創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(407)バーンバックさん、25周年を語る(1)


DDBは、1974年6月1日に創業25周年を祝いました。

そのクリエイティブ・パワーの凄さと、豊富に育ったクリエイターたちは、米国マジソン街---いや、世界中の広告界の羨望の的であり、目標の一等☆になっていました。

DDBが創り出すキャンペーンの新しさ、衝撃力、アートの質の高さ、販売力は「クリエイティブ革命」とさえ呼ばれました。

アド・エイジ』誌は「20世紀、最高の広告人』の称号を贈っています。

1974年6月号『DDB News』で、バーンバックさん(右:似顔絵)が25年間を、静かに振り返りました。




:ドイルさん、デーンさんのお3人で創業なさったこの代理店が、うまく行きそうだと思えてきたのは、いつごろですか?


バーンバック:そうですね。私たちは、3人が寄ればうまく行くと堅く信じて始めましたから、創業の相談をしている段階で、お互いにわかっていたと思いますよ。


: なるほど。バーンバックさんは、グレイ社のころからオーバックス(廉価衣類主体のニューヨークのデパート)を手がけていらっしゃったのですから、うまく行く確信がおありだったのでしょうね。

驚いても、あなたの目は、決して、あなたのお財布より大きくはなりません。
(1954)


バーンバック:はい、ミスター・オーバックは、私に創造の完全な自由を与えてくれましたからね。 でも、ほかのクライアントがつづい来てくれるという保証はなにもなかったのです。
私たちの創業を報じてくれた業界紙は、広告代理店を新しく始動するのには不適切な時期だと社説で警告していました。 たしかに、同じころに創業した広告代理店のいくつかは、生き残っていませんからね。


:創業するには、いま以上に難しい時期だったのですね?


バーンバック:その通りです。 いまは、多くの新しい代理店が創業していますが、当時は、そうではありませんでしたから。


: 新しく広告代理店を始めるのは、現在でも依然として難しい時期がつづいていると?


バーンバック:そうです。私たちが創業したのは、クリエイティブの力を示そうということでした。そんな考えで独立した広告代理店は、当時は、ありませんでした。 クリエイティブの力で衝撃的な広告をつくるというのが、私たちの信念でした。そう、このことを実現することが目標でした。
幸いなことに、あのころは、競争相手がいませんでした。 テレビは始まったばかりで、人びとは、まだ読む時間を持っていました。
しかし、まもなくメディアが多様化し、消費者の注意の奪い合いになることは、私たちにはわかっていました。そして、広告メッセージが新鮮な方法で表現されていなければ、人びとが見てくれないようになると。
そうなんです、広告は、これまでなかった新しさを持ち、新鮮でなければなりません、昔ながらのやり方では、気づいてくれません。 これが、私たちが始めたときの、私たちの基本的な考えでした。そしてそれは、今でも変わることのない私たちの哲学です。
新しくて新鮮な訴え方をすることが、私たちの哲学なんです。古臭い公式にしたがって---なんてことは、かけらもありません。
現在、新鮮で何か新しいもの生み出すということは、容易ではありませんよ。 しかし、それが私たちの目標であれば、みんな、そうするにやぶさかではないでしょう。


:創業当時にもどって、お聞きします。コピーライターのフィリス・ロビンソンさんとアートディレクターのボブ・ゲイジさんは、バーンバックさんといっしょに、グレイ代理店からDDBへきたのでしたね?


バーンバック:そうですが、ボブ・ゲイジは、若いアートディレクターとして、すばらいしい才能をもっていることを見抜いて、ほかの代理店からグレイに、私が入れたのです。それで、彼を、それまでの著名なアートディレクター---ポール・ランドやネイツチ Neitsche に代えて起用しました。そんなこともあって、こんど、新しい広告代理店を立ちあげるのだが、と言うと、うれしいことに、いっしょに行きますと答えてくれたのです。
フィリスは、グレイの販促部門にいました。彼女が書いた小冊子のいくつかを見て私は、彼女がこの国のコピーライターよりはるかにいい素質をもっているとわかりました。そこで、ボブに言ったことと同じことを告げたら、いっしょ行きますとの答えが返ってきたのです。


:才能の発見の成功物語ですね。マジソン街中に、誇らかにお話になっていいエピソードです。


バーンバック:そう、誇らかに---。広告業界をみわたしても、この成功例に似た例は、まず、ありませんからね。
それとね、私がうれしいのは、DDBで育って、一度は外にでて行ったクリエイティブのスターたちが、やっぱり戻ってきたくれていることです。彼らが戻ってくる理由というのが、私たちが、注意深く、注意深く保ってきたDDBのクリエイティブ部門の雰囲気のよさにあるようなんですよ。


>>(2)


創業30周年時のバーンバックさんの記念インタヴューは、
人を切れるのは、事実に生命を吹きこむことのできる芸術的な才能です」←クリック