がどんな部分にしろ固定した公式になってしまったら、それは新たな革命が必要な時なんです。


:今日、革命的であろうとすれば、どうあればいいのでしょう?

ライダー:そう・・・・・・信憑性の問題との対しかたでしょう。今日それが最も難しい問題のひつだと私は思います。アメリカ人が今ほど多くの物・・・・・・とりわけ広告・・・・・・に懐疑的になったのは例のないことです。
今ほど広告が真実に満ちていることはないのが皮肉ですが。TVでするほとんどすべての主張にも証拠を示さねばならないのです
政治家がそれをやったらどうなりますか!
この間題に対処するには、すばらしい技術と芸術的手腕が必要です。いかにクリエイティブ(創造的)であっても、視聴者あるいは読者が広告を信じなければ、すべては娯楽にしかすぎません。



:特定の例をあげてくれませんか?

ライダー:信憑性のあるもの? それともない方?


:ある方です。

ライダー:アウディ5000のキャンペーンを例にとりましょう。
とても難しい問題があったのです。以前は安い車で認められていたメーカーから出された基本価格$9000のラグジャリ一・セダンを発売することです。正直にいって、合衆国でのアウディの評判はヨーロッパほど確立していませんでした。

私たち(クライアント、アカウント・グループ、そしてクリエーティブ・チーム)が5000を分析してみても、何ひとつ際立ったドラマチックな特徴はないわけです・・・・・いろんな点ですばらしい車であることは間違いありませんでしたが。

でもこの車のユニークさは、ドイツのすぐれたエンジニアリングにあることが少しずつわかってきました。
しかしそれをおもしろく、かつ信憑性がある話に仕上げるのはたいへんです。
そこでへルムート・クローンと私は。この車を実際にデザインしたアウディのエンジニア以外に話上手に告げれる人はいないという結論に達しました。

私たちはインタビュー形式を用いて,アウディのエンジニアに直接、率直に語ってもらいました・・・・・しかし,まあ幾分ドイツ風になりましたがね! 
ビジュアル的には、「直接的に」ならないように気をつかいました。
とても成功しましたよ。ひとつひとつの広告でかなりの硬いエンジニアリングの情報を入れたのに、かなりの精読率をあげました。
雑誌最高という例もかなりありました。このキャンペーンは合衆国内でアウディの進んだエンジニアリングを認めてもらうための地ならし的なもので、このクラスで車を売るにはそれが必要だったのです。それが局面?゛です。


:局面?では?

ライダー:この時点で、ユニークな機会が出現しました。
もちろん私たちはこの機会をすかさずとらえましたよ。アウディ5000のロード・テスト結果が『ロード&トラック・カー&ドライバー』誌といった権威あるスポーツカー誌に載ったのです。
この批評でアウディのエンジニアがアウディ5000について語ったすべてが肯定されたわけで、私たちはすぐさまそれを広告で使い、一般の注意をひきました。
このキャンペーン以来アートディレクターはボブ・タッカーです。


:アウディ5000の売れゆきはどうですか?

ライダー:市場最高のホットな車のひとつになりました。(1979年)2月の売り上げ台数は昨年同月の54%増です。

それも信憑性のおかげなんですよ!



新しい、大型のアウディ5000の発表です。
この技術者たちが強力なエンジンを設計したんです。




ぼくは、航空機のコックピットをイメージしながら
アウディ5000のインテリアをデザインしましたよ。


>>DDB紹介[終末宣言]クリエイターインタビュー集目次


関連記事:
>>ダヴィッド・ライダー氏とのインタヴュー (