(249)『メリー・ウェルズ物語』(24)
[:W120]映画『ある愛の詩』(1969)で一躍スターダムにのしあがったアリ・マッグロー(写真)が、メリー・ウェルズによって1970年のラヴ女性の一人に選ばれ[ラヴ・ソフトアイズ]のTV-CMに出演、圧倒的な人気を博したのは、今日のテキストのあとの秘話である。アリ・マッグローにとどまらない。『白銀のレーサー』(1969)に主演したキャミラ・スパーグがラヴ口紅のために、そして『ドクトル・ジバゴ』(1965)で好演したジェラルディン・チャップリンも。(この章の入力には、女性対象の製品なので、アド・エンジニアーズの有能な女性デザイナーたち---H.英子さん、O.歌織さん、K.明子さんのお力を借りています。感謝)
第8章 化粧品は「ラヴ」の2文字(3)
▼世界は若がえっている
市場調査の結果を手にしたメリーは、メンJのゴッドフレー社長、マーケティング担当のサミュエル・ルロン・ミラー副社長、広告担当のウィリアム・ホー副社長を前にしてこう主張した。
「レブロン、エリザベス・アーデン、ヘレナ・ルビンスタインといった従来の化粧品メーカーは、ここ何年もの間、断片的なキャンペーンをくりかえしてきています。
これは、これらの会社にとっては宿命的ともいえるやり方です。だって、時とともに世界は若がえり、そして若い人たちが望むものには変化が起こっているのです。
しかも、古い会社は600種の商品のために600種の広告をつくらねばならないのです。
若い消費者に受け入れられるのはそのうちの10種ぐらいなのに---。
つまり、申しあげたいのはこういうことです。『ラヴ』はほんとうに売れる数種類だけをつくるべきです。
もちろん、20種、30種の商品ラインをつくっても最初は売れましょう。
しかし、名前、パッケージよりももっと大切なものは、製品の品質そのものです。
他社のものよりもすぐれていないものは商品ラインから除くべきです。今の若い人たちは塗りたくったメークアップを好みません。
[:W120]彼女たちはあっさりした化粧と健康的な匂いを望んでいます」(写真:ジェラルディン・チャップリン チャーリー・チャップリンと4番目の夫人の長女)
メリーの忠告を素直に受け入れたメンJ側は、企画部門にそのまま伝えた。
つまり、メリーは製品計画にまで手を貸したのである。
それは、ジェット機の胴体をパステル・カラーに塗ったり、TWA航空の従業員の士気を高めるために100万ドルのボーナス支給のアイデアを考えたりする以上に、企業のマーケティング、マーチャンダイジングに深く関係することであった。
ということは、従来の広告代理店のサービス機能より1歩も2歩も進んだ経営法でもあるわけだ。
また逆に言えば、1度商品化計画を失敗すると、広告代理店としては命取りにもなりかねないほど危険な道でもあった。
もちろん、WRGの場合は、成功する自信があったからこそその仕事を引き受けたのだし、依頼する企業の側でも、メリー・ウェルズ以下のスタッフの才能とアイデアを期待したからこそまかせたのである。
従来のありきたりで凡庸な広告代理店の経営者たちには、メリーの自信がシャクの種であった。
メリーが失敗する姿をなんとかして見たいものだと思っていた。
そこで彼らはありとあらゆる悪評を『ラヴ』に対してまき散らしはじめた。
そのことについて、メリー自身がはっきりと語っている。
「この業界では、みんな誰かが失敗するのを見たくて仕方がないんです。そして、『ラヴ』について悪口の量は、信じられないほどだったんですよ。」
そうした中でただ1人、デラ・フェミナ・トラビサノ&パートナーズ代理店のジェリー・デラ・フェミナ社長だけは自著で正直にこう書いている。
[:W120]「体制派の代理店にメリー・ウェルズがやったラヴ化粧品のようなコマーシャルをつくることができると思うか? とても聡明なコマーシャルだ。パッケージもたいしたものだ。若者はその容器が気に入ってローションがなくなっても残しておく。この広告やコマーシャルに出演した若者たちはヒッピー・スタイルをしている。あるコマーシャルでは男性のほうが共演の女性よりも長い髪をしていた。彼の髪は長くてすばらしいので、女性よりも彼のほうにみとれてしまうほどだ。彼らはラヴ意識が強く、ラヴ中心である。
ラヴ化粧品は気違いのように売れており、需要の速さに供給が追いついていかないほどだ」(デラ・フェミナ著 西尾忠久・栗原純子訳『広告界の殺し屋たち』誠文堂新光社)
「需要の速さに供給が追いつかなかった」時期が「ラヴ」発売1年目の1969年にあったのである。
つまり、品不足だ。ドラッグストアから「ラヴ」が消えてしまったのである。
ゴッドフレー社長は「発売3日目に在庫が底をついた」と告白している。
その時だったのである。悪意ある悪評が立ったのは・・・
▼メリー、ついに完敗か?
「ラヴ」は予定よりも1ヶ月遅れて、1969年3月中旬に市場に導入された。
そしてメンJのピーター・ゴッドフレー社長が告白しているように「発売3日目に在庫が底をついて」しまった。
ドラッグストアからは「ラヴを送れ」という注文が殺到し、消費者からは「あたしのラブはどこで買えるの?」といった電話がかかりっぱなしであった。
大いに自信を得たメンJ側は、メリー・ウェルズの反対を押しきって広告費の縮小を断行した。
こんなに人気がありこれほど生産が間に合わないのに、さらに広告で消費者をあおるのは考えものだという意見がメンJ側に広がったのである。
よくある話である。
そしてこの種の案件の結果は、いつもよくない。
「ラヴ」にも同じ結果がもたらされた。
夏ごろから販売が落ちはじめたのである。メンJはあわててメリーのところへ泣きついた。
その頃、ニューヨークにはこんな噂が広がっていた。
「おい、ついにメリー・ウェルズが完敗だってさ」
「メンJは『ラヴ』の生産を中止するってさ。1,000万ドルの損害だっていうぜ!」
だいたいこうした噂はテレビ局や雑誌社の広告部から始まっていく。
広告主が番組をおりたり広告の掲載を中止したりするのを、いちばん初めに知るのは彼らだからである。
彼らは広告主がテレビ・コマーシャルを止めたのはフトコロ具合がよくないからだときめつけて
「あの会社には気をつけたほうがいいって銀行からいわれたよ」
といった噂を何くわぬ顔でばらまき始める。
もちろん、それが真実の場合も多いであろう。
しかし『ラヴ』のように生産が間に合わなくて広告費を削減したようなケースでも、彼らは容赦なく「メンJがおかしくなったらしいよ」と話しあうのである。
噂が噂を呼び、話に尾ヒレがつきはじめると、もう手がつけられない。当時者が打ち消せば打ち消すほど、人々は噂を信じる。
そして、ドラッグストアの店主たちの耳にもこの噂がはいり、彼らは仕入れをひかえはじめる。生産中止になるかもしれない商品をかかえこんでいてはつまらないからである。
▼化粧品の広告効果は週単位
メンJ側のマーケテイィング担当のサミュエル・ルロン・ミラー副社長、広告担当のウィリアム・ホー副社長に向かってメリーはこう言った。
「やってしまたことはとやかく言ってもはじまりません。
それよりもこんどの反撃期を機会に、『ラヴ』をドラッグストアだけでなく百貨店でも売るようにしましょう。
私たちの会社の調査部がドラッグストアの店主たちを調査したところ、彼らは『ラブ』が百貨店でも売られればプレステージとイメージが高まると答えています。
もちろん、ドラッグストアを販売の中核にすることには変わりありません」
ミラー副社長とホー副社長は、結局、メリーの提案をのんだ。つづいてメリーは言った。
「すぐに広告を再開しましょう。効果は目に見えて現れるはずです。航空会社や自動車の広告だと広告効果は1年単位でなければわかりません。しかし、化粧品の広告効果は週単位で読み取れます」
メリーのいうとおりであった。
広告を再開してみると『ラヴ』のどの製品も販売力を取り戻した。
死んでしまった商品は一つもなかった。
百貨店での販売は、まずカナダから始められた。
ただ商品を並べておいて客の方から商品に近づいてきてくれるのを待つドラッグストアの販売方法と、説明員をつけて実演販売をしていく百貨店での売り方とは明らかに違う。そこでカナダでテストしてみたわけである。
こうした努力の甲斐あって、1969年の「ラヴ」の販売実績は、当初の予想を100万ドル下回る900万ドル(32億4,000万円)に落ち着いた。
使われた広告費と販売開拓も900万ドルで、赤字は600万ドルを計上したといわれている。
もっともこの赤字の600万ドルは予定どおりの額であったということである。
そして、1972年には、30%増の1,200万ドルの売り上げを予想して、商品群も2、3点追加された。
もちろん、それでも赤字はつづき、1972年に5,000万ドルの販売高に達して、はじめて黒字に転化する予定だというから、遠大な計画である。
年間販売高が5,000万ドル(180億円)といえば、押しも押されぬ地位を化粧品業界に築いたことになるわけで、その時こそメリーの手腕が賞賛される時であろう。
続く >>
敬称略