創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(431)バーンバック学校の生徒たちの賛辞

        『DDB NEWS 1974年8月号より


DDB NEWS』のバックナンバーが、30〜40年前10年分70冊ほど、資料庫の隅から出てきたことは、すでにお報せしました。
その中の記事から、このまま埋もらせてしまうには惜しい---時代の記録として残しておきたい記事を選んで、アップすることにしています。
最も速く手をつけたのは、これまで掲出した数百点の広告作品にクリエイター名のクレジットをつける作業です。過去記事にちらほらとつけられているクレジットがそれです。後進の方が、広告の「黄金の10年]を研究なさる時の「道しるぺ」の一つのつもりです。
こんな資料、DDBでも読み返す人は、まあ、いないでしょうし、日本で保有しているのもぼく一人きりだろうから、世界でも珍なるブログになりつつあるようです。
まあ、いくら「珍」でも、今日、話題にならなければ、古文書入りですが---。




バーンバックさんへの賛辞


「広告革命の実践者---バーンバックとともに25年」というのが、『アド・エイジ』誌がアメリカン・ホテルで催した、400人を超える参加者によるワーク・ショプのタイトルであった。サブタイトルは、広告の顔つきとそのあり方を変貌させた創造性」。


タイトルを証拠づけるように、DDBのクリエイティブ部門の巨頭---ボブ・ゲイジ氏とボブ・レブンソン氏が印刷媒体に掲載広告された広告群をスライドで映し、40本ものコマーシャル・フィルム(ほとんどが古典となっている秀作)を映写した。



つぎに、DDBの卒業生を代表する形で、レン・シローイッツ氏とロン・ローゼンフェルド氏が祝辞を述べた。(レンは、DDBからニューヨーク・アートディレクターズ・クラブの「名誉の殿堂入り」した4人のアートデイレクターの中の1人である---あとの3人はボブ・ゲイジ、ヘルムート・クローン、ビル・トウビン---このあと、ロイ・グレイスも)


ロンは、ニューヨーク広告ライターズ協会の名誉の殿堂入り」---もちろん、バーンバックさん、フィリス・ロビンソン夫人、ボブ・レブンソン氏も---chuukyuu注)


ロンによると、バーンバックさんによる広告学校は、才能ある者を選抜し、教えて、教えて、教えて、倦(う)むところがないバーンバックさんの人柄は、どれほど賞賛してもしすぎることはないと。


クライアント側からは、ポラロイドのスタンフォード・コールダウッド氏が来ていました(氏は、何年間もポラロイドの最高幹部の一人であった)。ポラロイドがDDBを広告代理店に選んだのは1954年だが、それ以前の5年間に出した同社の広告はまったく注目されていなかった(社名を覚えていた少数の人はいたことはいたが---)。DDBは、広告料金1ページ2万ドルの『ライフ』誌に、1ページ写真だけで、コピーもなければ製品名もない広告すら提案したこともあると打ちあけた。


バーンバックさんは、共同経営者のネッド・ドイル氏とマック・デーン氏を呼び入れて紹介した。


バーンバックさんのスピーチの要点:私の根本の考え方は、製品をフレッシュな視点で正しく見ることに尽きる。とはいえ、すべての人がそうできるとはかぎらないが---たくさんのホームラン・バッターが育ったし、いまもそろっている。


各人各様の賛辞の要点


ボブ・ゲイジ
「つまり、フレッシュな見ばえ、フレッシュなアイデア、フレッシュな言い方、これこそがバーンバック・タッチの真髄」




ボブ・レブンソン
バーンバックさんは、人を酩酊させる名人。誰の真似もしてはいけないというバーンバックさんの法則は、法則をつくらないことなのだ。クリエイティブな環境で、3世代もにわたって社を繁栄させた。




レン・シローイッツ氏
「そう、精一杯、背伸びしようとしている者をささえてくれた人です。ただ<良い>では、満足しない--広告は、つねに、フレッシュで、オリジナルで、趣味がよくなければならない。バーンバックさんのOKがでたときは、クリエイティブ・マンとしてものすごく誇らしくおもった。"ビルがこれを認めてくれた" と。




ロン・ローゼンフェルド
「ビルは、ビジネス社会で良い人に出会う方法を誰よりも身につけている。彼はいろんな人にいろんなことを教えてくれたが、われわれのほうは、彼を十分に知っているとはいえないのではなかろうか」