創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(196)チャック・コルイ氏とのインタヴュー(1)


チャック・コルイ氏
Doyle Dane Bernbach Inc.
Vice President, Copy Group Supervisor


『劇的なコピーライター』誠文堂新光社 ブレーンシリーズ 1971.3.10 絶版 からそのまま転載)。


「公共奉仕広告(public service ad)」から一歩進んだ「抗議広告(protest ad)」の実際を示して、今後のコピーライターのあるべき姿を教えてくれた点で、本書の2番手においた。
オリンの企業広告でも、社会教育的な情報を中心にすえたコピーで、ライターの思想・社会とのかかわりあいといったものを暗示している。



ベトナム論争の高まりの中で抗議広告が生まれてきた


『抗議広告』という広告用言語は、私の見るかぎり、日本の広告用語辞典に現われたきざしはまだありません。
抗議広告のことを、最初に教えてくれたのはコルイ氏でした。「ねずみ駆除法」の広告で、ホワイト・ハウスから感謝状をもらった人です。つまり、この「ねずみ駆除法」の広告が抗議広告の一つなのです。
ところで、問題の抗議広告ですが、アメリカにおけるベトナム論争の高まりの中で、この2,3年の間に印刷物や放送などに徐々に現われてくるようになった一種の意見広告です。
たとえば、「世界人口の爆発的増加についての啓蒙」「銃砲取締法案の支持」などのほか、「離婚および扶養料に関する法律委員会」とか「平和のために努力する婦人団体」などがスポンサーとなり、またなろうとしています。
もちろん、 「抗議広告」と呼ぶ人もあれば「論争広告(Issue ad)のほうがいいという人もいます。
また、「抗議広告」と「公共奉仕広告」あるいは「公共的問題論争広告」との違いは、後の2者は、癌キャンペーンなどのように論議を要しないものであり、前者は既成の平均的な考え方を打ち倒すためのもので、論争を伴うといえます。
具体的にはコルイ氏がつくった「ねずみ駆除法」の広告を見ていただくとして、まずはコルイ氏とのインタビューをご紹介しましょう。

新聞記者では食えなくてコピーライターになった


chuukyuuDDBに入社なさった時の話をしてください。コピーライターになろうと決心した動機も---」


コルイ「高校時代からライターになりたいと思っていました。ですから、大学ではジャーナリズムと英語を専攻しました。大学を卒業するころには妻と娘が1人いたんですよ。それから地方新聞のかけ出し記者として週50ドルもらうようになったんですが、これは十分な報酬とは考えられませんでしたから、ほかの仕事をさがすことになりました。
少しは収入がいいはずだから広告界に行きなさいと勧める人がいまして、広告代理店を2,3あたってみましたが、経験がないということで採用してもらえませんでした。再び人の勧めにしたがって、今度は広告主のほうをあたってみました。その結果、インターナショナル・ニッケル杜に職が見つかり、そこで3年働きました。


その後、中規模の広告代理店J・M・マチス社へ移り、1年間ばかりユニオン・カーバイトを担当していました。それからニューヨークを離れてニュージャージーのある小さな代理店へ移ったんですが、失敗でした。そこでは、他の広告人たちと会う機会がなかったのです。そこでの仕事自体も私の満足いくものではなかったのです。
けれども幸運なことにある日、DDDのコピーライター募集広告を目にして、さっそく応募してみました。サンプルが必要とあったので、送りました。すると、DDBから話したいから来社するようにといってきまた。面接があり、採用されました。もう7年前のことです」


chuukyuu「入社当時のDDBの規模は? たとえば従業員の数とか扱い高なんかは?」


コルイ「あのころの扱い高は6,000万ドルぐらいだったと思います。今日では、ほぼ2億7,000万ドルになっています」


chuukyuu「入社当時、どんな訓練を受けましたか?」


コルイ「そうですね。ほんとうの意味から言えば、私が受けたのは訓練とはいえません。みんな、いろいろなことをしていくうちに---そう、ほんとうに優れた指導者たちの思想の影響を受けることによって学んでいました。
スーパバイザーたちは、若いライターを助けたり、鼓舞したりする時、それはもう実に厳しかったんですよ。


でも彼らの批判は、私たちの仕事をより良いものにするだけでなく、私たち自身をも高めてくれたんです。スーパバイザーの部屋を出る時には、いつも何か広告についてとか、あるいは自分自身について---学びました。こういうと『それは当然のことだよ、なぜなら、そういった人びとは業界では大物であって、私たちはもう彼らに会う前に、彼らの名前というものを尊敬してしまっているということを忘れないでほしいね』と言われるかもしれません。 でも、そんなことを通りこして、もっと重要なことは、彼らが、自分のために働いてくれる人びとに対して示す尊敬の念なのです。彼らが私たちの作品をどんなに手厳しく批判しようと、それは私たちの口をつぐませ、私たちを愚かにするためでは決してありませんでした。そうではなく、あの人たちの批判によって、私たちはもう一度やり直してより良い仕事をしたのです。


なぜそういうことになるのかといいますと、私たちは、あの人たちが私たちを信じていてくれるということを知っていたからなのです。良いスーパバイザーになるための一つの秘決は、つまりこういうことだと思うんです。自分のために働いてくれる人びとを尊敬しなさい。そして、そのことをその人たちに知らせなさい」

『ねずみ』の広告は自発的につくったもの


chuukyuu「『ねずみ』を担当なさっていますね。このアカウントについて話してください」


コルイ「あれは、いわゆるアカウントではないのです。あれは、1967年につくられた自主的な広告なのですよ。ちようど、議会が議案審議をしぶっていた時でした。その試案とは、スラム街のねずみを一掃するためこの都市に2,000万ドルの予算を交付するというものでした。議会はその議案に関心を示さないばりか、ロにしようともしなかったのです。重要なことなのに、こんなお粗末な判断をくだすとはまったく嘆かわしいことです。国中から非難の声が聞かれたのですから、まったく愚かしいことだったのです。


バート・スタインハウザー(彼は一流のアート・ディレクターです)と私は、彼らの態度が間違いであることを強く感じました。国はこのために少なくとも2,000万ドルは予算に組むことができたはずだったからなのです。そこで私たち2人は決心して,議会にその法案を再考慮させるような広告をつくりあげたのです。
あれは、DDBがつくった広告でもありませんし、アカウント(取引口座)があるわけもないのです。あくまで、私たちが自主的につくったものであり、たくさんの人びとの協力があってできたものなのです。写真も無料、製版も無料といった具合いに、すべて自発的な協力の結果できたものなのです。みんなが熱心にこの仕事に取り組んだのです。


できあがった広告は、(資金の関係で)ある小さな雑誌と、ローカル新聞にしか掲載きれませんでした。その反響はといいますと、ポビー・ケネディがあの広告に強い関心を寄せましたし、ワシントンでもごく少数の人びとの間で話題になりました。
つぎの議会で再びその法案が提出された時に、あの広告は大いにその効果を発揮したと考えられます。とにかく議会を通過したのですから。あの広告の反響にたいして、私たちはジョンソン大統領からの手紙を受け取りましたが、その中で大統領は、議会がその態度を変えた大きな力となったと考えられるといってきました。


あの広告は、政治的な恐喝であったと言われるかもしれません。というのは、私たちはこの議案の審議にあたっての議員全員の投票をリストにしておいたからです。私たちは、あなたの選挙区から出ている議員がこの議案に賛成しているなら彼を支持すること、反対しているならそれが間違いであることを指摘する手紙を書くように人びとに訴えたのです。その点でこれは恐喝といわれても仕方ないのですが、でも、実際には法律でいうところの恐喝とはわけが違いますからね、議員たちは全国民の代表ですから、彼らに人びとがどう感じているかを伝えるのは正当な権利ですから。
ですから、あの広告がなかったとしでも、きっと議員たらは徐々に考え直したに違いありません。あるいは、あの広告は、人びとが想像した以上にドラマチックなものであったかもしれません」


>>(2)



この写真を切り抜いて、ベッドのお子さんの横に置いていてご覧なさい。


いま、すぐ。 お試しください。お嫌じゃなかったら。あなたの赤ちゃんの隣に置いて、これで遊ばせてごらんなさい。
できない?
それじゃあ、あなたは、下院議員の一部の連中よりもずっと豊か想像力をお持ちなのです。
彼らは「生きた」ねずみが心配すべきものだなんて考えようともしないのです。
それが、私たちの貧民街のねずみ退治計計画の補助金4,000 万ドルを、私たちの都市、州に提供してくれるはずの法案をつぶした時に、彼らが笑った理由です。
しかし、もっと恥ずべきは、彼らがその法案自体にたいしては投票すらしなかったということです。彼らは、その法案を審議するかどうかを決める動議に投票したのです。
賛成176標、反対207票。
もちろん彼らには彼らなりの理由があるのです。財政上の問題という口実がいつも使われます。この国には4,000万ドルもの余裕はないと感じているのです。
毎年、ねずみの被害が8億ドルにものぼるということを教えられてもです。どっちが経済的でしょうね?
そして、 また、ねずみが歴史上の将軍全部よりも多くの人間を殺しているとも教えられているのです。毎年、幾千人もの子どもがねずみに噛まれ、その中には死んだり、傷ついたりした子もいます。
社会的には筋がとおると思いますか? とくに家畜、敷物をねずみから守るために連邦予算をすでに使っているというのに。
たぶん、あの連中は夜、壁の内側で走りまわるねずみの足音が聞こえる壊れかけた家に住んだことはないのでしょう。
電灯を急につけると、台所の床を走って、流しの下かなんかの穴に逃げ込むねずみを見たことがないのでしょう。
たぶんね。しかし、私たらの多くは幸運にもそれを見たことがあるのです。だからって、私たらが見たことのない人びとを無視していいってことにはならないでしょう。
この国には9,000万匹ものねずみがいます。スラムの中のヤツらのすみかが壊さたら、ヤツらはどこいくと思いますか?
最高のホテルやレストラン、近代的なアパート、ビル、地下室、 ガレージなどへ移動していくのです。どんなところへでもはいって行きます。そこでますます繁殖していくでしょう。
ですから、下院議員が、ねずみを除去することに反対の投票をしたことは、私たちみんなに反対の投票をしたことになるのです。貧しい人びとにたいしてだけではないのです。私たちみんなに対してなんです。
幸運にも、まだ希望は残っています。
投票結果は207対176でした。ということは、もしあの法案が再び提出されたときに16人の議員に投票を変えさせることができたなら、192対191となり、法案は可決されるのです。
下欄に、だれがどっちに投票したかという下院議員のリストがあります。
あなたの議員が、賛成としていたら彼を支持していること、そして反対投票した連中を説得してくれることを願っていることを手紙で知らせてやりましょう。
もし、あなたの議員が反対投票をしていたのでしたら、手紙を書いて彼がその一票を変えることを望んでいるといってやりましょう。
あて先は光栄ある誰某下院.ワシントンDC.
ねずみに人間と同等の権利を与えるのは、もうやめる時です。

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