創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(205)ビル・バーンバック氏のTV-CM論

『繁栄を確約する広告代理店---DDB』(ブレーン・ブックス 誠文堂新光社 1966.10.1)に埋め草のように掲載した小文。このエッセイが書かれたころ、米国では、テレビCMづくりに、ハリウッドからこぼれてきた技術者がCM制作に従事しており、表現に凝ってCMしている製品の販売が軽視されていたことに対する警鐘の意味があった。

こぼれ話

1955年4月1日号『プリンターズ・インク』誌に「印刷広告でも、テレビでも、よい広告をつくるのは、よいアイデアだ」と題したバーンバック社長のエッセイが載っていました。1955年にはDDBにはまだテレビ制作部はなく、同部長トレバー副社長が1957年に入社した時、バーンバック社長は「自分もテレビのことは知らない」と言ったといいますから、このエッセイはおかしななことになりますが、読んでみると「知らないはずはない」と思えるほど、核心をついた文章になっています。
ということは、「知らない」のではなくて、「実際には書かない」が指導はするというのが実情と想像できるということです。


エッセイでバーンバック氏は、「人の心に及ぼす力は、読むと聴くとの間には」越えがたい溝はなく、「見る」と「聴く」は「相関した感覚であり、この2つは切りはなせない。読む場合には、すべての感覚が動員される。見るときにも、すべての感覚が動員される」という前提に立って、話をすすめ、「広告原則の実地応用」の章で、つぎのように述べています。
「ぬかりなく作られた広告原則をいくつか考えてみよう。そしてこの原則が印刷による伝達法にも、電子による伝達法にも同様に応用できるかどうかを確かめてみよう。


1.人物や製品をできるだけ真実らしく扱う。ただ何かの絵というのではなく、実物そのものに扱う。
この簡単な教えを守っている印刷広告のなかには最も効果的なのが多い。また、最も効果的いわれているテレビ番組でも、テレビ・コマシャルでも、この教えを守っているものが多い。テレビの画面は比較的せまいから、 どちらかといえば、印刷広告よりもテレビ広告の場合に、この教えがより重要といえる。


2. 広告する製品の本質に触れよ。広告する製品の利点をわかりやすい簡潔な言葉で述べ、この利点をまざまざと明白に、おぼえやすくあらわせ。
これは印刷広告の基礎原則だ。ところが言われる割に実行されていない。
しかし、この原則は印刷広告でよりも、テレビの場合の方がもっと重要だとはいえないだろうか? なんといっても、印刷広告ならば、読みかえそうと思えば何度でも読みかえせる。ところがテレビのコマーシャルの場合は、いったんすんでしまったら読みかえすことも聞きなおすこともできないのだから---。


3. 商品は出来るだけ小道具扱いにしないで、主役にせよ。
これは単品をおぼえさせるテクニックとして非常に有効である。なぜなら、広告のなかの刺激的な要素は、すなわち製品を売る要素なんだから---。 ここで訓練されたクリエイティビティが必要になる。これは印刷媒体よりもテレビの方でもっと力強く応用できるのではないだろうか。


4. 巧妙に表現すれば、製品には持ちまえの面白さがある。
商品は人の興味をひくという事実を軽視したり忘れたりする傾向があるのは悲しむべきことだ。製品そのものが人の注意をひく最良の手段となることが多い。また最良の手段であることが多い。注意をひくためにワザワザ赤ん坊や犬をつかう必要はない。印刷でもテレビでも、人はよいものを好む。製品を美しく見せれば人はそれを自分のものにしたいと思う。
おかしいことには、広告人はクライアントの『商品を見せよ』という注文に悩んできたところが、商品を隠して売ろうとするセールマンに、私はまだお目にかかったことがない。たしかにテレビで巧妙に商品を見せる手法はあるにはあるが、この手法が開拓されつくしたとはいえない。そして、今用いられている手法以外に新しい手法はまだ生まれていない。
私はこう信じている---もしも技術者がそれを技術的に解決せずにいられないほどのすばらしいアイデアを、やってできぬことのないクリエイティプ・マンが考えだしたら、こうした新手法が早く利用できるようになると---。


5.広告には物理的な視覚中心がある。これは支配的な一つの大きい部分であって、そのスペースを分割し、読む気を殺ぐたくさんの小さい部分ではない。
この原則はそのままテレビに当てはまるだろう。以上の他にも、印刷にもテレビにも共通する原則はある(多くはない、というのは、広告の作成には他のアートと同じく、ごく数少ない単純な前提しかいらないから)。 しかし、要点はむつかしくない---。肝心なのはアイデアだ!」
(訳文は『広告と販売』第12号・松本善之助氏による)


エッセイは、DDBの広告表現に対する具体的な考え方を知るのに、たいへん重要な小文だと思われます。これ以後、 このようにハッキリした形では、発言されたことはありません。ということは、バーンバツク社長の頭の中に、あまり細かく規定しすぎることは、かえって空想力、創作力を弱めるといった考えがひらめいているのかも知れません。現在のDDBのクリエイティブ部門は、もっとバラエティに富んだ個性を保有しているのですから。


関連記事:
ウィリアム・バーンバック氏とのインタビュー/スピーチ
>>「DDBの環境を語る」
>>「広告の書き方を語る」
>>「広告はアートである」
>>「よい広告をつくるのは、よいアイデアだ!」
>>「クリエイティブの核心」