創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(247)『メリー・ウェルズ物語』(22)


ラヴが発売されることになっていた年の秋、ぼくはニューヨークに滞在していた。当時、それがきまりみたいになっていた年2回(春・秋)のぼくの休暇のパターンだった。ニューヨークに滞在していても、昼間はDDBやPKL、WRGを訪問取材するだけで、夜は劇場や酒場に行くわけではなく、ホテルで資料の整理をしているか、パーカー夫人(DDBの副社長兼コピースーパバイザー)が催してくれるホーム・パーティに顔をだすかであった。そんな時、WRGが化粧品を扱う---製品名も容器のデザインもWRGがディレクティンクしているとのうわさを聞いた。発売日まで滞在できなかったので、ニューヨーク在住のOさんに観察を頼んで帰国したものである。 (この章の入力には、女性対象の製品なので、アド・エンジニアーズの有能な女性デザイナーたち---H.英子さん、O.歌織さん、K.明子さんのお力を借りています。感謝)

第8章 化粧品は「ラヴ」の2文字(1)

▼40女のラヴ


1968年の暮れ---。
かぜ薬市場の35%をおさえているコンタックのメンリー&ジェームス(Menley & James Laboratories 略称=メンJ。スミス・クライン&フレンチ社の一部門)が化粧品分野に進出するらしい---という噂が流れはじめた。
つづいてのメンJの化粧品開発計画を推進しているのはメリー・ウェルズ---という噂が流れはじめた。
そういわれてみると、ここのところメリーもウェルズ・リッチ・グリーン(WRG)広告代理店も沈黙を守っていた(TWA航空を引き受けた同年の8月から、メリーは公的会合にはほとんど姿を見せなくなっていた)。
派手好みで上流階級の集まりやテレビのインタビューには顔を出したがるメリーの性格を知っているマジソン街の人びとは「これには何かがありそうだ」と考えはじめた。
しばらくして人びとは、メンJが新しく発売するのは女性用化粧品「ラヴ」であり、その名付け親はメリーだと知らされた。(>>"Love Cosmetics" from Wikipedia)
噂はやっぱり事実だったのである。しかし、人びとは噂が事実だったこと以上に、その化粧品の「ラヴ」というネーミングの大胆さに驚いてしまった。
ラヴ」とはもちろん”LOVE"のことで、愛情、性愛の意味だが、当時、ヒッピーたちの間で性交を暗示する言葉として”Make Love”という文句が盛んに使われ、「ラヴ」はやや肉体的なイメージをもった語になっていたのである。
したがって、ヒッピーに代表される若者たちのすることに反感を抱いていたマジソン街の老人たちは、またもや眉をひそめてメリーを攻撃しはじめた。
「40女が『ラヴ』って言葉を口にすれば、これはもう、未練以外の何ものでもないね」
「メリーには旦那のハーディング・ロレンスのほかに、若い恋人でもできたんじゃないのか?」

▼男性器を暗示する容器


老人たちが「ラブ」という商品名に驚いているうちはまだよかったといえよう。
実際に商品のサンプルを手にした時のみんなの驚きといったらなかった。それは明らかに男性器をシンボライズしたとわかるパッケージ・デザインをしていたのである。
つまり「ラブ」そのものの表現化だった。
老人たちは「ああ」といったきり頭をかかえこんでしまった。
二の句がつげない・・・という方がこの場合にぴったりだった。
それでもそこは陰険と老獪さの権化のような人たちである。
気をとりなおすと妙案を考えついた。
すなわち、メリーの計画を白日のもとにさらして、保守的な世論の集中砲火をあびせようというアイデアである。
彼らは、まず広告業界誌の記者たちをそそのかして、メリーを取材させることにした。
問「『ラヴ』という商品名は、あまりに今日的すぎませんか?」
[:W80]メリー「そうは思いません。『ラヴ』という言葉は、女性にとって永遠の課題であり、生きる目標です。もちろん、『ラヴ』のスタイルは、時代とともに変わっていきます。
あなたがおっしゃった今日的な『ラヴ』のスタイルについて申しあげれば、より自由に、より自然に、そしてより偽りがなく、よりおおっぴらになっているということです。
メンJは、そういう化粧品をつくります。しかし、1980年には、いまと違った『ラヴ』のスタイルが生まれているでしょう。そうしたら、私たちはその時代にぴったりした商品をつくればいいのです。その時でも『ラヴ』という言葉はすばらしい言葉であるはずです」
メリーは話している間じゅう、男性器に似せてつくられた容器をいじくりまわしていました。
彼女のほっそりした指のしなやかな動きは、まるで寝室でそれを愛撫しているかのようにソフトで優雅であった。
記者たちは、ちょっと顔を赤らめながら質問した。
問「そのパッケージを手にした時、客である女性はひるまないでしょうかね?」
メリー「あら、どうしてですの?」
メリーは大きな瞳をぱっちり見開いてさも驚いたというような表情で記者たちに聞きかえした。
記者たちはドギマギして「つまり、その、なんです。あまりに似すぎているもんで・・・」と口ごもった。
メリーは、すぐに魅惑的な笑顔にかえると「しゃれているでしょう? テストの結果、若い女性たちは、しゃれているばかりか、際立っているといって支持してくれたのですよ」と言い切った。
問「で、発売の時期は?」
メリー「そうですね。春のファッションの発表時期にあわせることになりましょうね」
老人たちの陰謀は、みごとに失敗してしまった。
またしても業界誌の記事はメリーのお先棒をかつぐ結果になってしまったのである。
たとえば、業界で最も多くの読者をもっている『アド・エージ』誌の見出しは「メリーにとって化粧品とは『ラブ』の二文字」(1969年1月27日号)となって現れている。

▼新しい銘柄を創造しよう


メンJの社長ピーター・ゴッドフレー(Peter Godfrey)が化粧品業界への進出案をもってメリーを訪ねたのは、1968年の4月であった。
ゴッドフレー社長は、化粧品業界がさほど技術的熟練を要しない業界であること、たとえばほんとうの意味での新製品といえるものはほとんどなく、香料とパッケージの改良ですんでいるのが実態であり、さらにコンタックのような一般に市販することを許されている薬品の伸びは年間6%であるのに、化粧品は12%と成長性が高いこと、しかもドラッグストアでの伸びが大きく、そのドラッグストアに対するメンJの販売力はコンタックなどを通じて完備している---といった点をあげて、メリーに協力を求めたのである。
たしかにアメリカの化粧品業界は「はいりやすい」分野である。
景気が下降している時代でも化粧品の売り上げは伸びてきた実績があり、それだけ消費者のほうも銘柄に対する執着心があまり強くなく、目新しい商品が現れると簡単に手を伸ばす傾向があるといえる。
それだけ広告が効果をあげるともいえるわけで、そのためにぜひともメリーの才能を借りたい・・・というのが、ゴッドフレー社長の考えであった。
彼はメリーに言った。
「それで、実際に化粧品を手がけるということになると、どこかの化粧品会社を買収することになりますが、どの銘柄を手に入れればよいか、それについてもあなたのお知恵をお借りしたいわけです」
「ゴッドフレーさん。お話はよくわかりました。もちろん、喜んでお手伝いいたします。
しかし、それには二つの条件があります。
その一つは、既存の銘柄を買おうなんてお考えをお捨てになって、メンJ自身の新しい銘柄名を創造なさるとお約束いただきたいのです。
理由は簡単です。この10年間の市場で生まれたものよりも、今日のマーケット向けに考えられたもののほうが価値があり、今日の消費者に受け入れられるからです。もちろん、古い有名銘柄のほうが成功する業種もあります。
しかし、化粧品という商品は違います。この市場の中心になっているのは18歳から25歳の女性です。
消費者は年々新しく誕生しているのです。新しい消費者には新しい商品を供給すべきですわ」
「なるほど。で、二つめの条件は?」
「新しくつくられる製品の銘柄のネーミングからパッケージング、製品特性まで、私たちに参加させていただきたいのです。私たちは、新しい消費者の好みや欲求を知っています。彼女たちの考えを理解しています」
このメリーの申し出は、ゴッドフレー社長を喜ばせた。メリーが製品化計画にまで手をそめてくれるというのだから、願ったりかなったりであった。


続く >>
敬称略。